源氏山から北鎌倉へ・縁切寺 ~鎌倉 Story ③
源氏山は、奥羽を舞台とする後三年の役(1083~1087年)で八幡太郎義家が出陣するときに、この山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったところから「源氏山」とか「旗立山」といわれるようになったといわれている。
シンボルである源頼朝像が鎮座する。大河ドラマのせいで頼朝が大泉洋に見えてしまう。
源氏山公園は自然あふれる市民の憩いの場で訪れたとき(12/1) は紅葉が綺麗だった。
“源氏山から北鎌倉へ” は結構な山道もあったが、さだまさし(グレープ)の「縁切寺」の歌詞のとおりに北鎌倉へ向かう。
縁切寺とは東慶寺のことである。
江戸時代に徳川家康が縁切り寺法を制定し、東慶寺は幕府公認の「駆け込み寺」になった。
東慶寺に駆け込めば、足掛け3年で夫と縁が切れるということになっていた。
結婚前のカップルが寺を訪れたら、別れるというジンクスの寺ではないようだ。
さだまさしが知ってか知らずか歌のためかは定かではない。
「人の縁とは不思議なもの」が一番言いたかったのだろう。
実は女性はドライで男性の方が女々しいのかもしれない。
JR北鎌倉駅と周辺風景。
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