(このポイントを発見したことで、ようやく撮影のエンジンがかかった)
大江戸線、本郷三丁目駅で地下鉄を降り、最初に向かったのは、「文京ふるさと歴史館」という資料館。どこかの大学の課外授業でもおこなわれていたらしく、地味な服装をした男女で、歴史館は混雑していた。
そこで街並み散策のガイドマップを手に入れた。
このあたりは広大な東京大学の西側地域にあたり、森まゆみさんのいう「やねせん」(谷中、根津、千駄木)の南にあたる。樋口一葉が暮らした街といえば、「ああ、あのあたりね」と思い出す明治文学ファンもいらっしゃるだろう。
やねせんは、十数年前に一度、歩いたことがあるので、今日はその南側一帯を歩くことになった。
かつての町名の多くは失われ、本郷何丁目という名称に組み込まれたので、史跡をたどるためには、ガイドマップが必須(・_・?)
菊坂界隈を中心に周遊しているとき、TOPにあげた「下宿屋」を発見した。
その「部分」。
意図的にペイントされたとすれば(あるいはそうでなくても)、建物まるごとアート!!
東京芸大も、すぐ近くにある。
壁そして窓、ドア。
「ひゃ~、これは・・・」
写真には興味のない友人Kさんも「ほほう」といって、眼を瞠っている(*゚ー゚)v
東大生はじめ、旧くから学生街として発展をとげた町のおもかげがあちこちに残っている。
わたしにとっては、「史跡」なるものは単なる目印にすぎない。写真的におもしろいものはまずないし、そういうものはガイドブックにいくらでも掲載されている。
被写体はフォトグラファーの足と眼で「発見される」ことをもとめている。そこにディープな愉しみが隠れているのだ。
そして東大赤門前の中華料理店で少し早いランチ♪
料理人は日本人ではなく中国人。四川風のメニューがメインだが、この麻婆定食、日本人が普通に食べられる辛さに調理してあり、ボリューム満点、税込750円だった。
つぶやきでも書いたように、坂道がじつに多い。
菊坂、見返り坂、梨木坂、炭団坂(たどん)、新坂、胸突坂、鐙坂(あぶみ)、本妙寺坂等々、マップから拾いだしていけばきりがないほど。
草臥れたので、そこからタクシーで神保町へ移動し、カフェに入ってひと休みしたあと、古本屋街をぶらぶら(^ー^)
残念ながら、友人Kさんは街角スナップにはまったく興味がないため、お目当ての古書店を経巡って、古本漁り。
■小宮山書店
http://www.book-komiyama.co.jp/
1Fに写真集がかなり置いてあるので物色してみたが、欲しいと思う写真集はけっこうなお値段。石元泰博さんの「シカゴ、シカゴ」「シカゴ2」や森山さんの限定版写真集、尾仲浩二さんの「背高あわだち草」「遠い町」「海町」、さらにVIVOの写真家の代表作がいくつか目についた。ウインドーにおさまっている海外の写真集は数万円のものがごろごろ´Д`|┛
しかも重いから、ムリして買うならデイパックを背負ってくるか、クルマでくるかしかないだろうと思い、友人との待ち合わせまでの約1時間、ストリートスナップに挑戦。
神田神保町界隈は通りを大勢の人々が歩いているが、以前と較べ、外国人の姿がとてもふえた。これから東京オリンピック開催に向かって、さらに世界中からお客様がやってくるだろう。学生さんばかりではなく、教職にある人と思われるインテリたちが歩いている。
ここにある膨大な本のうち、ネット上には、10%くらいしか公開してないということを案内所のガイド嬢から聞いた。Amazonがすべてではない・・・だからマニアな人たちがこの街へやってくる(^^♪
このあたりはわたしは学生時代からよくさまよった界隈。
タイトルである「夢去りし街角」の夢ってなに?
・・・を少し語っておくのが筋だろうけれど、やめておこう。「告白」というのは、大の苦手だから。
どうしてもという気分になった場合は、わたしは詩という表現形式をえらぶだろう。
恋愛妄想からは卒業したけれど、それにかわって、どこへいっても「夢去りし街角」をさがすようになっている。
カメラを手にして街角に立つとき、“わたし”という存在はだれかが夢みている夢の登場人物の一人なのではないかと感じることがある、むろんもっともありふれた端役の一人。
現実感が稀薄となるのではなく、むしろ強烈なリアリティーが“わたし”の視覚やカメラを持った身体や心を支配する。
それが強烈であればあるほど、現実と幻像は、まるで一枚の硬貨の裏と表にすぎないのではないかと・・・そこまでわたしを運んでいく。
「夢去りし街角」とはそういう街角なのである。
※「東京SNAP 2017」はこちら。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000102721111&owner_id=4279073
(ただし数年は友人まで公開アルバム)
大江戸線、本郷三丁目駅で地下鉄を降り、最初に向かったのは、「文京ふるさと歴史館」という資料館。どこかの大学の課外授業でもおこなわれていたらしく、地味な服装をした男女で、歴史館は混雑していた。
そこで街並み散策のガイドマップを手に入れた。
このあたりは広大な東京大学の西側地域にあたり、森まゆみさんのいう「やねせん」(谷中、根津、千駄木)の南にあたる。樋口一葉が暮らした街といえば、「ああ、あのあたりね」と思い出す明治文学ファンもいらっしゃるだろう。
やねせんは、十数年前に一度、歩いたことがあるので、今日はその南側一帯を歩くことになった。
かつての町名の多くは失われ、本郷何丁目という名称に組み込まれたので、史跡をたどるためには、ガイドマップが必須(・_・?)
菊坂界隈を中心に周遊しているとき、TOPにあげた「下宿屋」を発見した。
その「部分」。
意図的にペイントされたとすれば(あるいはそうでなくても)、建物まるごとアート!!
東京芸大も、すぐ近くにある。
壁そして窓、ドア。
「ひゃ~、これは・・・」
写真には興味のない友人Kさんも「ほほう」といって、眼を瞠っている(*゚ー゚)v
東大生はじめ、旧くから学生街として発展をとげた町のおもかげがあちこちに残っている。
わたしにとっては、「史跡」なるものは単なる目印にすぎない。写真的におもしろいものはまずないし、そういうものはガイドブックにいくらでも掲載されている。
被写体はフォトグラファーの足と眼で「発見される」ことをもとめている。そこにディープな愉しみが隠れているのだ。
そして東大赤門前の中華料理店で少し早いランチ♪
料理人は日本人ではなく中国人。四川風のメニューがメインだが、この麻婆定食、日本人が普通に食べられる辛さに調理してあり、ボリューム満点、税込750円だった。
つぶやきでも書いたように、坂道がじつに多い。
菊坂、見返り坂、梨木坂、炭団坂(たどん)、新坂、胸突坂、鐙坂(あぶみ)、本妙寺坂等々、マップから拾いだしていけばきりがないほど。
草臥れたので、そこからタクシーで神保町へ移動し、カフェに入ってひと休みしたあと、古本屋街をぶらぶら(^ー^)
残念ながら、友人Kさんは街角スナップにはまったく興味がないため、お目当ての古書店を経巡って、古本漁り。
■小宮山書店
http://www.book-komiyama.co.jp/
1Fに写真集がかなり置いてあるので物色してみたが、欲しいと思う写真集はけっこうなお値段。石元泰博さんの「シカゴ、シカゴ」「シカゴ2」や森山さんの限定版写真集、尾仲浩二さんの「背高あわだち草」「遠い町」「海町」、さらにVIVOの写真家の代表作がいくつか目についた。ウインドーにおさまっている海外の写真集は数万円のものがごろごろ´Д`|┛
しかも重いから、ムリして買うならデイパックを背負ってくるか、クルマでくるかしかないだろうと思い、友人との待ち合わせまでの約1時間、ストリートスナップに挑戦。
神田神保町界隈は通りを大勢の人々が歩いているが、以前と較べ、外国人の姿がとてもふえた。これから東京オリンピック開催に向かって、さらに世界中からお客様がやってくるだろう。学生さんばかりではなく、教職にある人と思われるインテリたちが歩いている。
ここにある膨大な本のうち、ネット上には、10%くらいしか公開してないということを案内所のガイド嬢から聞いた。Amazonがすべてではない・・・だからマニアな人たちがこの街へやってくる(^^♪
このあたりはわたしは学生時代からよくさまよった界隈。
タイトルである「夢去りし街角」の夢ってなに?
・・・を少し語っておくのが筋だろうけれど、やめておこう。「告白」というのは、大の苦手だから。
どうしてもという気分になった場合は、わたしは詩という表現形式をえらぶだろう。
恋愛妄想からは卒業したけれど、それにかわって、どこへいっても「夢去りし街角」をさがすようになっている。
カメラを手にして街角に立つとき、“わたし”という存在はだれかが夢みている夢の登場人物の一人なのではないかと感じることがある、むろんもっともありふれた端役の一人。
現実感が稀薄となるのではなく、むしろ強烈なリアリティーが“わたし”の視覚やカメラを持った身体や心を支配する。
それが強烈であればあるほど、現実と幻像は、まるで一枚の硬貨の裏と表にすぎないのではないかと・・・そこまでわたしを運んでいく。
「夢去りし街角」とはそういう街角なのである。
※「東京SNAP 2017」はこちら。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000102721111&owner_id=4279073
(ただし数年は友人まで公開アルバム)