『武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当(あて)もなく歩くことによって始めて獲(え)られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処(ずいしょ)に吾らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこのような処がどこにあるか。』
・・・国木田独歩「武蔵野」より
この一節は「武蔵野」のなかでも、とくに有名な一節で、よく引用される。
“武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない”
その通り・・・だとわたしはおもう。
ほんとうの「街歩き」は、地図を捨てるところからはじまる。
「街撮り」に復帰し、一年と少しがたった。
東毛地区――なかでも、桐生市は撮り残した街角がたくさんあるので、年末の一日、桐生市へ出かけてみようかと考えたが、朝のきびしい冷え込みに、こころがちょっと萎えてしまった。
高崎市S町界隈は、フィルムカメラの時代から、三回は歩いている。
祖父にくっついて「えびす講」の買い出しにいったことがあるし、父と、あるいは母と歩いた市街地である。
あれから、何十年がたったのだろう。わたしも歳をとって、老人の仲間入りしようとし、「あのころ」の祖父や、父の胸のうちを、いくらかは忖度できるようになってきた。
たとえそれが肉親であろうと、隣りにいる人への、気が遠くなるような距離。
わたしは、あの日、あのとき、孫であるわたしの手をひいて、買い物のためこのあたりを歩いた祖父のこころに近づいていく。五十年の時をへだてて。
変わったもの、変わらなかったものへ、カメラを手にしたわたしが、ある「まなざし」をそそぐ。どんどん遠ざかっていく、なつかしい昭和。こころのどこかで、受け容れがたいと感じながら生きねばならない平成の世の光に、冬支度で身をかためたわたしが、歩み入っていく。
いつだって、なにかが終わりかけていて、なにかが、はじまろうとしている。
町とは、そういった場所である。・・・高崎市にかぎらず。
もし、十年後にこの場所を歩くことができたら、いったいどんな光景が眼に飛び込んでくるのだろう。
そのときわたしは、わたしの孫をつれているだろうか?
それとも、病苦にうちひしがれ、重い足をひきずっているだろうか?
あるいは、ここへくることはもう二度とないのだろうか?
年末に近い午後の斜光線が、町のふところを、深くえぐる。影や色や形が、ことばにならならいことばを囁きかける。退屈なだけの街角にちょっとメスを入れると、そこはいわくいいがたい、不可解なワンダーランドへと、幽かな変貌をとげる。
“武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない”
このことばを、いま、こういいかえてみよう。
“街角を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない”と。
昔がいまになり、いまが昔となる。そういう変幻自在なまなざしこそ、いまの“わたし”が必要としているまなざしなのである。
※mixiアルバム「高崎市散策(「いまは昔」特別編)はこちら。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000045240924&owner_id=4279073
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