あんなに暑かった夏が終わり、秋の気配が、日一日と濃くなってきた。
鬼怒川の氾濫、集団的自衛権騒動で、9月は大揺れにゆれた。
「線状降水帯」ということばを、常総市の大洪水ではじめて知った。豪雨をもたらす雨雲の集積は、はじめ利根川と渡良瀬川のあいだにあったのだ。それが小一時間つづき、それから東へ移動。鬼怒川に沿った上空に長時間滞留。あの大洪水を引き起した_(._.)_
「つぎはこっちがやられるかもしれないぞ」
多くの人びとが、洪水のおそろしさを「明日はわが身」というふうに考えたことだろう。
秋がきて、音楽が聴きたくなり、このあいだからモーツァルトやブラームスに回帰している。いま聞こえているのは、ブラームスの3番。CDはダニエル・ハーディング指揮による4番とのカップリングである。演奏はドイツ・カンマー・フィルハーモニー。
いまこうして耳をかたむけながら、ブラームスの4曲が、交響曲の至宝だという意味を噛みしめている。
赤城山麓へ出ていくと、田の畦や墓地に彼岸花が紅い帯をほどいたように咲きほこっている。会社を抜け出し、カメラをぶらさげて、クルマを飛ばし、数カ所をまわってみた。
曼珠沙華といえば、男と女の情念のほむら、彼岸花といえば、あの世の花。
炎が燃えさかっているようなこの花の佇まいは、他に類をみない色と形で、見る者に迫る。
ロスにいる娘が久しぶりに一時帰国したので、近所のレストランへパスタランチを食べにいった。
Sサイズのパスタ、サラダバー、ドリンクバーをつけて1150円。リーズナブルな価格で味もまあまあだから、日曜祭日は行列ができる。
昨日思い立って、テンちゃんのノミ獲り首輪を買ってきた。
頭がノミの巣になっている。粉末タイプのクスリを使ったこともあったが、毛のお手入れのとき体をなめるのでしばらく中止していた。
効くのかなあ、コレ(?_?) 効くとイイのだけれど。
あいにくピンク色しか置いてなかった。女の子みたいだけど、色はガマンだね、テンちゃん!
わたしは文学だけでなく、歴史も好きで、世界史、日本史を問わずいろいろな本を読む。
4-5日前、本屋の散歩中「十二月八日と八月十五日」(文春文庫)がふと眼にとまったので、立ち読み。
いやはや、これはおもしろそうだぞ! と思って買ってきた。
超大国アメリカに対して、無謀にも宣戦布告し、あの大過をまねいたのである。当時の日本人はこれをどう迎え、何を感じ、何を考えたか?
編著者半藤一利さんは、おもに文学者の当時の日記を引用し、昭和史の暗部にスポットライトをあてている。
軍部の独裁と暴虐、マスコミの煽動、民衆の興奮が、生々しく再現されていく。結論だけいえば、日本人の大半が、あの米英戦争を支持したのである。いまなら「なんというバカげた戦争をしたものだ」というのは簡単。まるで子犬がトラに噛みついたようなものである。
集団的自衛権をめぐる与野党の攻防戦は、その実体は権力闘争である。朝日をはじめとするマスコミも、「戦争法案はんた~~い!」の大合唱にのってしまって、感情論が噴出。最後は与党が民主主義の「数の論理」で押し切った。
しかし、強行採決とはなにか?
冷静沈着に思慮をめぐらせば、日米安全保障条約と強力な在日米軍の存在が、戦後70年の平和を実質的にささえてきたのは、だれの眼にも明らかだろう。その一部を時代の変化にあわせて修正する。それだけのことで、なんであんなに大騒ぎできるのかわたしには不思議^^;
憲法9条は偉大な理念であろう。しかし、国家は理念だけで運営できるものではない。国家は国民のものであるが、また国家あっての国民なのである。日本国が滅亡すれば、日本人もユダヤ人のように「放浪の民」となるか、霧散してしまう。
「十二月八日と八月十五日」のほかに、昨日つぎの二冊を買ってきた。
「大人のための昭和史入門」文春新書
「決定版 日本のいちばん長い日」文春文庫
そのどちらにも、歴史探偵を自称する半藤さんがかかわっている。
いままで昭和史にはうとかったわたしを、こんどの安保法制騒動が動かした・・・ということになる。
国家とは人間にとって何であるのか?
そう大上段に振りかぶって、観念論を展開したところで、得るところは少ないとわたしは思う。
それより、未曾有の悲劇をもたらした昭和史をじっくりと検証し、未来への指針とすべきであろう。いままでは極秘あつかいされていた資料が、この数年のあいだに公開されたり、発掘されたりし、多くの読者を新たな省察へとみちびいている。
集英社からは「戦争×文学」という叢書が刊行されている。
http://www.shueisha.co.jp/war-lite/top.html
鬼怒川の氾濫、集団的自衛権騒動で、9月は大揺れにゆれた。
「線状降水帯」ということばを、常総市の大洪水ではじめて知った。豪雨をもたらす雨雲の集積は、はじめ利根川と渡良瀬川のあいだにあったのだ。それが小一時間つづき、それから東へ移動。鬼怒川に沿った上空に長時間滞留。あの大洪水を引き起した_(._.)_
「つぎはこっちがやられるかもしれないぞ」
多くの人びとが、洪水のおそろしさを「明日はわが身」というふうに考えたことだろう。
秋がきて、音楽が聴きたくなり、このあいだからモーツァルトやブラームスに回帰している。いま聞こえているのは、ブラームスの3番。CDはダニエル・ハーディング指揮による4番とのカップリングである。演奏はドイツ・カンマー・フィルハーモニー。
いまこうして耳をかたむけながら、ブラームスの4曲が、交響曲の至宝だという意味を噛みしめている。
赤城山麓へ出ていくと、田の畦や墓地に彼岸花が紅い帯をほどいたように咲きほこっている。会社を抜け出し、カメラをぶらさげて、クルマを飛ばし、数カ所をまわってみた。
曼珠沙華といえば、男と女の情念のほむら、彼岸花といえば、あの世の花。
炎が燃えさかっているようなこの花の佇まいは、他に類をみない色と形で、見る者に迫る。
ロスにいる娘が久しぶりに一時帰国したので、近所のレストランへパスタランチを食べにいった。
Sサイズのパスタ、サラダバー、ドリンクバーをつけて1150円。リーズナブルな価格で味もまあまあだから、日曜祭日は行列ができる。
昨日思い立って、テンちゃんのノミ獲り首輪を買ってきた。
頭がノミの巣になっている。粉末タイプのクスリを使ったこともあったが、毛のお手入れのとき体をなめるのでしばらく中止していた。
効くのかなあ、コレ(?_?) 効くとイイのだけれど。
あいにくピンク色しか置いてなかった。女の子みたいだけど、色はガマンだね、テンちゃん!
わたしは文学だけでなく、歴史も好きで、世界史、日本史を問わずいろいろな本を読む。
4-5日前、本屋の散歩中「十二月八日と八月十五日」(文春文庫)がふと眼にとまったので、立ち読み。
いやはや、これはおもしろそうだぞ! と思って買ってきた。
超大国アメリカに対して、無謀にも宣戦布告し、あの大過をまねいたのである。当時の日本人はこれをどう迎え、何を感じ、何を考えたか?
編著者半藤一利さんは、おもに文学者の当時の日記を引用し、昭和史の暗部にスポットライトをあてている。
軍部の独裁と暴虐、マスコミの煽動、民衆の興奮が、生々しく再現されていく。結論だけいえば、日本人の大半が、あの米英戦争を支持したのである。いまなら「なんというバカげた戦争をしたものだ」というのは簡単。まるで子犬がトラに噛みついたようなものである。
集団的自衛権をめぐる与野党の攻防戦は、その実体は権力闘争である。朝日をはじめとするマスコミも、「戦争法案はんた~~い!」の大合唱にのってしまって、感情論が噴出。最後は与党が民主主義の「数の論理」で押し切った。
しかし、強行採決とはなにか?
冷静沈着に思慮をめぐらせば、日米安全保障条約と強力な在日米軍の存在が、戦後70年の平和を実質的にささえてきたのは、だれの眼にも明らかだろう。その一部を時代の変化にあわせて修正する。それだけのことで、なんであんなに大騒ぎできるのかわたしには不思議^^;
憲法9条は偉大な理念であろう。しかし、国家は理念だけで運営できるものではない。国家は国民のものであるが、また国家あっての国民なのである。日本国が滅亡すれば、日本人もユダヤ人のように「放浪の民」となるか、霧散してしまう。
「十二月八日と八月十五日」のほかに、昨日つぎの二冊を買ってきた。
「大人のための昭和史入門」文春新書
「決定版 日本のいちばん長い日」文春文庫
そのどちらにも、歴史探偵を自称する半藤さんがかかわっている。
いままで昭和史にはうとかったわたしを、こんどの安保法制騒動が動かした・・・ということになる。
国家とは人間にとって何であるのか?
そう大上段に振りかぶって、観念論を展開したところで、得るところは少ないとわたしは思う。
それより、未曾有の悲劇をもたらした昭和史をじっくりと検証し、未来への指針とすべきであろう。いままでは極秘あつかいされていた資料が、この数年のあいだに公開されたり、発掘されたりし、多くの読者を新たな省察へとみちびいている。
集英社からは「戦争×文学」という叢書が刊行されている。
http://www.shueisha.co.jp/war-lite/top.html