かつてデパートといわれた業態で営業していたビルが空き店舗となり、その三階に、BOOK OFFが、新店舗をオープンさせた。
新店舗といっても、じっさいは、市内4、5カ所に散らばっていた店舗を集約したもの。店舗面積約2000坪とのことらしく、じつにいろいろな商品が陳列されている。
既存のBOOK OFFの収益性が悪化しているのである。
古本屋であり、ホビー・ショップであり、質屋である。陳列されているものが「お古」ばかりという意味では、リサイクル・ショップということになる。
12月8日がオープン日だった。オープン時の混雑が去ったので、わたしは、仕事のあいまを見はからって、散歩してきた。
一回目は、文庫本を一冊、二回目は、文庫本と新書を、それぞれ一冊。
ほかに欲しいものがないので、極論すれば、ゴミの山といえないことはない。
いったんは捨てられた、あるいは売却された商品なので、“新商品”としてのアウラはない。
それだけに、お値段は安い。
陳列された商品に欲望をいだく人にとっては、ゴミの山は宝の山に見えるだろう。
本に関していえば「欲しいもの」は、わたしはすでに持っているのである。
われわれ日本人は、わたしが生れ育った昭和30年代、40年代と違って、すでに十分にものを持ってしまっている。
不要になったものを売る。「あー、その値段なら、買ってもいいよ」という人が、古物を買っていく。
女性向けのブランド品が、ずいぶんならんでいた。
衣類や装飾品。一見すると、店内には、「魅力ある商品」の輝きがたちこめている。
「さあ、もっと買って!」と、陳列棚は訴求している(笑)。
ごく一部のジャンルをのぞいて、わたしは欲望をそそられないし、必要なものは、すでに「持っている」のである。家の中に、これ以上「どうでもいいもの」をふやすわけにはいかない。
いつだったか、中村うさぎというエッセイストが、買い物中毒の本を書いているのを、立ち読みしたことがあった。その中毒にかかると、たいして欲しくはないものなのに、「モノ=商品」を、大量に買わずにいられない。症状が悪化すると、借金してまで「買う」。
ストレスが高じてくると、単にその発散のために「買う」。
何日か、何週間かたつと「あたしは、なんでこんなもの買ったんだろう」と、首をかしげる(笑)。
どんなに魅力ある商品でも、それが「自分のもの」になったというだけで、店頭にならんでいたときのアラウを失い、魅力は褪せる。そこには、商品経済に依拠している現代人の心理作用がはたらいている。売れているから、買う。Bさんが持っていたから、買う。
お金に余裕があるから、買う。あまり必要ではないけれど、安いから、とりあえず、買う。
そうして、さらに「もの」がふえていく。
わたしの場合は、本がこの商品にあたる。買う・・・ことによって、ストレスが発散され、不安心理がいやされる。
BOOK OFFのいままでの業態では、もう経営がなりたたないのである。いわゆる中間階級(中間層)が年々減少し、消費行動がにぶっている。ものが売れない。だけど、半値なら、あるいは、もっとお安ければ、もういっぺん、この消費行動に火をつけることが可能となる。
眼をぎらつかせて、ブランド物のコートや宝石に見入っている女性をチラチラ眺めながら、三毛ネコさんは、そんなことを考えた(^^;)
トップにあげたのは、渋滞中のクルマから見かけた人物スナップ。
そして、こちらも。
現代人は、孤独なのだ。
情報の洪水にかこまれて、情けない姿をさらして、クルマを運転していたり、街を歩いていたりする。
そんな思いに、時折胸をしめつけられる。
Love / love・・・愛を愛で割る。さらに、愛を愛で――。
分母も分子も、どんどん小さくなっていく。なにしろ、この地球に70億もの“人類”がいるというのだから。「一人の人間のいのちは、この地球より重い」という美辞麗句には、もうだれも騙されない。