筆触法は、のしてんてん絵画の基本的な技法です。
2016年の年明けから、五次元の考え方に本腰を入れてお伝えしてまいりました。
本年には、この五次元思考を、具体的な生活の糧とするためにナウイズムを提唱してまいりました。
そしていよいよ、
のしてんてんの本殿の扉を開けたいと思います。
(まるで歌舞伎の大見得です。
笑ってやり過ごしてください^よ^)
たいそうに本殿の扉を開けると、
たいがい、つまらないものしか入っていないのですが、それにたがわずのしてんてん本殿には筆触法があるのです。
つまらないものですが、私の絵のすべてと言っても、これは過言ではありません。本人がそう信じ切っていますから^ね^
そして核心はたった一つ、アリになるということです。
それが五次元思考の根本でもあるのです。
自分の大きさは変わらないという常識(四次元)から解放されて、自分は変幻自在の存在であることを自覚する五次元に基づく。これが筆触法あのです。
言葉でいいますと、かたっくるしく、たいそうなもののように聞こえますが、やることは簡単、ただアリになって、その大きさ、その目線で世界を眺める。その想像力だけで、あなたは筆触法の世界に入っていけます。
デッサンが楽しくなりますし、自分に対する見方も、今までの固定されたものから、解放された、五次元世界に遊ぶことが出来る筈です。
この筆触法は、基本、週一(金曜日)に、テキストを公開いたします。
最低、一週間をかけて、筆触法を実際に体験して楽しんでいただきたいと思います。
質問等がありましたら、コメント欄に
公開したくない質問は、メール(waakitayabu@yahoo.co.jp)でおよせください。公開不可と記していただければ、けっして公開いたしません。
出来る限り、丁寧に対応させていただきます。
あなたはアリになる事が出来ますか?
クリックして全画面でご覧ください。アリの心に入ってみましょう。
こんにちは!
ほんとに蟻さんスケールから見れば
人科の生活用品なども未知なる冒険
人科自体がワンダーランドでしょう^ね^
今日から私も真鹿子蟻になります。
ありゃありゃマカコアリ♪
よろしくお願いいたします。
早口言葉ですけれど、
早口言葉は早口言葉舌活動を行ってうちに
日本語の意味を超えてしまいます。
私は毎日真剣に1時間近く早口言葉舌活動を行っていまして、
これからは、朝、夜と行う予定なのですが、
『ありありとありあり見える蟻の群れありありありは蟻の大将』とか、
『蛙ピョコピョコ三ピョコピョコ合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ』
『この竹垣に竹立て掛けたのは竹立て掛けたかったから竹立て掛けた』
などなど、色々な早口言葉舌活動を毎日繰り返し行っておりますと、
やはり徐々に早口言葉舌活動も高速になりまして、
そうなりますと、まさに舌活動!早口言葉は言葉を超え、
舌を奏で踊り始め、高速舌プロペラ飛行体となって
飛んで行きそうですよ(@_@)!そしてその響きは宇宙語となり
宇宙の未知なる存在と交信している感覚♪
真剣に行っているのですけれど^ね^;;
あらあらまたまたお喋りごめんなさい。
今日もどうぞ善き日をお過ごしくたさいませね☆
ありゃありゃマカコアリ
筆触法楽しみです♪
ご指導よろしくお願いいたします☆
感謝感激∞8∞八方拝です!
午前中はお世話になりました。
ふと思い出したこと、徒然に書かせていただきます。
高校時代、お世話になった体育の先生の一人に、跳び箱の教え方に絶対の自信?がある先生がいらっしゃいました。
毎回毎回口癖のように『私の言う通りにすれば必ず跳べる』『素直に、私の言う通りに跳べばいい』『出来ない者は素直じゃない。素直じゃない者は跳べない』と。
私は跳べませんでした(笑)。
マジメな生徒でしたので(笑)きつく叱られはしませんでしたけど、『素直じゃない』『素直じゃない』と連呼され、嫌になりました。
私は素直じゃないかもしれないが、じゃあどうすれば『素直』になれるんだ。
私は私なりに一生懸命やってる。これ以上どうすればいいのか、私だってワカラン。そこがワカラン者に『素直じゃない』と否定してもめげるだけ。このおっさん(その先生です😅)それもワカランのかっ。……と。
ま、『素直に…』ってのは、それ以上他に言い様無いよな~ってところはなんとなく、わかりますが。
その当時の先生と同じくらいの年齢になった昨今、先生こそ素直に、この指導では伝わらない生徒もいるんだなあって認めて下さいよ大人なんだから、って言いたくなります(笑)。
素直じゃない者は、多分怖がりなんです、色んな意味で。
跳び箱にせよなんにせよ、怖いことないんです、本当は。
だけど怖いと思っている者にとっては、怖いんです。
怖いと思っている者に『怖くないよ』と伝えるのは……至難の業、でしょう。
我が事ながら、どうすれば怖くないと納得させられる?のかわかりません。
体験を増やす、くらいしか、思いつかないですねえ。
それにしましても、一日―時間の早口言葉、
舌大、舌好調、筆舌に尽くしがたい舌力ですね。
私は毎朝歩きながら、この竹垣にを3回だけですが、まかこさんの跡を徒歩徒歩歩んでおります。
ご指導ありがとうございます。
私も初めての経験でしたが、楽しかったですよ。うまく伝わったかどうかは分かりませんが・・・
「私の言うとおりにすれば・・・出来る」というのはよほどの自身がなければ言えない言葉ですね。
それで8割の生徒には伝わるけれど、2割はダメということですかね、大まかに言えば・・・
伝えるということはきっとそういうことなのでしょう。
私にはそういう自信がなくて、教師を断念した経験がありますが、いま思えば、教師以外の方法、つまり伝わるという方法の方が好きだったのかもしれません。
私は真逆です。
私の言った通りにやれば・・・できない
と伝えるだけです。
出来るようになりたければ、私の言ったことを参考にして自分の工夫で出来るようにならなければ本物ではないと思っています。
伝えるのではなく、伝わる
それを大事にしたいですね。
何も考えないで、言われた通りにやる人生は借り物。
今その体育の授業を受けたら、受け手の意識から能動的な授業にきっとなるでしょうね。
その先生(お名前、忘れました)、自分の感覚からすると、『跳び箱が怖い』生徒がいる事そのものが、想定外…に近いのかも。
鈴木大地氏が突っ込まれたのも、こんな楽しいことに背を向けるなんてもったいない、と思って言ったことを、少なからずいるスポーツ嫌い(体育嫌い)の人の逆鱗に触れちゃった、という感じでしょうか?
学校で教える場合、体育だけじゃなく、『楽しい』を主眼に置きませんから。
国語であろうが数学であろうが美術であろうが、向いていない(と見なされる)人には楽しくナイのが実情でしょう。
大人の場合、成績カンケーないので(笑)、美術も体育も楽しめそう、です。
歳を取るのも悪くないですね🎵
必ず、
何かのためによいことにはならない
それが人の面白いところでしょうね。
ただ、それを教える側に強いると、誰も何も言えなくなる。
スポーツ省のような、こうしたやりとりが出来るというのがベストなのでしょうね。
自由にものが言える
とても大事なことだと思います。
思うんですけど、学校の授業では自由にものが言えないからうっぷんがたまる…のでしょうか?
だから余計、楽しくない、と。
私の跳び箱トラウマ(笑)もそうですが、『素直じゃない』『素直じゃない』ゆーな!とは、先生に対して生徒の私には言いにくいです。
それに、ここまで自信を持ってるヒトに『わかりません』は言いにくいですし。
『それは君が素直じゃないからだ!』で終わりそうですしね〰。
そんな類いのうっぷん持って大人になったヒトが、『スポーツ嫌い0』なんて言われるとカチンとくる、と。
(『勉強嫌い0』『芸術嫌い0』でも同様のことが起こった気もします)
その時に自由にものが言い合えてたら、今現在、不必要なまでにヒステリックなバッシングに発展しない…ような。
そんな気がちょっとしました。
ことばを見るのじゃないと覚えて下さい。
ことばのすべてに言えることですが、特にこのことばでは鮮明に、その言葉を発した人の心のレベルの影響を受けて受け手を支配しますからね。
子供には辛い試練です。その傷は、自分の心のレベルを上げることでしか癒せませんから、よく言えば、そのことで成長の階段を登らせてもらえたと喜ぶことも出来ますね。
異なるものを軽んじる心のレベルが発する「素直」がどんなものか今のむっちゃんさんにはわりすぎるほどわかるはず。
それはその先生のおかげだと考えることも出来ますし、
大臣のおかげで、スポーツ嫌いの復権が世に出て、ひそかに悩んでいた人たちの溜飲を下げることにもなった。
スポーツ0発言がなかったら、埋もれていた感情ですから。
その全体が、自由にものが言えるということなのでしょうね。
『素直』問題?、貴重なご教授、ありがとうございます☺。
言葉に捕らわれがちな癖がありますから、言っていただいてはっとしました。
実は私も一度教職を志し、断念しました。
伝える伝わる以前に、もし『教師』になってしまったら、私は、プライベートで妻になろうが母になろうが、全人格が『教師』以外の何者でもなくなりそうで怖かったから…という、実に個人的な事情からです(苦笑)。
そして、件の体育の先生のような(スミマセン、名前忘れた先生、例に出して)、自信があるのは結構だけどそこからはじかれたものを無意識で軽く見る、そんな、児童生徒学生の自分が嫌だった教師になりそうで怖かった…という部分も。どう頑張っても、いや、頑張れば頑張るほど、そんな教師になりそうで。
他人様にはわかってもらいにくい恐怖なのですが。
やってないのでホントのところ何とも言えませんが、やらなくて正解だった、と今、思います。
水だし緑茶冷えてますから、
これ気持ちが落ち着く作用があるとテレビで言ってました。
おたがい過去からは、学ぶことだけにしましょう。
むっちゃんさんの学ばなければならないことは、「恐怖」なのかもしれませんね。
緑茶を飲んでリラックスして聞いてほしいのですが、「恐怖」は心が独り立ちする手前で起こります。
「・・・かもしれない」と思うのは、「・・・」は良くないこと。
「・・・」でない自分を正しい自分と思い込んでいることなのかもしれません。
心が成長する前に、完璧な自分、あるいは気持ちのいい自分を思い描いている。
それにそぐわなかったら・・・、そう思うと恐怖が顔を出すのじゃないかな。
「・・・」であってもなくても、自分は自分という境地に達していても、「・・・」を認めない気持ちがどこかにあれば、それがしこりになってくる気がす。これは私の体験ですがね。
(マスターはグラスを拭きながら、一瞬遠い目を鴨居に向ける)