(2015年10月31日の記事より)
10月31日、ハロウィンですごいことになっていると聞いたので、友人を誘って難波にでかけた。
学生時代に、夜の街を闊歩した連中と、40年ぶりの道頓堀。
人の数は当時とそう変わりはないと、集合した3寺ごろの風景を見て思った。すごいというので、どんなものかと見学に来たのだが、ときおり変なのが通るくらいで、気をそがれた雰囲気で戎橋の橋詰に立つ。
酒を飲むのが主目的なので、さっそく、当時からある居酒屋のテーブルを囲んで学生時代の昔話に花が咲く。
ハロウィンなどすっかり忘れて、出来上がり、店から追い出されて外に出て驚いた。まるで学芸会の舞台に紛れ込んだのか、まあ、すごいことになっている。
いきなりバットマン
すっぴんでは逆に浮き上がりそうな雰囲気なので、私も持参した面を付けてみた。それが上の写真。仮面をつけると、気分が変わる。いい人を演出しなくてもいいという思いが、気持ちを楽にしてくれるのかもしれない。
社会から逃げたいという気持ちが、こんな現象を起こしているのだったら、ちょっと考えさせられると思いつつ、家路につきました。
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(2016年10月31日)
早いもので、もう一年過ぎてしまいました。
一年を振り返るのはちょっと早いですが、去年の今日、書いた記事を読んでいて、今の心境と違うなと思うところがありました。
去年の私は、
「社会から逃げたいという気持ちが、こんな現象を起こしているのだったら、ちょっと考えさせられると思」ったようですが、
今は違います。
テレビでは、渋谷の交差点中継やっていて、アメリカ大統領選挙の主役たちが人気だとか。
誰もが、目立とうと、心を解放しているように見える。
去年の道頓堀の比ではない光景だが、
社会から逃げたいなんて気持ちは微塵もないような気がする。
みな楽しんでいる。
若者たちの創造するベクトルが交錯しているのだと
思えるのだ。
今年は、先週から土日を越えて、アトリエに籠り続けている。2月の個展に向けて作品制作は順調だが、しばらく外の空気を吸っていない。
今年はハロウインもテレビだけかと思っていたら、知人の個展案内が届いた。
作品も一区切りついたので、明日は久しぶりに、神戸。
ええとしこいて、あんたらとし、なんばじゃ?
まるで学芸会の舞台に紛れ込んだかのようだ
みんな、なんばしよっと?
楽しむ気持ちは流れですから、健全なら遊びで終わりますよね。
仮面をかぶって生活をするという法律が出来て、どこに行っても仮面にしかであえない社会。そんなものを思い浮かべますと、背筋が凍りつきますね。
日々仮面をつけたような人がいるかどうかは置いといて、素顔の見えない社会は、ヒトを恐ろしい孤独の世界に突き落とすことになる。
そんな気がしますね。
ニュートラルにおびえるのは、まだその意味をよく理解できていないからではないでしょうか。
創造のために、ニュートラルはある。
ニュートラルのエネルギーが、何をしたがっているのか、読み解くのは主人公たる「私」の役目でしょう^ね^
ハロウィンの仮装を楽しむイベントは、それの象徴みたいな社会現象なのかもしれませんね。
仮装を楽しんで罰せられない、のは、平和で寛容な社会でないと実現しないでしょう。でも、仮装でもしないと発散出来ない、強い破壊衝動……に近いモヤモヤがある社会、である気も同時にします。
祭り、って、そもそも、そういうものでしょうが。うっぷんを昇華する、と言いましょうか。破壊衝動を創造へ変換するスイッチ、と言いましょうか。
ただ、毎日祭りをやらないと気が済まなくなったら……そのヒトやその社会は、イカレてる、気がします。
毎日ハロウィンをやりたそうな気分を感じますが……それは受け手の私が病んでるのでしょうか?
仮装が楽しいのはわかる気がします。これでも元演劇部員ですから(笑)。でも。
仮装し続けるのはツラい、です。一生祭りはツラい、です。私は。
ニュートラルをおびえ、仮装し続ける強迫観念になりそうな、そんな空気感がありそうで怖いのですが……考えすぎ、でしょうか?