(前回の続きです。::初めての方へご案内。この物語は、皆様とともに心の旅をするという想定で進めています。 お時間がありましたら、カテゴリー5次元宇宙に生きる(空間) から初めて、5次元宇宙に生きる(心)、そしてこの5次元宇宙に生きる(神) へと読み進めて頂ければ幸いです。::)
さて前回、「私」を見つめる存在のことを言いました。それは、米朝落語で聴いた、闇夜にへたを付けたような巨大ななすびの噺をネタにして、宇宙空間に目玉を付けたらどうなるかと考えたのがきっかけでした。
私たちは、生まれてからこの方ずっと、自分のことを「これが私だ」と思い続けてきました。それに疑問をはさむ余地さえありませんでした。
しかし、その自分をよく観察してみれば、実は「考えている自分と」と「その自分を見ているもの」という二つの存在があるといことに気付かされるのです。
よく考えてみてください。思考(たとえばパンを焼きたいと思うことなど)はどこまで行っても虚構です。それを実行にうつして真実らしく見えるだけなのですね。つまり思考は虚構ゆえに自由に様々な発想を可能にしているのです。
一方気付きは、実在です。パンを焼こうと思っている思考の実際の動きを見守っている力といえばいいでしょうか。頭の中で虚構が動いている現実を見つめる目、それは実在そのものですね。この目(気づき)がなければ、虚構である思考はこの世に存在することなどありえないわけですね。
つまり、虚構と実在、この相反するものが一つであるはずはないわけなのです。それは異なる二つの存在からやって来ていると考えるのが自然でしょう。
一方は頭脳の働きから生まれる思考であり、他方は実在の目というわけです
つまり、「知る」という行為は、私たちの頭脳の働きに加えて、その働きを眺めている存在が必要だということなのです。それが気付きなのですね。
長いあいだそれを見逃してきたのは、この思考と気付きをひとつのものと考えてしまった私たちの思い込みがあったからです。この思考と気付きの癒着から解放されると、私たちはいよいよ、虚構の世界から実在の世界に足を踏み入れることが出来るようになります。
図のように、私を見つめる目があるとすると、その目の後ろに必ず実在がある。
その実在こそ、本当の自分だと考えられるのです。
この実在の方に軸足を置くと、私たちは自分で、自分を見ている自分を体験します。その自分を見つめる目の背後にあるものは宇宙そのものであり、それこそが私たちの本質だと言えましょう。
己を超越して実在にはいるという考えをどこかで聞いたことがありますが、それを言い直せば、思考に置いた軸足を気付きの方に移すといういうことなのです。
是非この気づきの目を体験してみてください。この目は自分のすべてを丸ごと見つめています。この見つめるものこそ、私の正体だと考えられるのです。
実在の目を想像すれば、私たちはたやすく実在に入ることが出来ます。たった一歩足を踏みこみ、実在の目を体感して、その目を通して思考する自分をながめればいいのです。
この気づきの世界を、次回もう少し詳しく見ることにしましょう
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