
御在所岳の旅
自分を好きになるという意味をはじめて意識したのはいつだったか。
遠い過去に目をやると、何かの雑誌の一枚のイラストだったような気がする。きっと小学生でした。
そのイラストはスイセンの咲いた湖のほとりで、片腕を地につけ人魚のように横座りして水面に映った自分の姿を見つめている美少年の姿で、それは自分の姿に恋をしたナルシスという神だと書いてありました。
詳細は思い出せないけれどその時のイラストから伝わる甘酸っぱい香りが、何か禁断の果実のような魅惑と怪しさを幼い私の心にうえつけられたのではなかったかと思います。
その後ダリの絵「スイセンの変貌」↑などにもであい、私の意識の中に「ナルシストというのはどこかおぞましいところがある」というマイナスイメージが出来たのです。
冷静に自分の心をあらためて眺めてみると、面白い心のドラマを観ることが出来ます。
つまり、プラスとしての自己愛的なイメージが生まれると、必ずマイナスイメージとしてのナルシストが現れて、戦いが起こるということなのです。
自己愛は水面に映った己に恋して動けない自己撞着の悲劇を生み出すと思ってしまう訳です。
一方で私は、自己嫌悪に苦しめられました。
小学時代のほぼ3年間の不登校は、今では私の宝もののようなものですが、未熟な意識から起こる自己嫌悪は、自己愛の裏返しであることに気付くこともなく負の連鎖を断ち切ることが出来なかったのです。
自己愛と自己嫌悪の間で揺れ動く心は、自分の中心を見いだせず、まるで浮草のように漂い、それは絵と出会うまで続きます。
絵は集塵機のように、私の散逸していく心をすべて一つに集めてくれました、よいものと悪しきものを同時にみながら、作品を生み出す喜びをはじめて知るようになったのです。
すると自己愛というものを別の視点から見ることが出来るようになりました。
自分を好きになる。そこにはどんな素晴らしい意味が含まれているのか、少しずつ書いて行きたいと思います。
①自分を好きになることと味わい
自分を好きになるというのは、自分に対する不満がないということです。
たとえ不満はあったとしても、味わいを楽しんでいるとき、その瞬間には自分に対する不満はありませんね。
もし、あなたが今、大好きな〇〇を食べたいと思ったとしましょう。
大好きなというだけで、あなたはその〇〇の姿形、匂いや感触を思いだし、その味覚に舌つづみを打つかもしれません。
そして実際に〇〇を口に入れた途端、あなたを魅了する味わいが全身に広がります。
おいしい!
おいしいと思わず口に出してしまうその時、自分のことを観察したらどんなことが分かりますか。
おいしい!というその瞬間、あなたは自分の感覚が味そのものになっているのです。
観察してみてください。その時あなたは別の何かを考えているわけではありませんね。
何か心配事がある時でも、おいしい!という瞬間はおいしいという感覚だけであなたは生きています。
これを逆から言えば、
心配事が頭から離れないでいるときや、自己嫌悪の思いにさらされているときには、どんなに好きな〇〇を食べているときでも、その味を深く感じることは出来ませんね。
味わいよりも仕事、味わいよりも心配事、味わいよりも見栄・・・
日常生活を思い浮かべると、食生活の驚くほどの割合で味わいは二の次にされているのです。
なぜでしょう。ざっくり言えばそれだけ生活に追われている訳ですね。自分を好きになるゆとりもないわけです。
自分など取るにならない。そう思うのは人情です。謙虚な人ほどそう思うことが多いでしょう。
そして誰でも、取るに足らない自分を心から好きになることは出来ませんよね。つまり私たちの大多数は、自分を好きになれないまま、嫌いでもないからまあいいかという程度で日常を過ごしている訳です。
けれどありがたいことに私たちは、おいしい!と感じる事が出来るのです。
何故ありがたいのかと言えば、その瞬間私たちは全身で好きな食べ物をを味わっているからです。そしてその自分を丸ごと感じている、「自分が好き状態」を体験しているからなのです。
おいしい!それは一切の義務も責任も、心配も不安も、何もかも忘れた一個の生まれたままの自分でいる瞬間なのですね。
おいしい!
そう感じるとき、自分を否定する想いは微塵もありません。しあわせはそこにありますし、それこそ自分を好いている心の状態なのですね。
自分を好きになるというのは、ニンジンを好きになるというようなものではなくて、今の自分を無条件に受け入れるということで起こるのです。
すると、もっともっと自分を好きになる方法が見えてきます。
それはおいしい!から出発します。
それは自然に、食べ物を深く味わう方向に向かうでしょう。
はっきりした意識のもとであなたは自分の味覚を感じるはずです。
それはあなたが自分を好きになっている瞬間なのですね。
一家団欒の食事では難しいですが、一人で食事をしたりコーヒータイムなどに味覚に意識を集中して瞑想してみてください。
味覚はどんな時でも純粋に自分自身だということに気付くはずです。
そしてその時、充実感を感じていると思います。
理解していただきたいことは、この充実感こそ自分を好きになると感じる心のあり方だということです。
自分を好きになると、食事を深く味わうことが出来るようになる。そして味覚を大切にすることは自分を好きになること。このしあわせの輪にあなたは気付くでしょうか。
味わいにはこのように自分と出遭い、自分を好きになる魔法の輪が隠れているのです。
自分を好きになる本当の意味 ②うつくしい
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