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のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

神ということ1

2018-01-27 | 5次元宇宙に生きる(神)

神のすべてを見ることも語ることも出来ない

 

 

悪いことをしたら罰があたって地獄に行くよ。天国に行きたかったら、悪いことをしてはいけないよ。人が見ていなくても神様はいつも見ているからね。

 

幼少のころ大人から聞かされた神様との初めての出会いでした。

その神様は今も私の中で生きています。生きているというのはおかしいのですが、その時に与えられた神様のイメージは私の核心のところで今も揺るがないのです。

 

小学生の頃、学校の図書館で洋画の挿絵入りの聖書物語を見つけ、これが神様なのだと思いました。イエスキリストが私の神様のイメージの中に鮮烈に広がっていったのです。神様は人間の罪を背負ってその命をささげてくれる。旧約聖書の物語がまるで黄金のように輝く世界に見えたのです。

 そのうちに地域に意識が向くようになると、村祭りなどを通して、神さまは神社にいることを知りました。お願いする神様。その神さまが、集落の氏神様やつじ辻にいる地蔵様へと広がって行きました。

やがて身近に死を体験します。好きだったおばあちゃんが目を覚まさない。死というものが現実に私の前で悲しみと共に起こりました。母の号泣に恐れを抱きながら私は人の死と悲しみを刻み付けられたのです。

葬儀が終わり、仏壇に手を合わせる母を見ながら、私はなぜイエス様が来ないのか分かりませんでした。神社から神様が来ることもありませんでした。

おばあちゃんは阿弥陀様のところに逝ったのです。母の悲しみが仏様の前で癒されていくのをみて、私はいつも自分をみてくれている神様がイエス様なのか阿弥陀様なのか八百万の神々なのか分からなくなりました。

なぜと言えば、おばあちゃんの逝った阿弥陀様ですら、日が経つうちにただの仏壇となってしまったのですから。その上、好きだった叔父さんの宗旨替え騒動に、神様は混乱するばかりだったのです。

 

子供のことですので深くは考えませんでしたが、

誰が見ていなくても心の中まで見てくれている神様というイメージは、そんな混乱の中でも消えませんでした。

幸いなことに、それは、監視されているという負のイメージではなく、見守ってくれているという、母親のような温かさと父親のような神秘性を持っていて、私はよく山端の空をぼんやり眺めているような子供でした。一種のそれは憧れのようなものでした。

無意識に神様と話をすることもあったのでしょう。そんな私を見つけてはやしたてる学友と、処し方が分からず不登校に陥っていく自分の心の中に、友だちよりその憧れの方に一層強く惹かれたのかもしれません。

日暮れに屋根に上って寝転がり、夕闇がやって来る空の変化に見とれ、やがて満天の星を息をのんで眺めていました。下での私の捜索騒ぎも知らずにです。(とにかく叱られました)

 

そんな子供時代を故郷に置いて、海の見える世界に出てきた私は、世間という広さを心身両面で感じますが、同時に「宗教」という言葉を知るきっかけから、故郷の神々が宗教の枠組みの中で様々に分類されていることを知りました。

そして私を驚かせ傷つけたのは、その分類された宗教の神々が街を破壊し人を殺しているということでした。無論それを実際に見たわけではありませんが、私にやってくる知識は、信じられない宗教の争いや恐ろしい迫害のイメージを生み出したのです。海外でも日本でも、それはどこにでもあるように思えました。

黄金のように見えた聖書物語の世界は嘘だったのでしょうか。

叔父の宗旨替え騒動で対立する大人達を見て、どちらも私の好きなやさしい叔父同士が、私たちより偉いはずの神様のことで言い争うのを見て不思議でなりませんでしたが、世界にはもっと大きないさかいがあるなどと考えたこともありませんでした。

宗教の中には、自分の信じる神を受け入れない者を異教徒とみなし、まるで間か悪魔のように見下し、それゆえ破壊し人を殺しても良心の呵責を覚えるどころか、それが神に讃えられるというような歴史があります。それが今も延々と続けられているのです。そんな神が本当にいるのでしょうか。

 

悪いことをしたら罰があたって地獄に行くよ。天国に行きたかったら、悪いことをしてはいけないよ。人が見ていなくても神様はいつも見ているからね。

そんな神様を素朴に慕い敬う人々の、最も中心にいるべき宗教が悪いことをするわけがありません。

そんな私の確信は今も変わりません。

けれど、この恐ろしい現実をどう考えていいのか分からないのです。

それでもこの現実を受け入れ理解するためには、悪くないはずの宗教がどこかで間違えてすれ違っていることを証明するしかないのです。

その証明はどこにあるのか。

 

私にとって幸いしたのは、文献を読みあさる能力がないということでした。

知識欲も旺盛な時に、文献の中に知識を追い求めて行こうとする自分がありましたが、サルトルの書籍一冊も読み切れない自分に愕然としました。そんなことですから、どんな経典であれ読み切ったという記憶はありません。もしそんな能力があったら、おそらく今頃膨大な文献にうずもれていたことでしょう。

こんな私にも、人並みに失恋がやってきたのです。

すべてを失った、がらんどうの胸中に打ちのめされ、むなしい自分の心に立ち向かったとき、自分のまわりの友人や職場の人々の心のむなしさを同時に味わいました。

誰も私を見ていない。私にかまうものは一人もいないのです。親友には私の方から遠ざかる始末でした。このみじめさを見られ、慰められるのが耐えられないのでした。

 

そんな時、誰からも見られていない孤独の中でひびいてきた言葉がありました。

人が見ていなくても神様はいつも見ているからね。

この瓦礫のような心を見ていてくれる神様がいるのだろうか。その問いかけの答えはすでに幼少のころから持っていました。ようやくそのことに気付いたのです。

そうです。

この心のどこかに、私を見守ってくれている「眼」があるのです。それ なら、この心の中を探すしかないと思いました。

その「眼」に出遭う事が出来たら、それが私のやるべき証明だとはじめて理解できたのです。

その証明が出来たら、世界のどんな宗教でも真摯なものである限り、無神論者も含めて間違いなく崇高で正しいと言えるようになる。敬虔な信者の心はすべて等しく称賛される、人として最高の人生を送ることが出来るのです。

なぜならどんな人の心の中にも、どんな孤独の中にいる人の中にも、自分をみてくれている神様がいるのですから。

 

その神様は文献の中にはいない。自分のこの心の中にいるのです。

私の心の旅がそこから始まりました。

それは絵を描きはじめるのと同時だったのです。

 

人類の宝物である宗教ですが、この現実にある不幸な誤解と行き違い はどこに原因があるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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30 コメント

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くるりと回ったら元に戻る (のしてんてん)
2018-02-03 10:03:14
むっちゃんのいうとおり、最後ははちみつレモン。

私はやっぱ。ビールがいいですね。あては何でも、欲は言いません。

十牛図というのがありますが、人が牛(しあわせ・悟り)を探して旅に出て、やがて帰ってくる話で、その段階を十の絵にしたもので、真理を辿って行ったら結局自分に還ってくる。真理は自分だったというおちですね。

青い鳥もまあ、そんなお話ですね

つまりすべてこれ、自分探し、自分に納得出来たら無駄に苦悩する必要がなくなる。
それだけのことなんです^ね^

一回りして普通に戻る。この意味のないように見えることで、一番大きな効用は、こだわりというか、心の呪詛が解けて自由になれる。そういうことなのかもしれません。

返信する
わはは!(ゲホゲホ、失礼しました) (むっちゃん)
2018-02-02 14:45:03
どーも、笑うと咳が出るむっちゃんでございます。

何でも溶かす液体は最終的に地球を溶かし、真空の宇宙に球形で浮かんでいる。

シュールですが、風邪引きでなくともボケてる私が哲学系のお話をちょっと真面目に考えると浮かぶイメージに、なんとなく近いですね、不思議ですが。

そして浮かんでしまうのが。
『気持ち悪い、そんなに突き詰めんでもえーやん。形の一切を奪った真理(真空でも神でも何でもいいです)はすでに生命体ではない。真理がどーとかよりも、私は生命体として気分よく生きたいし、時期が来たら気分よく死にたいんだ!』
とでも言うような、一種の逆ギレ的感情です(笑)。

哲学向き人間ではない、ということでしょうねぇ。
そういう類いのことを考えるのは決して嫌いでないのですが、突き詰める前に萎える、のでしょう。

あかんたれは大人しく、はちみつレモンでも飲んで帰りましょう(笑)。
返信する
むっちゃん様 (のしてんてん)
2018-02-02 09:51:57
いろいろ気を使っていただいてありがとうございます。

風邪の具合はいかがですか。
少し寒さが緩んできましたので、いくらか過ごしやすくなってきましたが、用心して完治してください^よ^

それにしてもすごい話ですね。
話をそらしてしまうのですが、思い出した物語があります。

それは何でも溶かしてしまう物質を発明した科学者が、自分は悪魔を創ってしまったと嘆くのです。

なぜなら、その物質を入れる容器がないのですね。ガラス瓶などあっという間に溶かされてしまいます。鉄でも鉛でもとかないものはない。
とうとう地球を溶かし、科学者は当然その物質に溶かされて地球の形をした溶液が宇宙に浮かんでいる。

溶液になった科学者は初めて歓喜の声を上げます。私の発明を閉じ込める容器をやっと見つけたと叫んだのです。

そうです。何でも溶かしてしまう物質を保存する容器こそ真空の宇宙。この空間だったのです。

とまあ、こんなお話し。(詳細は覚えていないので)

Unknownさんとのやりとりは、こっちの話のようでもあります^ね^

そうそう、笑いは百薬の長と言います。
しっかり食べて、しっかり休んで、一杯笑って、風邪治して^く^だ^さ^い^

返信する
Unknown様 (のしてんてん)
2018-02-02 09:16:40
気分を悪くしたわけではありません^よ^
もしそう思われたのなら、私の記述のどこかにUnknownさんの優しさを傷つけるような書き方があったのかもしれません。

しかしこれは、おたがいに相手が電子情報以上のなにものでもありませんからね、つまり情報に基づいた互いの妄想だと、・・・こんな話が出来るお方だとお見受けしております。

是非もう一度読み返してみてください。当初の思いはもうないはずです。

私はただ、次のステップに足を踏み込んだだけですから、そのことがどこかでUnknownさんとつながるのではないかと思うばかりです。

分かり合えるかどうかは未知数ですが、互いのやりとりが、どこまで深いところに行けるのか、それが私の最大の関心事なのです。

分かり合えるというより、互いの情報からいかに自分の心を深めることができるかなのです^よ^

しつこいですが、真の意味で私たちは分かり合えません。
なぜって、互いに肉体がないのですからね。自分で作る想像の肉体に、あるいは精神に語りかけているのですよ、私たち^は^。^

Unknownさんなら分かって頂けると信じております。


返信する
Unknown (Unknown)
2018-02-01 13:19:49
お気遣いありがとうございます。
私が思うところの実存は受動態と能動態ではありません。
一つは私がここにコメントした様なことであり
もう一つは、真鹿子さんがコメントしている様なことです。
分かり合える地点がどこまでかが分かったので良かったと思っています。
返信する
雑談に来ました (むっちゃん)
2018-02-01 11:16:54
どーも。
只今風邪引き(治りかけ)です。
まあ、ネット上の喫茶室ならバイオハザード?を起こす事もないでしょう、雑談、参加させていただきます~。

Unknoun様、マスターは多分、気分を害したりはしてないと思いますよ?

言葉を言葉で説明していくうち、議論の為の議論に落ちてゆきそうだから歯止めをかけた、そんな気が私は個人的にしました。

脈絡なく思ったのは。
生きてゆくの、しんどいですよね~。
という、感慨というか、ボヤキ(笑)。

へっぽこ物語書き・かわかみれいが以前書いてボツった(苦笑)お話に出てくる少年をふと思い出しました。

彼は理系少年ですが、マッドサイエンティストの卵、みたいな所がありまして。
彼の野望は、全世界のありとあらゆる生命体を一瞬にして消滅させる薬品もしくはウイルスを開発する事。
その野望を知った主人公に当然ドン引きされますが、二人は結構いい友人になり……云々、とまあ、そんなお話。
個性的な少女キャラも二、三、出てきまして、意外にも淡く切ないラブストーリーでもあります。

読んでもらった友人からは『内容、詰め込み過ぎ』との苦言をいただきました(苦笑)。

それはともかく。
この理系少年が何故そんな極端な野望を持つに至ったのか?
彼の心を探って行く内(作者であっても登場人物の全てが隈無くはっきり、当初から見えていませんので)、彼が、要するに自分が嫌いであること、この嫌いな自分を生み出した親(特に自分と気性の似ている父)を嫌悪していること、生命を次世代へと繋ぐ衝動(要する性欲)は表面的な記号に無批判に反応するのだ、という部分への潔癖なまでの嫌悪……などが見えてきました。
彼は思います。
『生命体の、生きたい、生き続けたい、命を次に繋げたいという衝動に、そもそも意味など無いのだ。
これは、呪いだ。意味なくこの衝動のままに生き、命を繋げようとしている生命体たちの呪いを、
自分の手で必ず解く!』と。

まあ、所詮?かわかみれいのお話のキャラクター。
その後彼は、生まれて初めての真剣な恋をし、自分が本当に欲しかったのは呪いを解く魔法の鍵ではなく、生きていることが呪いとしか思えない自分に、黙って寄り添ってくれる優しい誰かだったと気付く、というストーリーですけど(笑)。


マスターのおっしゃってる事もUnknoun様のおっしゃってる事も、ものすごーく単純に、ものすごーくおおざっぱにくくってしまうなら。

この理系少年の感慨にどこか通じるような気が、風邪引きのボケた頭ながら思いました。

長々と失礼しました。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-02-01 09:53:13
長々と失礼しました。
気分を悪くさせてしまったことをお詫びします。
実存には私が思う限り二つの側面があるということです。
返信する
実存は実存 (のしてんてん)
2018-02-01 09:13:44
どうとでもいえる領域で、答えはないと思いますよ。

どちらかに答えればどちらかが壊れる。
言葉の本質ですね。

飼い慣らされている?
誰が?誰に?
人間が神に?民衆が国家に?己が実在に?中動態が受動・能動態に?人とは何?神とは何?国家とは民衆とは?・・・・・・

実在をいかに言葉で表そうとしてもそれは無理な話ですね。

実在を知りたければ中に入りなさい。
よく使われる言葉だと思いますが、ここが人間がやってこれる最果てだと私は思います。

愛でも習慣でも不足でも、何でもいいということですね。あとはその言葉の生まれたそもそもの実在を受け入れしかないのでしょう。

ちなみに「不足」はいのちそのもの。宇宙の動く根本ですよ^ね^
国家・経済など小さすぎるという考えもまた是と言えるのですから。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-02-01 00:05:58
何故現実というものが、未来においての選択、即ち、希望を持たせ、それを拠りどころとして、社会や宗教や文化といった積み重ねられたものを可能にし、経済活動という、ある意味無い物ねだりに慣れ親しませる構造を維持し続けることが出来るのでしょうか。

それは、現実というものが、選択を可能にする為に必要な「不足」というものを担保することでしかあり得ないのではないかと思うのです。
言い換えれば、不足という欲望を喚起することで現実を支えていると言えるのではないでしょうか

その不足という欲望を生成するシステムとして、尚且つ、それを担保する為の装置が、私たちが拠りどころにしている社会であり、国家であり経済であり、様々な組織であることは間違いないと思われます。

要するに、実存はシステムから受動と能動の繰り返しによって飼い慣らされている存在と言えるのではないでしょうか。
返信する
Unknown様 (のしてんてん)
2018-01-31 22:41:22
実在はただ在るということです^ね^
返信する
Unknown (Unknown)
2018-01-31 12:30:19
おっしゃるとおり希望は未来という時間に対する意識の在り様です。
希望は慣れ親しんだ習慣に支えられた土壌があればこそ芽生えるものです。

希望は未来に対する選択であり、現実はその選択そのものを可能にしている今の在り様です。
未来に希望が持てない現実が決して肯定されることがないように、常に未来を希望すること、即ち選択可能であるということが現実において最も尊重されるている意識の在り様です。
しかし、希望することでしか現実を捉えられないのであれば、それはただ単に、無い物ねだりに他ならないのではないでしょうか。
返信する
Unknown様 (のしてんてん)
2018-01-31 06:13:38
仰る通りですね。
その方がより現実的だと思います。

「希望」には当然ながら未来への要求が含まれますが、「習慣」には、今まさに生きている現実の重みがありますね。

そしてこの、

「拠りどころとしていたはずの常識では考えられないことが起きて、初めてそれが思い込みであり、慣れ親しんだ習慣であったことに気付くのではないかと思うのです。」

私には完璧に見えます^よ^
返信する
Unknown (Unknown)
2018-01-31 00:49:38
希望というよりは「習慣」と言った方がいいのではないでしょうか。

過去において様々な出来事を経験したことが、思い込みをより確実なものとして、更には、当たり前なこととして、やがて、気にする必要もない常識として積み重なり、それで分かったつもりになっているのではないかと思います。

拠りどころとしていたはずの常識では考えられないことが起きて、初めてそれが思い込みであり、慣れ親しんだ習慣であったことに気付くのではないかと思うのです。
返信する
身に染みて共感します (のしてんてん)
2018-01-30 21:26:00
そもそも私たちの出発点であるこの意識に根拠などありませんからねぇ

静かに眠っていればいいものを、たまたま自分に気付いてしまった。そんな感じでしょうか。

神を思いつくのもまた根拠なき思い込みですもの^ね^

怖いのはデタラメと思えばそれは成立しますし、聖敵と思えば何の不都合なく成立する妄想の中、

Unknownさんの言われる
「昨日も今日も何とか過ごせた、だから明日もなんとかなるだろう、というこの根拠なき思い込み」
この{希望}がとても必要なのですよ^ね^

その希望の中心で輝く「神様」という妄想、それはまかこさんのいう「宇宙神」であったり、Unknownさんの「分かり合えない世界を見る者同士が、たまたま何かにおいて分かり合える」瞬間であったりするのでしょう^ね^。^

Unknownさんの切り口はいつも驚かされますし、その分、思いの幅を拡げてくれます。心から感謝申し上げます。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-01-30 16:47:14
「辛い時間はもうウンザリ」・・・
「辛い時間」という言葉が意味するものは人それぞれではあるけれど、分かってくれるであろうという期待と予測、即ち、根拠の無い「思い込み」がなければ社会にしろ、宗教にしろ、音楽にしろおそらく成り立たないでしょう。

昨日も今日も何とか過ごせた、だから明日もなんとかなるだろう、というこの根拠なき思い込みがあればこそ、人は関係を築くことができ、世界が全くもってデタラメではないと思うことができるのではないでしょうか。
この根拠なき思い込みと呼ばれる「妄想」は、人間が生きていく上で欠くべからざるものとして間違いなく拠りどころにしています。
返信する
折師様 (のしてんてん)
2018-01-30 10:00:35
『Hard Times Come Again No More 』
本当にいい歌ですね。

フォスターは有名で私も知っていましたが、
ラジオに流れてくる曲を聴く程度で、歌詞を英文で見たのは初めてでした。

「南北戦争の兵士の心を謳うための曲」ときいて、心がガッテン合点です^ね^

それにしましても折師さん、迷って下さ^い^
迷うときは公正明大に迷えばいいのです。ていうか、私も含め皆迷っているのですよ。

世の中はこれだと断言してゆずらない人にだけは、
正直巡り合いたくないです^ね^

私も、皆様に感謝・感謝^で^す^


返信する
Unknown様 (のしてんてん)
2018-01-30 09:36:37
『Hard Times Come Again No More 』
有名なアメリカの作曲家でフォスターの曲です

そうでした^か^。^

英文のUnknownさん、別の方と思ったものですから(ちょっと心当たりあったもので)

で、折師さんのコメントを見て私も調べてみましたらありました。とてもいい曲です。牧歌的で一緒に泣けてきそうな歌と感じました。次のような翻訳を見つけました。
-----------------------------
Hard Times Come Again No More 日本語詞/室矢憲治 作曲/Stephen Foster

きらめく夢も歌も友も いつしか風に散りました
胸に残るは 儚き祈り Hard times come again no more
こぼれる涙 星となり いつかこの闇を照らせよ
生きて行きましょう ほほえみ消さず Hard times come again no more

せつない想い 胸に秘めて あの人ひとり逝きました
誰を責めましょう 夕焼け抱いて Hard times come again no more
時の風にまかれ追われ 疲れ壊れた夢人たちよ
生きて行きましょう 在るがままに Hard times come again no more

くちびる噛んでも笑ってみせる 情けを忘れないで
生きて生かされてこの世は巡る Hard times come again no more
こぼれる涙 風となり いつかこの頬を撫でてよ
歩いてゆきましょう 大地踏んで Hard times come again no more
------------------------------
私のgoogle訳がこんな見事な日本語の詩になるんですね。

言葉のこだわりを捨てて、意訳する極意を見た気がしまし^た^(自分のヘボを棚に上げ)

返信する
まかこ様 (のしてんてん)
2018-01-30 09:05:30
いつも思いますけれど、まかこさんの宇宙詩・宇宙観は私にほとんどストレートに伝わってきます。

宮澤健二の世界もそうですが、ねっとりした宗教のイメージに対して、科学的なあっさりしたレモンが添えられているというような感じ。

それがとても好きです。

そこに永遠という言葉の感覚を振り掛けて、まかこさんシェフの宇宙食の出来上がり。

耳拡大?

宇宙食の食べすぎでしょう^か^
痛みがなければ心配ないと思いますが、気になるようなら、どこか頼りになりそうなところに相談して下さいね。


返信する
左耳真鹿子 (真鹿子(まかこ))
2018-01-30 04:37:12
のしてんて様
おはようございます!

神の眼(まなざし)
常に見守っくださっている
あたたかく穏やかな眼(まなざし)
わたし感じています☆

けれどもそれは空想?
幻想かもしれません。
でも空想でも幻想でも、
優しく見守っくださる眼差しは、
うれしくて有り難いです^ね^

そもそもわたしたち万物すべて、
そして地球人類は、
物質の概念を超越している
未だ未発見無限数の宇宙素粒子で構成されている宇宙空間、人型の宇宙空間です。

心身宇宙も外宇宙も空間直結一体
宇宙創造主である宇宙神の
気エネルギーがみなぎっています。

因みに、心身宇宙と外宇宙直結一体の宇宙は、
多次元、無限次元の宇宙だと想像していますが、わたくしもまとっている三次元が、
解き放たれるほど、宇宙と深く一体となること
梵我一如を目指しています。

ところが、左耳が成長しはじめました。
痛いわけでも腫れているわけでもなく、
まさに成長しているのですが、
一回り以上大きくなっています^よ^;;
髪の毛がふんわり被さっているので
気にならないのですが、
どこまで大きくなるのかとても不思議です。
右脳と何か関係があるのでしょうか?
不思議ですU^ェ^U!

それでは今日も、
かけがえのない唯一無二の1日、
素敵な時をお過ごしくださいませ☆

Unknown様、折師様、
お心遣いありがとうございますm(__)m
今日もどうぞ
素敵な時をお過ごしくださいませ☆


感謝一念
まかこ 拝
返信する
熱い議論に凡人が迷い込む(笑) (人生の素人:折師)
2018-01-29 21:46:46
 夜勤明けの意識半分だった目が一発で覚めました。
 Unknown様とのしてんてん様の意見交換に。2ページ以内で文庫一個分並の真摯さが詰まってる気が…感謝です!

まず「Hard Times Come Again No More 」という曲を識るきっかけと、この記事を下さった両名に本当に感謝です! スラングが多かったため和訳を諦め、曲とわかった時点で歌詞検索しました…南北戦争の兵士の心を謳うための曲でしたか…。

 凡人が…ゲームばかりやっている両者から見たら地の底にいる凡人的に想った事を。…コメントは書かないと伝わらないという偽善独善の下に。

 「どっちも正しい。今は答えが出ない…つまり保留! 理由?情報不足では。」
…元ネタ(?)はアインシュタインの”神はサイコロをふらない”です笑
…わからない現象はまだ不特定な要素がある。ボーアの確率論に対して「運任せって…思考放棄するな」的に言った言葉だったかと。

 分かり合えないと思った人と分かり合えときの喜び、偶然阿吽の呼吸が合った時の喜び…確かに感じたことはあるんですが…たしかに分かり合えない人はいない可能性もわかるんですが…神がいると信じたり信じなかったり迷走していますが…

真鹿子様の言葉も理論で裏打ちできるとは思います。もっと素粒子、そのもっと先まで行けば…ラプラスの悪魔でしたっけ…(うろおぼえ:全ての要素・作用がわかれば、全ては一つの事象として未来も予測できる)

 最後は独善の全てで〆たいと想います。
 
「この記事とコメント欄、とても興味深いと想った!!だから皆様には感謝!!!」です。



 
返信する
Unknown (Unknown)
2018-01-28 22:19:15
真鹿子さんがこの世界が宇宙神と一体であると言うことと同じように、私にとって世界という外部は、ただ単に物質という次元ではなく、それに関わることで何かしらの意味付けを施した世界です

ですからそれは、当然、私以外の他の人にも当てはまることであり、五次元という意味付けも宇宙神と一体という意味付けも、人それぞれに施された世界である以上、誰もがこの世界を同じ様に捉えることは不可能であると思うのです。

しかし、分かり合えない世界を見る者同士が、たまたま何かにおいて分かり合えることがあるわけですから、わざわざ神様など持ち出さなくてもいいような気がします。

『Hard Times Come Again No More 』
有名なアメリカの作曲家でフォスターの曲です
返信する
☆ありがとうございます☆ (真鹿子(まかこ))
2018-01-28 20:28:17
Unknown様
こんばんは!

コメントありがとうございます^^☆

「真鹿子さんは宇宙神と共に歩んでいくのでしょうが、私は分かり合えない他人と一緒の方がいいです。」と云うことについてですが、

これはいいとかわるいとか、
好きとか嫌いとかの問題ではなく、

わたしたち宇宙の万物はすべて
常に宇宙と直結、
常に宇宙神と一体なのです。

ですから、
「分かり合えない他人と一緒」に、
歩いていましても、
常に宇宙と直結
常に宇宙神と一体なのです。

つまり、
「分かり合えない他人と一緒」に
歩いる場合でも、
同時に常に宇宙と直結
同時に常に宇宙神と一体状態ですから、

結局「分かり合えない他人と一緒に、
宇宙神と共に歩いている」
と云うことにもなるのですが、

わたくしの表現力不足で、
ご迷惑をおかけいたしまして、
申し訳ございませんm(__)m
これからなんとか改善方向に
進めますよう努力いたしますので、
宜しくお願い致します^^

今夜も大変寒く冷え込んでおります。
どうぞご自愛くださいますよう
温かくしてお過ごしくださいませ☆

お気遣い感謝申し上げます!
真鹿子 拝
返信する
Unknown様 (のしてんてん)
2018-01-28 19:13:30
あの、すみません・・・上の英文Unknownさんでしたか・・・・

英語苦手で、うろたえ^ま^し^た^

Googleの翻訳、なかなか上手と思いませんか?
返信する
Dear Unkuown (のしてんてん)
2018-01-28 18:56:53
Thank you for the poetry of human sorrow.

I am poor in English, I can only say such gratitude, but please forgive me.

I understood your message as follows.

私たちは皆、哀れみを抱いていますが、私たちの耳に永遠に残る歌があります。

この歌、疲れた一瞬の吐息、苦しい時、苦しい時代、もう一度やってくることはないいつもあなたは私のキャンドルドアの周りにいました。

私たちが喜びと美しさと音楽の光と楽しみを求めているうちに、虚弱な形がドアの上で気絶しています。彼らの声は静かですが、彼らの嘆願は言うでしょう。

この歌、疲れた一瞬の吐息、苦しい時代、苦しい時代、もう一度やってくることはない。多くの日、あなたは私のキャビンのドアの周りをくぐり抜けていた。

彼女の人生を疲れさせている痩せた少女がいます。疲れた心で、より良い日々があります。彼女の声はおいしいでしょうが、一日中一杯になってしまいます。

歌、疲れた一瞬の吐息人間の、苦しい時代、苦しい時代、もう一度やってくることはない。多くの日、あなたは私のキャビンのドアの周りをくぐり抜けていた。

苦しい波の向こう側に漂っている吐息、岸辺で聞こえる嘆きです。墓地のまわりで騒がれている挽歌です。

歌、疲れた一瞬の疲れ、苦しい時代、苦しい時代、もう一度やってくることはない。多くの日、あなたは私のキャビンのドアの周りをくぐり抜けていた。

返信する
まかこ様 (のしてんてん)
2018-01-28 18:45:30
いつものことですが、まかこさんの宇宙への憧憬と理解しようとする道筋が私の心を喜ばせてくれます。
---------------------------
この摩訶不思議奇跡宇宙は、
創造主であられる宇宙神の
宇宙神経の神の経糸で、
宇宙全体を網羅、
森羅万象万物すべての
極微な細部に至るまで網羅☆
宇宙神と宇宙万物、地球人類も、
緊密に連結連動しています
----------------------------
これこそ私の思い描く神の姿を過不足なく想起させてくれます。
Unknownさんではありませんが、分かり合えない私たちの最善のコミュニケーションと言えるものでしょう^ね^

言葉のキャッチボールをしながら、互いに自分の心を勇気付けたり喜んだり。相手がいなければ出来ないことですものね。

「地球の爆弾すべて花火となれ!」私も、
決して諦めません!

この絵ですけど、GOOさんのこのブログ、今は使えないのですが簡単なお絵かきソフトがついていまして、毎回記事ごとにお絵かきしていたものです。ですのでもう十数年前のものでしょうか。
いつも鉛筆の世界にいますので、ここで色と遊ぶのが面白かったです^よ^

坂道を行く難場歩きのまかこさんを私、宮崎駿の名場面と重ねあわせて想像しております。注意を怠らず足元しっかり歩いてくだ^さ^い^ね^


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Unknown様 (のしてんてん)
2018-01-28 18:15:09
「人は基本的には絶対に分かり合えない、という前提がなければ宗教も社会も成り立たないのではないでしょうか?」

Unknownさんの仰る通り、私の考えもおそらく寸分たがわず同じではないかと思います。そして記事の核心をいつも喚起していただきありがとうございます。

分かり合えないからこそ芸術があり愛があるわけですが、問題なのは分かり合えないという嘆きではなく、「分かった」と思い込む心なんだと思います。

「分かった」という誤解が慢心と強制を呼び、独善がはびこる。宗教の陥るもっとも悲しい姿なのでしょうね。

不幸なのは「分かり合えない」ことではなく「分かった」と思いたい人間の欲、それ以外に私には思いつきません。

「分かり合えることを強制するものが過去に多くの不幸を招いたことはまぎれもない事実です。」
私もまさにこれが憂うべき人間の不幸だと思います。

私たち人間は例外なく個として存在し「私空間」の中から一歩も外に出ることは出来ません。誰からも理解されず、誰をも理解することが出来ない。これは宿命と言えるものでしょう。

私たちはそこからスタートするしかないのです^ね^



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Hard Times Come Again No More (Unknown)
2018-01-28 16:19:28
真鹿子さんは宇宙神と共に歩んでいくのでしょうが、私は分かり合えない他人と一緒の方がいいです。
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Unknown (Unknown)
2018-01-28 16:07:27
Let us pause in life's pleasures
and count its many tears,
While we all sup sorrow with the poor
There's a song that will linger forever in our ears
Oh, Hard times come again no more.

Tis the song, the sigh of the weary,
Hard Times, hard times, come again no more
Many days you have lingered around my cabin
door
Oh, hard times come again no more.

While we seek mirth and beauty and music light and gay,
There are frail forms fainting at the door
Though their voices are silent,
their pleading looks will say
Oh, hard times come again no more.

Tis the song, the sigh of the weary,
Hard Times, hard times, come again no more
Many days you have lingered around my cabin
door
Oh, hard times come again no more.

There's a pale drooping maiden
who toils her life away,
With a worn heart whose better days are o'er
Though her voice would be merry,
'tis sighing all the day,
Oh, hard times come again no more.

Tis the song, the sigh of the weary,
Hard Times, hard times, come again no more
Many days you have lingered around my cabin
door
Oh, hard times come again no more.

Tis a sigh that is wafted across the troubled wave,
Tis a wail that is heard upon the shore
Tis a dirge that is murmured around the lowly
grave
Oh, hard times come again no more.

Tis the song, the sigh of the weary,
Hard Times, hard times, come again no more
Many days you have lingered around my cabin
door
Oh, hard times come again no more.
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私の場合は宇宙神とともに (真鹿子(まかこ))
2018-01-28 15:52:23
のしてんてん様
こんにちは!

私の場合、
この摩訶不思議奇跡宇宙は、
創造主であられる宇宙神の
宇宙神経の神の経糸で、
宇宙全体を網羅、
森羅万象万物すべての
極微な細部に至るまで網羅☆
宇宙神と宇宙万物、地球人類も、
緊密に連結連動していますが、

宇宙神は、わたしたちの知らない自分も、
わたしたちの知らない未知領域も、
熟知されておられて、
万物はすべて常に宇宙と一体であり、
宇宙の一部♪極小奇跡の一部であります。

これからも宇宙神との一体感をますます深め!
万物すべてのお役に立てますよう☆
微力ながら精進させて頂きますね。

また「地球の爆弾すべて花火となれ!」も、
決して諦めません!
さげすみの言葉、馬鹿、アホ
何と呼ばれましても
諦めません(=^ェ^=)♪
がんばりますね。

またこの度は、
目の覚めるような光体絵画を
ありがとうございます。
覚醒絵画でしょうか
覚醒波動☆放(花)っています^ね^
これからもどうぞ
よろしくお願いいたします。

感謝感激!
まかこ 拝

追伸

のしてんてんさん!
難場歩き♪
してますよ。
買い物の行き帰り
帰りは買い物をさげて、
心身ともに難場歩き
お陰様で気分爽快☆♪
これからも
難場歩きます^ね^!
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Unknown (Unknown)
2018-01-28 10:14:30
人は基本的には絶対に分かり合えない、という前提がなければ宗教も社会も成り立たないのではないでしょうか?
それは、のしてんてんさんが絵を描くという事即ち、芸術を可能にしている前提と全く同じ事ではないでしょうか?
人間がお互いに理解し合えないのは不幸であると嘆いたところで、それは安っぽいヒューマニズム論でしかないように思えます。
分かり合えない事が前提としてあるが故に、幸せが幸せとして感じられ、尚且つ、神さまが神さまとして望まれるのではないでしょうか?
分かり合えることを強制するものが過去に多くの不幸を招いたことはまぎれもない事実です。
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