![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/a0/eea8fc2be5ecd77ac4d899e81aaae38c.jpg)
写真に見る飾り結びが、宇宙とヒトの関係を示す優れたモデルだということは、すでに
(1)(2)(3) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/18/6d66a4e0eeb7af8ba3a8abccb3a5eba4_s.jpg)
と述べてきました。この時ひもは宇宙とヒトのエネルギーの流れる道筋に例えることが出来るのでした。
そこで今回は、この飾り結びモデルを使って、自我とは何かという問を考えてみたいと思います。
端的に言って、自我とはこのモデルから見れば、ヒトの円相の赤い色の部分だと考えられます。
その大きな特徴は、赤色のごとく閉じた円を描いています。宇宙の中に一つの閉じた円相を作っている。このポイントは、円相の下にある交点です。エネルギーがここを通過するとき、自我を手放さないために何度もこの赤い円を回転している。これが自我だと考えられるのです。
すると一見してわかるように、我とは個であり、個は孤独を生み出します。
そして考えてみてください。私達が自分を認識し、世界を知るということは、すべてこの円相(自我)を基準にした認識だということを。
私達は日々、様々なことを考え、人を気遣い、明日を心配するわけですが、それは自己があるからなのですね。
自己として閉じた円相をつくることによって、私たちは世界を認識する土台をつくりあげた。自分を基準にして世界を判断するということです。それが自我だと言えるでしょう。
閉じるということは、宇宙から切り離されたということを意味します。切り離されることで、宇宙を客観的に見ることが出来るようになったとも言えますね。
自我は、いつの間にか、この閉じた円相が自分自身だと思い込みました。そしてこの円相が拓かれることを、自我の死と思うようになったのだと私は思います。
自我は己を守るために、必死でこの円相を握りしめているのです。開くことを恐れ、我にしがみつくわけですね。
自我の一番の特徴は閉じた円相であり「個」だと言いましたが、この特徴が思考に現れたとき、そこに受動態・能動態が生まれます。
なぜなら、自我は当然その対極に非自我(自分以外のもの、他人や社会や宇宙)を生み出します。すると必然的に自我は、非自我と常に何らかの関係をつくり出しますね。
私達は非自我を受け取り、非自我にはたらきかけます。これが受動態と能動態の原型でしょう。
受動態は、環境に対する不満を感じ、
能動態は、よきものは未来にあり、それを得ようと思うあまり失敗を恐れるというように、
そこに様々な問題が生まれてくるのです。受動態・能動態は異なる二つの思考というより、自我の生み出す思考の裏表だということが出来るでしょう。
より良いものを求めるために欲望が生まれ、その数だけ苦悩が膨らみます。
自我の解放が死だという思いこみ
孤独に対する恐れ、
これらはすべて、我の円相を回り続ける苦と見ることが出来るわけです。
我を捨てない限り、苦悩はなくなることがありません。
それは仏教でよく言われる教えですよね。
しかし我を捨てるとはどういうことなのでしょうか。
我を捨てると言っても、簡単なことではないでしょうし、具体的にどのようなイメージを持つことが出来るのでしょうか。
飾り結びモデルは、簡単にそのイメージを描くことが出来るのです。
すでに見てきたことですが、エネルギーの道筋を示すひもの流れは。上の図のように青・水色・赤・緑・黄色と流れて大宇宙のエネルギーに還っていきます。そこにゆったりとした循環があるのですね。
(念のために言っておきますが、説明のために色を使っていますけれど、色には何の意味合いも考えていません。説明の勢いで同じ場所を違った色を塗ってしまっている場合がありますが、成り行きの着色で意味はありませんのでご理解下さい)
その流れを目で追っていると、自然に分かってくるのですが。赤い円相は交点でショートしているのですね。本来緑のルートに流れなければならないエネルギーが赤に短絡してしまい赤の無限ループが生まれる。それがヒトエネルギーとなっているのだと理解することが出来るわけです。
まず自我を捨てるということは、自我を殺すということではなく、消してしまうということでもないということが一目で分かります。
自我を捨てるということは、我の円相を作る執着をなくすということだと分かります。
執着をなくすと、同じ道を通る赤と緑のエネルギーが一つになるのです。
赤に対する執着をなくすると、減る(なくなる)のではなく増えるのですね。我という小さな円が、大宇宙の大きな円になる。このモデルでそのことに気付くことが出来るのです。
自我は自分がなくなるのを恐れます。その恐れは自我を捨てることに激しく抵抗するのですが、このモデルを見れば自我の溜飲も下がるはずです。
自分はなくなるのではない。小我から凡我に進化するのだと目で理解することが出来る訳です。
我を捨てるということは、我を殺すのではなく、我を宇宙の一部として活かすことだったのです。そうすることで我は宇宙的な大きさで生きてくる。私に突然龍の絵がやってきたのは、そのことを意味していると思えるのです。
私の例をとるまでもなく、これはいわゆる凡人が宗教や思想に左右されることなく、自然に己のままで覚醒することが出来る道筋を示してくれているように思えます。
自我を宇宙の一部として活かす。その可能性を飾り結びモデルが見せてくれる。
たとえば執着をなくするということは、上の飾り結びの図から言えば赤だけにしがみつくのではなく、緑も一緒に受け入れるということですね。
そしてそのことは、この世で起こることはすべて「よし」として受け入れることであり、その考え方が中動態という思考方法なのだと思えるのです。
中動態は、宇宙そのものである大円相を丸ごと受け入れる事ができる思考方法とも言え、そのとらえ方から己を見ると、己とは、滞りなく流れる宇宙の大円相だと理解できるようになるという訳です。
おはようございます!
飾り結びモデル☆
梵我一如をわかりやすく
解説してくださっているようで
大変有り難いで^す^
本来、私たち万物は、それぞれが
宇宙と一体!
宇宙と同素材である
素粒子で構成されている
宇宙そのもの☆宇宙の極小一部
実に宇宙同根多種多様万物一体☆
森羅万象万物それぞれの個性が、
宇宙のクローン的没個性であるならば、
宇宙は新展開もなく、第一成り立たないでしょうね。
私たち万物はそれぞれが
宇宙と一体であることを自覚することによって、
それぞれに天与されている個性を、
個性豊かに成長発揮♪宇宙に活かし、宇宙を活気づけ、
宇宙に貢献させて頂くことになるでしょうね♪
いつもいつも学ばせて戴きまして、
ありがとうございます☆
なんだか少しずつ秋の気配も漂ってきましたね。
今日もどうぞ素敵な1日をお過ごしくださいませ☆
感謝感激∞8∞まかこ 拝
コメントがとても励みになります。
「森羅万象万物それぞれの個性が、
宇宙のクローン的没個性であるならば、
宇宙は新展開もなく、第一成り立たないでしょうね。」
私は個性の根本は空間だと思います。
空間がなかったら、宇宙は一つの身動きできないかたまりとなって、その先は想像さえできません。
没個性はそもそもありえない。本当にそうですよね。
「私たち万物はそれぞれが
宇宙と一体であることを自覚することによって、
それぞれに天与されている個性を、
個性豊かに成長発揮♪宇宙に活かし、宇宙を活気づけ、
宇宙に貢献させて頂くことになるでしょうね♪」
まかこさんのこの一文は、コメント蘭に置くだけではもったいないです。是非また皆様と共有させて下さい^ね^
おめでとうございます♪
初々しいです^ね^
宇宙讃歌のうぶ声が聴こえます
のしてんてん天龍としての誕生に驚嘆
龍ひげの先端からウロコの一片に到るまで
全身全霊に轟く奇跡宇宙に驚嘆
六芒星の掌五芒星の爪で
如意宝珠をしっかり握りしめ
これからあまたの奇跡を起こす
のしてんてん天龍の輝きに歓喜感動☆
風雲のしてんてん天龍のご活躍を
心魂籠めてお祈り申し上げます。
感謝一念
まかこ 拝
龍は究極の自画像なのかもしれません。
自分にも分かりませんが、身をまかせる心が出来ると、生まれるのかも知れません。
6月に建仁寺の龍を見るまで、龍を描くなど思ってもみませんでしたから、自然に自分の中に用意できていたのでしょうか。
筆触法の効果だということだけは確信出来ま^す^
二人で20代からよく芸術論を交わしてきましたが、その乗りで、筆触法を真剣に学んでみません^か^
K氏から冊子が返ってきました。
龍は生まれたばかりですので、これからどこに連れて行ってくれるのか見当もつきません。
とにかく一歩一歩、今やるべきことをやっていくだけです^ね^。
100物語の最終話から生まれた龍ですので、私はそれに乗っかるだけです。
まかこさんも横で飛んでおります^よ^