前回の絵から少し変わりました。
どう変わったか、分かりますよね。
前回の絵↓
全体に色付けが均一で、うっとうしい気分なので、目のあたりの色を消してみました。その制作の流れが見えるでしょうか。
こういうことです。
この絵は、なにを描くのか最初から何も考えずに描き始めました。
最初はくるくる手を動かしながら黒い線を引いて行きました。そのうちに二つのまるがトンボのメガネのように見えたのです。
二つのまるの接している部分に影の感じで線をちょんちょん引いたら、それが鼻と口に見えるので、あごのような線を入れました。
自然に生まれてくるイメージを、面白がって線にしていくと、こんなもんかと思えるところに来ます。
それに色を付けていったのが今回の絵です。
色付けも、色そのものの面白さを感じながら、自由にこの色と思ったものをためらわずに塗っていきました。
なにかを描こうとするのではなく、ここにこの色を塗りたいという思いを優先して、結果を気にしないで進めます。
で、昨日この絵に行き着いたのです。
今日それを見ると、もうその時の気持ちがなくて、どうもうっとうしい。この気持ちをすっきりさせるために、うっとうしいと思うところを消していきました。
知性が邪魔をしない、行き当たりばったりの絵、これが感性で描く絵なのです。
欠点と言えば、どこで落ち着くのか分からない、答えのない絵ということもできますが、実はそのことが、感性の絵の素晴らしさを証明しているともいえるのです。
感性の絵はあなたそのもの。完成がないというのもあなたそのもの。つまり感性の絵はオンリーワンということなのです。
この絵をご覧ください。技術を持ったものなら、だれが描いてもこの絵になります。これが知性の絵です。訓練すれば誰でも技術は向上します。そして向上していく頂点も丸見えです。行き着くところはここ。やればやるだけみな同じ顔になっていくでしょう。
絵を描くのが嫌な人は、嫌いなままでよろしい。
こんな絵はあなたが描かなくても写真がやってくれます。
無論私とて、優れた写実派を否定するののではありません。歴史に残る名画はすべて、知性の背後にある、無尽蔵の感性を取り込んで調和させている結果なのですから。
いずれにしても、これだけは言えます。
知性の絵はそれだけでは写真に劣りますが、感性の絵はそれだけで歴史に残る絵になりうる可能性を秘めています。
知性は揺らぎますが、感性は揺らぎません。それはあなたそのものなのですから。
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