「よし、みんな、探査レーザーから目を離すな、何か変わったものがあったらすぐに報告するんだ。」艦長が元気一杯に命令した。
「アイアイサー!」
「アイアイサーでヤす!」
スケール号は順調に飛び続けた。
「艦長!斜め前方に何か巨大なものを発見!」ぴょんたが叫び声で報告した。
「何か分かるか。」
「多分、星だと思いますが、形がおかしいです。」
「よし、スケール号、通常航行に戻れ。」
艦長がスケール号に命令した。通常航行と言うのは、つまり普通の速さで飛ぶということだ。艦長もだいぶ操縦に慣れて来たので、つい専門的な言葉が出るようになって来たのだ。
「ゴロニャーン」
今まで光速で飛んでいたスケール号が通常航行に戻った。すると同時に、前方に集まっていた星たちが、全天に散らばって広がった。その前のほうにぴょんたが言った奇妙な星が見えている。
それは星というより、雲の固まりのように見える。赤銅色の不定形な雲の広がりの中央により明るい球体の輝きがかすかに見えている。
その中心の天体から、赤銅色のガスが全天をおおわんばかりに押し広がっているのだ。ガスの広がりは引き伸ばされるように横にたわみながら、今にもつぶれていきそうなゆらめきを見せている。
「不気味でヤす。」
「何か、ゾーッとしますね。」
「これは星雲だが・・・、艦長、気を付けろ、この星は死にかかっているんだ。」博士が興奮した声で言った。
赤銅色のガスを撒き散らすことで、星がどんどん膨張しているのだった。おそらく元の星の何十倍も膨れ上がっているはずだと、博士は説明した。
「それにしてもすさまじい光景ですね。」ぴょんたが耳をくるくる巻にして言った。
それは確かにすさまじい光景だった。赤銅色のガスはもやもやと宇宙を征服するように広がって来て、スケール号をも飲み込むような勢いになって来た。
「艦長、これ以上は危険だ。この星から離れるんだ!」博士が叫んだ。 スケール号は方向を転換して、ガスから逃げるような形になった。そのとたんに猛烈な爆発が起こった。
一瞬、全天が目を開けていられないような明るさになり、スケール号は背中を思い切り突き飛ばされるような衝撃を受けて宇宙空間に弾き飛ばされた。
スケール号の操縦室に激しい振動が伝わって来て、思わずみんなは手近にあるものにしがみついて自分の身を守った。が、眠ったままのぐうすかはそのまますっ飛んで行って、壁にぶち当たった。
スケール号はぐらぐら揺れて、赤銅色のガスと共に宇宙のかなたに飛ばされて行く。
「ぐうすか、大丈夫か。」艦長がぐうすかに駆け寄ったのはこれで二度目だ。しかし、ぐうすかは返事をしないし、いびきもかいていなかった。そこでぴょんたが駆け寄った。
「ぴょんた!ぐうすかは寝ているのか、気を失っているのか、どっちだ。」艦長がたずねた。
「頭に傷があります。」そう言ってぴょんたは救急箱をを取り出し、手際よくぐうすかの傷の手当をした。
「ぐうすかの奴、眠ったまま気絶したようです。でもたいしたことはありません。すぐに気が付くでしょう。」
そのうちにスケール号の揺れはおさまって来た。爆発によって、一瞬に大量のガスを吹き飛ばしたが、宇宙に広がるにつれてガスは希薄になって行き、スケール号も自由に動けるようになって来たのだ。振り返ると、もともと星があった位置のその中心に、青白く輝く小さな星が見えた。不思議なことに、その小さな星からは二本の鋭い光の帯が、正反対の方向に一直線に伸びていた。その光線は天を二分するようにどこまでも伸びており、宇宙を切り裂く刃物のように見えた。
「星の一生が終わったのだよ。」博士が静かに言った。
「これが星の最後なのですか。」
「軽いガスは膨張して、爆発の勢いで吹き飛ばされた。その後に残ったのは星の重い部分だ。その重みのために、自分の体を支え切れずにどんどん小さくなってあんな大きさになってしまったんだ。あの小さな星をパルサーと呼んでいるんだ。」
「あの刀のような光は何なのですか。」艦長が聞いた。
「一種のレザー光線のようなものだ。あの光には触れない方がいい。スケール号がすっぱり切られてしまうかもしれない。」
「まるで、ライトセイバーのようですね。」
「そうだな。しかしこれは自然の営みなのだ。人間が造ったものとは違う。」
「不思議ですね。」
「宇宙の神秘って、こういう事をいうのでヤすね。」
「ほんとに宇宙って不思議だスな。いったいどうなっているのだスか、さっぱり分からないだスが、頭がヅキヅキするほど不思議だス。」
ぐうすかが頭を包帯だらけにして起きて来た。その姿を見て、みんなはどっと笑った。
しかしその時、パルサー星の明るい輝きの後ろに、黒い影が潜んでいるのに気づく者はなかった。
(つづく)
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宇宙の小径 2019.6.16
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空気
黄金よりも大切なものなのに
ほとんど価値を感じないもの、な~んだ?
答えは空気
命にかかわることなのに
自分が呼吸しているのさえ忘れている
空気にかぎらず
本当に大切なものは気付かないところにあるのかもしれない
親のありがたさは
自分が親になってもまだわからない
自分の命の
今あるすべてをいただいたのに
ありがたければありがたいだけ
その縁が深ければ深いだけ
それは気付かない
それこそが
本物なのだろう
本当に大切なものは
気付けないところにある
それは神が
気付く必要もないと思っているからなのかも知れない
知らずに生きなさい
神はこうして
人を柵の中で大切に育てている
自分を知らなくても
人は
神の寵愛を受けてまるまる育っていけるのかもしれない
けれど
見えない大切さに気付いた人間は
大切さに瞑想して
本物に出逢おうと考えはじめる
神の作った柵を飛び出そうと
その自由の意識を
目覚めさせる
空気の秘密は
空間にあり
空間のふところには
柵から飛び出した
己が正体を現す
己こそ
最後まで気付かない最も大切なものだという事を
タイムマシンのように
スケールマシンも
名付け親ののしてんてん様によって
世に知らされる時がくるでしょうね。
のしてんてんスケールの宇宙は
特独な世界観があり、
観方にも
愛情が感じられます。
宇宙に始まりがあったなら
きっと、終わりもあるでしょう。
終わって、また
Bigbangが始まるのでしょうかね。
のしてんてん解釈の神の定義はなんでしょうかね?
気になりましたんで。
スケールマシンが、タイムマシンと同じほど人の心に定着すると、人は神のふところにいる実感を持ちながら生きていくことが出来る。これが私の長年の想いです。
私にとって、神という概念は宇宙そのものです。それは人が認識できるような神ではありません。もし何かの宗教のように世界を創造した神を認識したとしたら、その神そのものを創造した何者かがいることになります。これが認識が作りだす人間の限界なのだと常々思っておりました。
この認識を越えた存在を神と定義するなら、神こそ実在する宇宙の存在だと気付きます。
すると、宇宙(神)は自分とはどこか離れたところに存在するものではない。もし自分と離れたところに存在するのだったら、その神を存在させる何かもまた必要になってくる。
つまり神は私と切り離せない、この実感する宇宙そのものだという結論意外に答えを見いだせない。そう思い続けてきました。
そして唯一、その神を認識でとらえる可能性があるとしたら、それは時間ではなく、スケールの概念、つまり五次元の世界観だと思うのですね。
もちろんそれとて、人間の認識である以上、神を完全に知ることは出来ません。スケールの概念にも、特異点たる無限が現れるのですから、結局人は神を知り得ないという事に変りはないのですけれど、
五次元が四次元より格段に人間を成長させるのは、神(宇宙)そのものを体感するための論理的な支えとなるという、私の想いなのです。
特殊な修行を積まなくても、特定の宗教に頼らなくても、倫理規範に従わなくても、スケールの概念を身に付ければ、宇宙と自分の一体感が、具体的な想像力となって神を理解することが出来る。
これが私の五次元への願いなのですね。
奇跡も起こさない。特殊能力も生み出さない。けれども自分の力を100%導き出す。それが実現したとき、人は名実ともに神と一体になる。本当の孤独の意味がそこで理解されると思うのですね。
人のしあわせは、富を得ることではなく、己の命を完全燃焼させること。
神とは自然であるという定義から生まれる私の幸福論です。
これは名言ですね。
幸せのある無しで苦しむ人のためになるかなと思います。
神という言葉は
生まれ育った文化の影響を一番強く受けるでしょうから、
恐らく、自然の神という定義も
国や文化によって
受け方が違ってくると思います。
私は仏教の家庭で生まれましたが、
青年期はキリスト教の影響が強かったので、
キリスト教的に神を認識します。
その影響力はそう簡単に変わらなかったので、
神=唯一神のように受け取ります。
ですが、のしてんてん様の5次元的なスケールから捉えた自然の神も
味方の方法としてありえると思います。
しかし、私流の考え方だと
神という文字を直接使わずに、
神=自然という関係を伝えないかと疑問が湧きます。
万事に通じる言葉1文字より、
その簡単な言葉を使わずにして
神の領域を表せることもできなくはないでしょう。
何事にも
何を何で表せるかが作家たるものの素質の在り方だと言えば、
当たり前のことば文字よりは
文字を使って
自然の神を如何に表せるかが、力量なのかも知れません。
私のような怠けものが言える立場ではないのですが、
返事を読みながら、頭によぎったことを
躊躇なく書いておきます。
でも己の命を完全燃焼させるーこの言葉は
心に刻まれそうです。
それこそが本当の意味で、真実に近いと私も思います。
私の中では「神」とは「すべての価値」「唯一無二の存在」というイメージでとらえていて、「神」という言葉は心の中にはありません。
その意味で私もまた一神教的な認識です。しかし、たとえばキリスト教的な、私がいて主がいるという関係ではなく、(私=主=宇宙)という認識なのです。
しかし私が一番言いたいことは、だからどちらが良くてどちらが悪いという事ではない。単にそれは理解の仕方の問題であって、どちらも同じ真実を見つめているという信頼関係を築くことなんだと思うのです。
私の場合の理解の仕方は「ただこの宇宙が存在する」という考え方なのです。納得できる事実だけで自分と世界を理解していこうと思う。ただそれだけのことですね。神の奇跡を丸呑み出来ない不信心ものです。
けれど、神を定義するとなると、「神」という言葉を使うしかない。定義とは他人に伝えるという前提で成り立つ言葉ですから。これ以上の価値はないという意志の表明ですね。
問題は私達が、そんな環境(言葉)の中でしか、意思疎通ができないという事を共通認識として持たなければならないという事だと思うのです。
神という言葉は、その人の環境、経験によって千差万別。そしてそれがどれも正しいという共通理解こそが重要なのだと思えますね。そしてそれは五次元という概念が可能にしてくれる。そう思っているのです。
言葉に左右されずに、その言葉の奥にある真実で理解し合うことが何より大切だと考えるのです。
納得のいくまで、お互いに語ってみませんか。互いに違いが誇らしく思えるようなものがあるように思えて、嬉しいです。
Keiren様、お互いになるべく神という言葉をつかわないで議論出来たら、より近い認識が生まれるかもしれませんね。
禅の考え方と、キリスト教的な考え方をどのように統合されているのか、私には見えない世界を観ておられるのでしょう。ワクワク感でいっぱいです。