人はさみしい。
なぜなのか。思春期のもっと前から考え続けてきました。
だから私なりに、エヴァ・・・の補完という言葉の意味。重さがわかる気がするのです。
ネットでエヴァ・・・の画像を見ると、際限なく現れます。それだけ人気があるということでしょう。
エヴァ画像 よかったらクリックしてみてください。
そこからお借りした画像ですが、私には座禅の姿に見えます。
ロボット漫画の勇ましさはほぼ0で、むしろおぞましい。
設定でも、エヴァ・・・は機械でありながら人間なのだそうです。
パイロットの心(精神)と同調し、新たな力を生み出す。いわば人間のパートナーとして、人に欠けている部分を補う。それは機械ではなく人間の領域に属する。
ここに人間補完計画の主題があるのですね。やがてその補完は宇宙を巻き込んでいきます。
シンクロすることで、人間とエヴァ・・が一体になる。
それが補完なのですが、それは逆から言えば、もともと完全なものがあって、それが二分されて人間が生まれたという思想。人間とエヴァ・・・(アダムとイブを下敷きにしているのでしょうか)
そんなパートナーをどうして人間が造れるんだ!なんて野暮な話しは端から抜きです。
それは科学の世界の超対称性理論とよく似ています。
凡人のええ加減な理解ですが、宇宙は粒子と反粒子からできているというものです。
鏡に写したような、反粒子が存在する。
それはエネルギー波動が正反対で、ビックバンで生まれた物質ですが、現在の宇宙にはその反物質はどこかに消えて発見されていないというのです。
エヴァ・・並みの話しですが、科学者が真面目に考えている世界です。
そして私たちの心は、それを体感している。
理論はどうあれ、心は己を決して完全とは思えない現実をかかえているのです。
不安が生まれ、なにかを求め、常に不満を抱えている心。
寂しい心は、その深いところで、消え去った反物質を求めているのかもしれません。
エヴァ・・はその寂しさを歌い上げた一篇の抒情詩なのでしょう。
私の好きな構図です
そして対称風景。
これもある意味、補完を示す風景と言えるでしょう。
ところで、この補完が完成したらどうなるのか。エヴァ・・も、科学も、その答えはあいまいです。
科学的な回答は、消えるというイメージですし、
エヴァ・・では、神ということになるのでしょう。
では神とは何だという問いかけが来れば、エヴァ・・もまた元の木阿弥となるでしょう。
科学と心を合わせても、私たちの思考は、今や飽和状態だと言えるのではないでしょうか。
つまり、四次元思考の限界だという訳です。
四次元思考の根幹にある、絶対不変のスケール思考が、その先のストーリーを描かせてくれないのです。
科学は、素粒子を研究しますが、それを観察する目は、自分の立っているスケールの場から決して離れない。せいぜい素粒子あたりが限界で、それ以上小さなものは逆立ちしても見えないのです。
そして心は、エヴァ・・のように、巨視的に世界をひろげようとしても、己のスケールから離れられられないという不問の意識が邪魔をして、その先は神を設定するしか方法がなくなるわけです。
再度言いますと、これこそ、我々の常識である四次元が描き出す、最大の世界だという訳です。どう頑張っても、そこから先を見ることは出来ません。心も科学も、スケールの無限に阻まれてしまうのです。
その先にある世界を見るためには、新たな道具が必要なのです。
それが五次元。
スケールの概念がなければ決して、この四次元より大きな世界を見ることは出来ません。
スケールの概念は、自分のスケールが自在に変化する という発想から生まれます。
五次元思考で、科学やエヴァ・・を見直すと、どちらも同じ所に行き着きます。
そこに、たった一つの存在。
空間を見つけることが出来るのです。
ここから先は、また次回に。
また来ました☺。
寂しさの戦場の寂しいチルドレン(人間)は、どうしても補完を求める…けど。
しゃかりきに補完しなくても、あなたは今のままのあなたで完全ですよ🍀……それが『吾は空なり』、なのでしょうか?
肩からふっと力が抜ける気がします、けど……でも。
このスケールで生き物として生きている、限り。
戦場に立って朝日を愛でながら……戦う、しかない。
しかし私はそれが、決してキライではありません、多分……ごく若い…おそらく子供の頃から。
修羅に生きる鬼……なのかもしれませんけど。
まだまだ菩薩になれそうもありません。
敵は基本、己れ、ですが(笑)。自分以外の誰かと戦うのは虚しい。
それは結局、誰かの顔をした自分、でしょうし。
うーん、ハードボイルド。
むっちゃんとも思えない(笑)。
珈琲でも飲んで、とりあえず生きてゆきましょうか。
その通りです^ね^
しかも完全すら存在しない。ただ「在る」のですから。
完全、不完全は心の中にある。
その心を存分に楽しみましょう。
そしてその楽しみは、「在る」という宇宙の意識が保障してくれているのですからね。
「それは結局、誰かの顔をした自分、」
これも素晴らしい洞察です。
私はこれを「私空間」と呼んでいます。
私たちの認識は私空間から一歩も出ることは出来ない。すべての他者は己がつくった自分なのです^よ^
えぇ、えぇ、とりあえず生きていきましょう。
今日は私のおごりです。ゆっくりコーヒーを楽しんで、おやすみなさい。