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のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

空体(くうたい)について 1

2021-09-06 | 5次元宇宙に生きる(心)

のしてんてん写実空間 (キャンバスに鉛筆)

 

 

「のしてんてん」は、私の絵画タイトルであるが、

五次元の世界観を持って宇宙と自分の関係を探る心の旅でもある。

最近、「空体」という言葉がやってきて、私の興味を駆り立てている。

今回は出来るだけ短文で、私のこの想いを書いてみようと思った。

 

で、「空体」は何かということだが、

それは使い慣れた「身体」の反対語である。

 

例えば

「明」と「暗」は世界を対極に二分して理解する言葉である。

真実はこの二つが合わさるとこで理解できる。

 

よく考えてみれば、最も身近な「身体」には、同じような反対語がなかったのだ。

なかったのではない。気付かなかったのだ。


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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
sure_kusa様 (のしてんてん)
2021-09-13 07:46:46
まさにその通りだと私も思います。
フィルターというのは、人間に与えられた宿命のようなもので、それを取り除くことはできませんよね。
だからこそ、そこから見えて来るのが寄り添いなのですね。そしてそれを大きなくくりで言えば、愛ということになるのかもしれません。

そこまで言うと話がぼやけてしまうかもしてませんが、寄り添いの心が人の思いや痛みにどんどん近づいて行けば、sure_kusa様のおっしゃる
>自分ではなく気が付けば患者の心に近く、更に突き詰めれば「自分ではなく、自分のようなモノ」これが「空体」そのもの・・<

というお話が深く心にしみてくるのですね。

ありがとうございます。
返信する
Unknown (sure_kusa)
2021-09-12 20:41:41
「空体」は自分にとって新語であります。
「フィルター」という語も出てきました。

私の解釈ですが・・
フィルターは” 寄り添い ”であるような気がします。
看護師が患者に寄り添う。
患者が「痛い」と言うなら、看護師は「痛いんだねぇ、もぅ少しの辛抱だからねぇ」
これで、患者は「受け止められた」と感じ、少しだけ痛みが緩和されるかも知れない。

この分かってあげる、分かろうとする、その寄り添いがフィルターのあるべき姿であると思います。
そして患者の気持ちに近づく努力の先に現れるモノ、自分ではなく気が付けば患者の心に近く、更に突き詰めれば「自分ではなく、自分のようなモノ」
これが「空体」そのものの様な気が致しました。
返信する
私は嬉しいです (のしてんてん)
2021-09-11 18:09:06
怒り。当然です。
私は今までそれを避けようとしてきました。それがケイレンさんの最初のメッセージで直感したのです。なにを?

私達は傷つけあっていいのだと。

それだけあなたは真剣な人なのだと理解できたのです。

はっきり言います。
あなたは私が言ったフィルターの意味が分かっていません。というより誤解されているのです。きっと。

人は意識を持ったときからものごとについて判断しながら生きて行く動物なのです。何かを見、何かに直面し、何かに触れる。この時人はただ何も考えず(感じず)に赤ん坊のように眺め続けることはできません。
必ずそれは自分にとって「良い」か「悪い」か「普通」か「分からない」という判断をして受け止めているのです。
これが人間の認識なのです。
逆に言えば私たちの認識は必ずこの四つのどれかに分類したという意味なのですね。この分類は感情に直結しています。

つまり人間の認識は、ものごとを感情と共に理解することなのです。ただものごとを知るということではないのです。ここがコンピュータと決定的に違う心の領域を作っているのです。

人間は誰であれ、この認識から逃れることはできません。
そしてこれがフィルターなのです。

そして言うまでもなく、この「良い」・「悪い」・「普通」・「分からない」の振り分けは人それぞれに違っています。
そしてそれがいいのです。常に人の意見は自分のフィルターを通して受け止めているし、相手は発信者の意見を自分のフィルターを通して受け取る。


つまりコミニュケーションは二人の間で二つのフィルターを通して行われます。面倒極まりないですよね。

でもそれを面倒極まると言ってしまえば、それが最悪専制政治や、悪い意味の宗教につながるのですよ。
返信する
Unknown (ケイレン)
2021-09-11 08:47:09
書き投稿してからもう少し考えてみました。

私にフィルターがあるなら
『事実かどうか』の判断かもしれません。
自分の判断力とか、見方とかは
事実に関しては、どーでもいいと思うのは変わらないです。

のしてんてんさんのスケール号や空体も
私は『事実』だと思うのですが、
ただ、眼には認識できない事実だと。

人の受け入れ方や通じ合う通路は
現実の空間感覚と形やスケールが違うと思うので、
Aを踏んでBにいく、ような過程も
見えない世界では、別の膜で区別されているかもしれませんね。

上記のコメントに怒りとか書きましたが、
それは対立の怒りでなく
前に開いた、感じですので、
あまり気に留めないでくださいね。

とにかく、怒りでもぶつかりでも
閉鎖される、ドア閉めよりはマシでしょうね。
何より、私の意見を早く飲み込んでもらえた感じがして、それだけでも書いたがいを感じています。

コーヒーフィルターは的から外れた例かもしれませんが、
フィルターを明確にしたかったので、
まあ、それがまた私のフィルターといえば、そうかもしれませんね。
返信する
Unknown (ケイレン)
2021-09-11 03:50:59
まあー、本気で答えてもらった分
怒りもありますが、
それが、おもいやり を超えたことですから
広さはかんじられますね。

水で煎じるコーヒーはフィルターが無いというか、
下に粉が沈んで
その上に浮いているコーヒーを飲む、という仕組みです。
お湯沸かしフィルター付き、コーヒーメーカーは
必ず、フィルターが要ります。
粉の大きさに比べて
フィルターの大きさが細かいから
水分子がフィルターをとおって抜ける、

毎朝、私はその紙のフィルターを使っています。
のしてんてんさんが例える自分のフィルターは
コーヒー煎じのその紙の役割に近いかなと、
粉に水分子が結合して
水の濃度を変える、
ある朝、寝ぼけて、フィルターを置かないで
そのままコーヒーを煎じたことがあります。
コーヒーカップに粉がそっくり沈んでいました。
味は濃かった覚えがあります。
しかも後片付けも面倒でした。

自分を捉えて、情報を解釈するのに
自分というフィルターが必ず要る過程、あるいは作業が必要なら
私はフィルターを使用する手続きは
必ず、省くと思います。

それは、私はただ自分、自分、自分
自分に飽きて、疲れて、嫌気が刺しているからでもありますが、

他人の自我、他人の他分をいちいち感じるのも
本当に面倒なのです。

私のフィルターをとおらないといけないなら、
他人のフィルターをとおらないといけないことになります。
面倒極まる、それだけです。
返信する
了解 (のしてんてん)
2021-09-10 09:59:10
対話は人を変える。成長させる。
大変な無駄をしていたと、今悟りました。

ケイレンさんの性格は今までも知らない訳ではありませんでしたが、はっきり仰っていただいて、今、心に届きました。

思いやりは不要。そのあなたの強さを意識していなかったのです。
(念のため言っておきますが、以下の文は私自身に言っているのであって、あなたに向けた断定ではありません。)

フィルターなど、どうでもいいと思っている?
それは違うでしょう。
フィルターというのは、あなた自身のことです。
どうでもいいというのは、自分はどうでもいいということにしか受け取れませんが、もしそうなら、空体は語れません。

フィルターを排除することはできませんし、排除しようという意志が無駄なのです。

誰も己から逃げられるものはいませんよね。そんな努力より、己になり切ることでしょう。己=フィルターなのです。

正確に真実を見ようとするなら、己のフィルターを理解してその歪み具合や色味を知り尽くすことです。

その上で見えたものからフィルターのゆがみを排除する。

この過程を経て初めて、あなたのいう「極力排除」があるのです。

もし自分のフィルターを知り尽くしているのなら、人の儀礼など何ほどの苦にもならないはずです。

ケイレン様
これが私の、フィルターを外した心の声です。

そして空体を語り合いたい。
返信する
Unknown (ケイレン)
2021-09-10 04:54:23
リンゴを見る角度の違い、かあー
今までリンゴはビタミンやミネラルの栄養素でしか、考えてなかったので、
ひやーとしました。

正直に、今までののしてんてん様の返事は
私には優しいすぎて
礼儀すぎるというか、
(でも時には鋭い)
指導されたみたいな感じが無くもなかったから
あまり期待しなかった(正直すぎるかな)ですが、
今回の記事(空体)に関連しての返事は
素手で投げてもらえた感じがします。

人と素で触れるには
どうしても、礼儀やおもいやりの度合いを
くくり抜けないといけない、渡らざるの橋のような
面倒くさい過程があって、
私は常にそれがうざくて
邪魔に感じています。

蔑ろにできない、無視もできない
本当に面倒な作業でしか思っていないです。

まあ、そのような勝手な経緯から
コメントするのも
本当に、ある程度の言いたい範囲に達していない時は
社交辞令のコメント程度で収めておく癖がついてしまったのかなと。


空体の概念は
まさに、私の思考範囲を超えるスケールでしたので、
本気でコメントしました。

でも、まあいい出来具合に返事してもらえるだろうと思ったら
私の本気にほぼ近づいたレベルで答えてもらって、

己に嘘をつかない、ことが本気であることと間違いなし、と思っています。


私のフィルターなど
私はそれを極力排除しようと思っているところだし、
自分のフィルターなど、どーでもいい、と思ってもいるので、
それだけは明確に表明したいですね。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2021-09-09 13:06:11
作家冥利に尽きます。
そんなふうに私の作品を入り口にしてご自身の世界を体感されていたなんて、思いもよらないことでした。

私はまさにその思いで作品を描いています。その絶対条件が「己に嘘をつかない」という思いなのです。嘘をつかなければ空体が動き出す。空体が動いたら、それは私が宇宙と繋がったということであり、それは究極桂蓮様がコメントして頂いた感想のように、空体の共有が始まるのです。

私の理想ですが、空体は芸術も宗教も倫理もすべて超えるのです。
空体から見れば、意見の違いはありません。違いは、たとえばリンゴを様々な方法で眺めた違いだと、気付く事が出来るのです。

そんなことを絵を通して発信したいのですね。

しかしちょっと口が滑っているようです。必ず桂蓮様のフィルターを通してお読みください^ね^
返信する
ZIP様 (のしてんてん)
2021-09-09 12:50:20
ZIP様の言われる環境がどんな大きさなのか分かりませんが、その意識を保留したら100%同意できるように思います。

環境、宗教、経済、戦争と圧制でなければその決着を見いだせないように思えてなりません。人類の四次元意識は今、新たな進化を果たすタイミングに来ていると思います。意識を進化させる時期が来ているのではないか。それが五次元であり、そこから見えて来る自己認識、すなわち(自己=身体と空体)という認識なのですね。

神対が空体をリアルに認識できるようになったら、宗教は空体を様々な切り口で見ていたのだと分かりますし、征服欲はいかに小さな欲であったかと気付きます。孤独は空体認識で救われます。

人類は次元を超えて初めて宇宙人となる。いえ、宇宙人であることに気付く。

そんなふうに思っています。
返信する
Unknown (桂蓮)
2021-09-09 12:21:01
そおかー
太陽や風に自信はないかー
納得してしまいましたね。

そおー言えば
できちゃう人は自信感とか持っていない感じがしますね。

展示会でのしてんてんさまの絵を肉眼で見た時、
そういえば、押し付けがましい自信感が無かったなー
のしてんてんさんがいない龍が好きだったなー
その龍にのしてんてんの名前が無かったら
私は気分が良かったなー
その龍に わ た し が無かったから
心が軽くなったなー

不思議にあの龍の眼は
私に、感じろ と強制しなかったなー
だから、今でもあの眼を思えています。


何故か、あの龍の眼が今でも
記憶に鮮明に残っています。

私はあの龍の眼を恐らく30分以上
見続けてました。
鉛筆の跡一本一本も数えるくらいでしたが、
あの時は確かに
眼を適当に描いたのか?と思った瞬間も
あったのに、
今でもその龍の眼が心に残っています。


話があっちこっち飛んでいますが、
文字が流れる勢いに任せて書いているので、まあー私の感じ方の一見として残しておきます。
返信する
Unknown (ZIP)
2021-09-08 23:04:53
空体という発想にはうってつけの環境であることに間違いはないな。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2021-09-07 21:29:59
自信の度合いという記事を読ませていただきました。

コメントを書きたかったのですが、集まってこられるコメンテーターの皆さんに予想外のイメージと誤解を持たれては桂蓮様にご迷惑をおかけしますので、心に留めていました。

その想いが、今回頂いたコメントと重なりますので、上記記事の私なりのコメントを含めてお返事を書かせてもらいますね。

「自力では絶対に気づけない概念」と書かれています。もしその通りだとしたら、私は桂蓮様の考える「自信」に対する想いの強さではないのだろうかと、思ったのです。
「自信」のために社会的に完全であろうとする強い意志。それはきっととても必要なことだったのだと推察いたします。

そしてその「自信」に対する必要性を見切った時に虚無がやって来たというお話は驚くべき真摯な姿だと思いました。

そして私の記事に頂いたコメントで、その想いはさらに高まりました。

私は100%桂蓮様を信じることが出来る。そう思いました。

その上で申し上げたかったのは、風も太陽も、自信を持ってはいないということでした。
でも読み進んで行行くうちに、そのことに気付かれたからこその記事だったのだと思い至りました。

桂蓮様の記事に余計なコメントを残さなくてよかったと思いました。

空体は風のようなものですが、「私」の見えない反面を支えている実在です。

その実在に気付きリアルに体感出来たら、自信は消えるのですね。
返信する
Unknown (桂蓮)
2021-09-07 13:43:20
空体
そおかー
納得してしまいました。
恐らく、空体の定義は
私の自力では絶対に気づけない概念だと思います。
のしてんてんさんは骨まで芸術化されているかなと思ったり、
その空体について
新たなドアが明けられた(開けられた)感じがします。

空体の視点、自分の身体を理解する上で大変参考になりました。
ありがとうございます。
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