(ドクダミの小宇宙)
五次元宇宙、心の旅を続けながら、毎日その風景を楽しんでいます。
そのイメージの世界を書いてみる気になりました。
布団に入ってから、その世界は広がってきました。はっきりとそれは心の中に見えるのです。
それは、たとえば地球を包む青い大気の膜のように、境界の不確かな柔らかい線がどこまでも広がっています。
気を転じると、その膜は胎児を包む羊膜に変わりました。半透明の穏やかな明かりに包まれ、私はその中の一つ一つの細胞の広がりとなって、雲が留まったままうごめくように、心と共振するようです。
何が起こっているのか、分かっているのです。知らないのに分かっている。不思議な感覚が私をその境界線まで連れていってくれます。
何故でしょうか、私は外に出ようとしています。膜を超えようとしているのです。その膜はこの上もなく繊細で、息をするだけでユラユラと質を変えてしまいます。見つめるだけで消えてゆきます。
私はスバルを思い起こしました。
夜空のスバルを見るには、眼をまっすぐに向けてはいけない。視線をずらして、眼の縁に見えるスバルを見なければあのひしゃくのかたちが見えないのです。
私はスバルを見るように、境界線の膜を見ました。意識しないで意識する。そんな心もちです。すると、私の包まれている膜のその内側が見えたのです。胎児を浮かべている羊水と同じ空間がそこにありました。
今ぼんやりと、私が見ているスバルは、思考エネルギーそのものだったのです。膜の中で、眠るように沸騰しているエネルギーの空間です。
出ようとすると、眠っているエネルギーが反応して私にまとわりつきます。
私は知っていました。どうすればいいのかを、勝手に知っていたのです。
私は息をひそめ、そのエネルギーを身につけたまま身体をを大きく広げたのです。身をゆだねて、ただやってくるエネルギーのはざまを眺めていました。
エネルギーのうごめく空間。その漆黒の闇に落ち込むように身を投じたとき、私は膜の外にいたのです。
漆黒のはずが、私はお花畑の中にいるのです。心が解けるような感じが全身の喜びと一つになる。
気が付いたら朝になっていました。
あれはなんだったのか。
心の風景は、まだまだ未知の世界を見せてくれるようです。
赤石岳のお友だちのエピソードはよくわかりましたけど、今回のお話はよくわかりませんです(苦笑)。
同じことを言ってるんですよ、というお諭しが聞こえる気もしますし、イメージのお話なんだから、素直に、そっか~で良いのでしょうが。
リアルな体験に基づいたお話は理解しやすいようですが、形而上的?なお話になると、頭がグルグルするようです(笑)。
理屈っぽいくせに、頭の悪いヤツのようですね。すみません。
ホントは赤石岳の話も分からないのです。それを分かったと安心するのが知性なのです。
知性は、分かるとそこに腰を下ろして、二度とそのことを考えようとしません。既成事実をつくってしまって、真実にふたをするのです。
分からないのが悪いのではなく、分かったと思ってしまうことが、自分を古びさせていく原因となるのです。
むっちゃんさん、どうか、分からないと、グルブルになっている頭を、心から愛してあげてください。必死で生まれようとしている真実に気付いてあげてくださいネ
よく街を走っていて、うっかりぶつかりそうになったら、自動ブレーキがかかって衝突を防いでくれるらしいです。
スバルでは境界線の膜をとらえられるそうですが、時空の膜は人類がやがて見つけることになるのでしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e
/3869e6cb6264b0c4c4b8b4c3857730e3
*投稿拒否されたので2段に分けました。
>透明になる薬を発明した悪徳科学者。
>透明になって世間を騒がせておりましたが、ついに逮捕。
>なぜって、
>身体は透明になっても、昼間のアスファルトに出来る影まで透明にする研究を忘れていたのです。
>こんな物語出来ました。
ケッコウなストーリーでした。