縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

吠えた、奔った、闘った、そして泣いた・・・平成二十七年度けんか祭り

2015年04月11日 08時08分55秒 | 糸魚川自慢

今年のけんか祭りは、同級生が寺町区の鶏爺と運営委員長という事もあって、張り切り過ぎたのか全身筋肉痛。

私はジョウバ(除魔・神の到来を告げる魔除けの獅子)の中でも「使い獅子」という、お宮に駆け込んで寺町区の登社準備を楽頭さんに告げる役に就いたが、参道の石段を飛び越えて「おお~っ!」というドヨメキを起こしたものの、実際には太もも裏の筋肉が吊って転びそうになった。

祭り当日の禊は、雪解け水で冷たい日本海にザブリと入る。

背中で寺町魂を謳う益荒男の左隣のC君は、風貌や行動が私に似ているので兄弟のようだと言われるのだが、鶏爺さんの挨拶前から張り切ってフルチンになっていてたら、鶏爺さんから「真正面でチンポコ出されて気になって喋れんわや!」と笑いながら注意されて慌ててパンツを履き直した愛すべき弟分(笑)

 

 

思えば全速で走るという行為は何年振りだろう。

私は元ボクサーだし、「海のヒスイ・ロード」で三カ月もシーカヤックを漕いでいても筋肉痛が無かったのに、走るって特別な行為なんですなあ。

神輿の喧嘩は六回以上というのが通例だけど、今年は例年より多い十回。

やんちゃ坊主のまま大人になった鶏爺のケンジと運営委員長のシュウイチらしい。

3・11の東日本大震災のあった年は、各地の祭礼やイベントが自粛するなか、けんか祭りは「こんな時こそ祭りをしなきゃ!」と、ちゃんと四月十日に開催された。

お走りを終えた男たちは、我勝ちに「踏ん張り桟敷」の屋根によじ登って勝鬨を揚げる。ドンッ、ドドーン、ドンッ、ドドーン、ド~ン、ド~ン、ド~ンッ!という勝ち鬨の太鼓が何時までも続く。時間よ止まれ、来年までやっとれ~!と誰もが思う。

 

ところが確か三度目の喧嘩の最中に寺町と押上両区の神輿の屋根が外れて落ちそうになるという前代未聞の椿事があって、四度目の喧嘩は両区が申し合わせて形だけ神輿を組みあわせて、最後のお走りも掛け声だけはワッショイ、ワッショイと勇ましかったが静々と神輿を担いで収めた。

寺町と押上が友好的に協力して祭りを終わらせた・・・これからの世界の行く末を暗示するようで、感慨深い祭りだった。

その時の鶏爺はシュウイチ。

四回しか喧嘩しなかった3・11の時の祭り分まで喧嘩したのかな?

仲間意識が強い・・・いいヤツら。

ケンジが泣き、みんなが泣いた・・・言葉にならない、言葉のいらない男の世界。

 

ケンジからは、鶏爺がお宮と神輿に参拝する時に、ジョウバが二列になって結界を張って空間を作った事への感謝が伝えられた。

この方がスマートだし、ジョウバ本来の役目なのだと古老から聞いていたので、ジョウバ役に就いた最年長の私が音頭を取って、他の六人のジョウバ役と申し合わせて実行したのだ。

解ってくれたのか・・・ケンジはとびきり熱いクセに繊細な人情家。

 

ケンジ以外にも、ジョウバが二列に並んで鶏爺の結界を張った事と、私が最後のお走りの時にジョウバ全員を最前列に呼び寄せて鶏爺さんの前を走った事を、何人もの人から見事だったと褒められた。

皆さん、祭りの最中は分からなくても、後からネット動画をご覧になったようだ。

ジョウバは鶏爺さんの露払いに徹する・・・もう私はジョウバ役に就く事は無いだろうが、寺町区の伝統になったらいいと思う。

今日は神と酒食を共にする直会(なおらい)・・・多いに語り、飲み明かそうではないか・・・明日は日曜だしな!