糸魚川の誇り、国指定縄文遺跡の「長者ケ原遺跡」出土の「牙状勾玉」のレプリカを作った。
出土品は柔らかい滑石製で、縄文時代前期(六千~五千年前)の出土品である。滑石は壊れやすいので、色合の似たネフライトで作った。
前期当時には我々が見知っているような勾玉はまだ出現しておらず、C字形をした形状に止まっている。
当時盛行した玦状耳飾りが非常に壊れやすく、真ん中で半分に割れる事が多かったらしく、そのリメイクでC字形のアクセサリーを作っていたと推測されているのだ。
勾玉の祖形とでも言えるのだけど、その中にあって牙状勾玉(キバジョウマガタマ)は異形だ。
頭部の刻み
凸凹した頭部という事は、どんな風に仕立てていたのか?現在のペンダントのように真ん中から革紐で吊るしていた?それでは折角の刻みが隠れてしまうだろう・・・という事で、両脇から吊るす仕立てにしてみた。
ヒスイ関係者はどんなに綺麗なネフライトでも「軟玉ヒスイでしょ」と馬鹿にするが、下手なヒスイよりよっぽど綺麗。軟玉ヒスイというネーミングから柔らかい鉱物だと思われがちだけど、それはあくまで「傷が付き難い指標」の硬度の問題で、加工してみると硬玉ヒスイより余程に堅い石なのだ。むしろ普通のヒスイより加工が難しい素材で、バカにするのは加工が難しいが故に敬遠しているからという部分もあるだろう。堅いから磨製石器として非情に優秀で、現在でもパプアニューギニアの高地では、ネフライト製石斧が活躍している。
縄文時代晩期(三千~二千五百年前)に盛行する勾玉に特徴的な胎児っぽい形状に加え、弥生時代以降に出現する頭部に刻みが入った「丁子頭勾玉」や、腹の内側に凸凹がある「子持ち勾玉」のように、刻みがあるのである。
個人的な見解として、勾玉に付けた刻みや凸凹は、細胞分裂のように増殖していく様を現しているように思う。
即ち子孫繁栄や多産の呪術である。
六千年以上も前に、こんなアバンギャルドな造形をしたご先祖を誇りに思う。