の宮の秋祭りの午後、9月に行われた「全国縄文丸木舟競漕大会」で友人になった林さんを長者ケ原遺跡にご案内。
さて、山が好きで休日には登山しているという林さん。
去年は糸魚川市の雨飾山に登って、今年も違うルートから登りたいので、ついでに寄ったとの事。
それでも日本酒の土産を持参してきた偉いヤツである。
偉いヤツには、長者ケ原遺跡を案内する事に決まっている。
林さんのお蔭で凄い気付きをした、長者ケ原遺跡の東の端にある土器捨て場遺構。
流石である・・・説明すると的確な反応をしてくれるので、会話の応酬が愉しく説明しやすい。
早いのはカヌーばかりでなく、頭の回転も早い人ですなあ・・・お若いのに知恵も深い。
たまにこんなお客さんが遊びに来てくれるので、何度ガイドしても飽きることがないから面白いのだよね。
説明していくうちに、これまで自分で考えもしなかった言葉が出てきて、我ながら感動した。
それは遺跡の東外れにある、「土器捨て場遺構」について説明した時だった。
土器捨て場のアップ。壊れた磨製石器や土器が折り重なっている。
「アイヌ民族の民俗例では、ゴミ捨て場とは不要物をあの世への送る祭祀場という意味であって、現代人のゴミ捨て場とは概念が違うのですよ。」
「長者ケ原遺跡の土器捨て場が東の外れに位置するという事は、日が昇る方角、つまり再生の呪術として、朝日のチカラを借りた祭祀の場という意味があったんでしょうねえ・・・。」
おまけにもう一つ。
午前中は秋祭りで一の宮でジョウバ(獅子)の本役をしており、ジオパークおじさんこと久保雄先生と、この神社が南面している事の意味を語り合っていたが、よく考えれば掘立柱建物も南面しているのだ。
国内に「君子南面す」という概念が入ってきたのは、平城京が造られた奈良時代以降だと思うが、一の宮と掘立柱建物の南面は偶然なのだろうか?
どうじゃろう?
林さんの鋭い感性と私の縄文センサーが共鳴して、思いがけない事を口走った。
私の口を借りてご先祖が喋った感じがした・・・本当に。
なんか凄い発見をした感じ。