糸魚川市ライオンズクラブから、「海のヒスイ・ロード」講演会の依頼。
聞けば長者ケ原遺跡の除草ボランティアをしているとのことなので、この遺跡の見所を紹介する予定。
東京ドーム3個分の広大な敷地を持つこの遺跡は、住居区域は一割程度しか発掘されていないのだけど、中期(五千~四千年前)の関東甲信越に特有の円形集落。
ぬなかわヒスイ工房に訪れてきたお客様は、時間さえあれば長者ケ原遺跡にご案内しているので少なくとも年間三十人以上は案内しているハズ。
しかし何回説明しても飽きない魅力がこの遺跡にはある。
復元されている長者ケ原遺跡の掘立柱建物遺構
具体的な見所はこのブログで紹介してきたので、おさらいがてら項目を並べると
例えば、復元竪穴住居の入り口が全て東を向いているというのは白老アイヌの民俗例と同じ!
円形集落にある広場は祖先の墓域!
ゴミ捨て場以降が集落の東の端!
そして掘立柱建物遺構の柱の異常な太さは、即ち巨木信仰だった!・・・かも(笑)
北陸から東北にかけての日本海側の縄文遺跡の住居は、他の地域に比べると太い柱を持つのが一般的。
それにしても長者ケ原遺跡の掘立柱建物遺構は八畳ほどの広さに不必要なほど太く、大人一抱えはある極太の柱を持っている。
哲学者の梅原猛によると、ハシとは橋や箸に代表されるように離れた二点を繋ぐもの、ラはアイヌ語で降りるという動詞だからして、ハシラとは天と地を繋ぎ神が降りてくるという意味を持つ、という解読をしている。
だとすると、長者ケ原遺跡の掘立柱建物の不必要に太い柱は、豪雪に耐える神宿る憑代たるチカラのあるもの、という想いが籠められているのかも。
10月27日のライオンズクラブでこんな話をしたい。
考古学に民俗学的な視点を加えると、より身近な興味が湧くのだよ。