小さき声に耳を澄ませて聴いて欲しい。
滅びしモノ、破れしモノ、弱きモノの声は小さい。
最近の糸魚川では、奴奈川姫と出雲の八千鉾神のラブロマンスが官民あげて喧伝されているけども、新潟県内には出雲が攻めて来て破れ、奴奈川姫が拉致され、逃避行の末に追い詰められて自害した、という類いの悲劇的な伝説も多く残っていることを忘れて欲しくない。
悲劇は口碑口承でしかなく、ラブロマンスは古事記に記載されている求婚譚である、と反論する人もいるだろうが、古事記でさえ奴奈川姫没後、恐らく四百年以上も後に口碑口承を元に大和朝廷のために編纂された物語。
古事記に記載されている奴奈川姫と八千鉾神の求婚問答歌が素敵だから、きっと奴奈川姫は幸せだったに違いないという女性がいたが、奴奈川姫の時代は弥生時代後半~古墳時代前期くらいと推測され、国内で漢字は使用されていなかったし、姫が何語を話していたのかすら不明であり、ロマンチックな問答歌は後世の創作とみていいのではないか?
地域振興の素材としてラブロマンスを唱えるのは大きな声。
悲劇の伝説は小さな声。
どちらも口碑口承で、何を信じようと自由。
しかし、小さな声が大きな声にかき消されていき、やがてラブロマンスだけが既成事実のように語られていく事を危惧している。
もし悲劇の伝説に一分でも真実が含まれているのなら、昨今のラブロマンス一色の奴奈川姫ブームを奴奈川姫はどう思うのか?
奴奈川姫を祀る神社に、奴奈川姫と八千鉾神のツーショットの絵が奉納されたり、二人のラブロマンスを歌にした人もいる。
悲劇が真実なら、暴力で拉致され凌辱を受けた女性が、逃避行の末に自殺という事件を、後世の人がよってたかってオメデタイと祝っていることになるが、それではあまりにも奴奈川姫が可哀そうだ。
こんな投稿をすると多くの人に嫌われたりするかも知れないし、地域振興の素材としてラブロマンスを唱えている人達も私利私欲ではなく、地域の活性化のために頑張っているので、投稿を躊躇していた。
しかし敢えて苦言を呈したい。
ロマンス説を唱えている人も、小さき声に耳を澄ませて欲しい。