「肌寒し ヌナカワ姫の 涙雨」 今朝つくった俳句( ´艸`)
久しぶりに大雨だが、降る場所によっては慈雨であり、無情の雨でもある。人生ままならんもんですね。
ヒスイ加工もままならんが、たまにままなることがある。
平面研磨機では凸面の成形研磨はできても、凹面の成形研磨は理屈からいってできないもので、これまで何度も挑んでは敗残の惨めを味わってきた。
ところが食えず眠れずという集注で2週間、勾玉と石笛つくりに没頭していたら、疲労のピークで手が勝手に動いて、凹面の放物ラインが突然できてしまった。
右下側の微妙な放物線に注目して頂きたい。水底を身をくねらせて泳ぐミズチ(蛟・水の精霊)のように、あるいは風にゆらぐ笹の葉のような内側に入り込んだ凹状の放物線になっておりますでしょ?
この角度!この当て方!立体として捉える!なるほど!と、これまで作りたくても作れなかったモノの作り方が解ったのデス。
2年前の「大首飾り複製」の時も、同じ現象で難関を突破できたのだが、これは神霊現象(笑)などではなく、能動的な操作意欲や支配欲、過剰な自意識といった暑苦しいものが無くなった時にこそ、過去の膨大な経験の中からピッタリの技術が「やってくる」現象なのだろう。
そんな時にこそ「ヌナカワ姫様、1,700年前にこの場所でヒスイ加工をしていたヌナカワ族のご先祖様ありがとうございます。」と神妙な気持ちで神棚に掌を合わせたくもなる。
だからこの放物線は私が作ったとは思えず、ヌナカワ族の職人・ヒスイ・我の三者による共同作業に対するヌナカワ姫からの贈り物と、自然に認識できるのですよ。
観念的な自意識、能動的な操作意欲や支配欲を捨て去ってさえしまえば、いつか・どこかの・誰かが助けてくれる・・・これが過去のチカラと思う経験でございました。
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