縄文人(見習い)の糸魚川発!

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漁師小屋に萌え~っ・・・「海賊船」のあんちゃん達勘弁してくんない!

2013年06月23日 22時49分52秒 | 失われゆく風景



俺の生まれ育った寺町区はかって漁師町だった。

 

家の裏が野球ができるくらい広い砂浜で、子供達の格好の遊び場だった。
 

 

夏には学校帰りにフルチンで泳いで涼んだり、漁から戻った漁船を砂浜にで引上げる手伝いや地引網の手伝いに駆り出されたりした。

 

ガキ大将が付いてさえいれば、安心して盆過ぎの大きなウネリの海で面白がって泳いだ。
 

 

俺が好きだったのは、学校の帰り道に砂浜を通って廃屋になった古い漁師小屋を探検すること。ちょっとした冒険が身近にあった。

 

 

老人達も夕方になると夕涼みに浜に降りてきた。
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おとつぁんやおっかさんも、網を繕う老漁師と呑気に談笑していた。

浜は社交場だったのだ。
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ところが低学年の時に立派な姫川港が出来てから事情が一変した。
 

 

大きな防波堤が完成して海岸浸食が始まったのだ。
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時を同じくして、国道8号線のバイパス道路が海と砂浜の間に完成した。
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海に出るには交通量の激しい国道を横断しなければならないので、まず海で夕涼みする老人が姿を消した。そして学校帰りにフルチンで泳ぐ子供達も姿を消した。
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海は近くて遠い存在になってしまった。
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かって人で賑わった広い砂浜は、今ではテトラポットと石だらけの狭い海岸・・・寂しい風景。<o:p></o:p>

 

 

 

Uターン帰郷してから僅かに残る漁師小屋の記録を始めたが、今日、懐かしい小屋と再会した。それは押上区にあるコンクリート製の漁師小屋。

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俺の子供時代には既に廃屋となっていたが、当時「海賊船」という地元のロックバンドのあんちゃん達がそこでドガチャカとバンドの練習をしていた。
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あれから四十年近く経つが、噂ではまだ「海賊船」は現役で活動しているらしい。一体幾つになったんだぁ?
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そしてこの場をお借りして「海賊船」に謝ります。練習中に小屋の中に爆竹を投げ入れて逃げたのは、寺町の悪ガキ達です。
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でも俺はまだ小さかったので見ていただけです。
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実行犯は上級生です・・・勘弁してくんないっちゃ!<o:p></o:p>

 

 

 

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