ヒスイや神話に興味のある人は、國學院大學博物館のオンラインミュージアムがクールでオススメです!
企画展「モノで読む古事記」第3章 高天原から出雲へ
あまたある古事記の解説は、スピリチュアル目線の我田引水的なものが多いのだが、モノから読み解く考古学は、モノガタリに骨格を与えるのであり、その骨格に肉付けできるモノガタリを探るというのが、私の考え方。
骨格のない肉付けはフニャフニャして心もとなく、好きかってなトンデモ説を産み出す余地になる訳ですな。
その典型が、「弥生時代後半の糸魚川のヌナカワ姫は、出雲の八千鉾神と連合国家を樹立して北陸から山形を支配していた」とする、観光客誘致のために創られたヌナカワ姫の古代のラブロマンス説。
糸魚川からは出雲勢力が進出してきた証となる四隅突出墳丘墓どころか、銅鏡や銅鐸といった威信材が出土しておらず、とても弥生時代に大きな勢力を持っていたとは考えられないのだが、官民挙げて宣伝している骨格なきフニャフニャ説を史実と思い込む糸魚川市民がけっこういるのだ。もっともお隣の上越市をはじめ他地域の人からは眉唾でしょ?と言われることも多い。
文献史学の大家、三浦祐之先生から、古事記のなかの三種の神器のうち、詳細な由来の説明があるのは草薙の剣だけで、これは当初は鏡と勾玉だけの「二種の神器」であり、後から剣を加えたからであろうという解釈を聞いたことがある。
このオンラインミュージアムでは、天の岩戸開きに使われた祭器が、榊に結びつけた銅鏡と勾玉であったことが、出土品の紹介とともに説明されており、三浦先生の解釈に骨格を持たせることになりはしないだろうか?草薙の剣は銅剣!鉄剣!と諸説あるが、以上から、私は鉄剣説に一票!
しかし國學院大學博物館の内川先生、ヒスイや勾玉、石笛のことをもっと取り上げてくださ~い!縄文時代には石笛と推測される出土品があるのに、弥生以降はないのは何故だろう?断絶期のある石笛が、現在でも修験道や古神道系の宗派にだけ鎮魂儀礼に使われているのは何故だろう?世界に類例はあるのか?
調べるほどにわからないことが増えて謎は深まり、勾玉や石笛を作っているのに何も知らない自分が情けない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます