大林宣彦監督が初めて故郷の尾道市で撮影した「転校生」の公開時、地元では映画に映るさびれた尾道の景色に屈辱感を覚える市民が多く、公開中止の声まで出たそう。
ところが予想外のヒットと、後に「尾道三部作」と評される「時をかける少女」と「さびしんぼう」が相次いでヒットして話題になった頃には、ロケ地巡りの観光客が押しかけるようになり、評価は一変。
観光収入増大を期待した尾道市は、ロケ地の記念碑や案内看板の設置を監督に持ち掛けた。
大林監督は、「万人の故郷を私物化する訳にはいかない」「街づくりではなく街保存のために余計な物は不要で、昔ながらの景観を維持することが大事」「映画そのものが記念碑」「ロケセットで金儲けして欲しくない」との理由で拒絶し、尾道市との関係は良好とはいえなくなったようだ。
文化と観光のせめぎ合い・・・同調圧力に屈せず、故郷を愛する映画人として筋を通した大林さんの気骨が好きだ。
最近の糸魚川では、「世界初のヒスイ文明のまち」という言葉まで出て来たが、ここ数十年来の発掘調査により、糸魚川のヒスイ加工は世界初でも国内初でもないと考古学界で認知されているし、ヒスイ文化をヒスイ文明とまで言い換えられては、市民として恥ずかしい。
考古学的に許され、誰からも文句が出ないのは、「国内最古級のヒスイ文化のまち」という表現だろう。
「今だけよければいい・とりあえず興味を持ってもらい、糸魚川に来てもらうことが大事」という観光収入増大ありきの姿勢には、理念も文化もあるとは言えない。
それはネット検索するだけで真逆の情報が簡単に集まる、ぬなかわ姫と出雲の八千鉾神との「古代のラブロマンス」による観光客誘致活動も同様で、考古学や文献史学の裏付けもない「個人的な希望的観測史観」に、恥も外聞もなく観光客を誘致したい思惑が透けて観え過ぎる。
観光客の増大と引き換えに、大事なモノが失われていくことを忘れてはいけない。
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