去年の夏の終わりに、飛騨高山から重たいダンボール箱が五箱も送られてきた。
腕のいい指物師亡き後、その子孫が大量に残った道具類を是非とも譲り受けて欲しいと送ってきたのだ。
指物師とは、釘など使わない伝統的な箱物を作る職人さんである。
最初は俺ごときが頂くのは畏れ多いと辞退したのだが、送料も持つから是非とも貰ってやって欲しいとのこと。
子孫の方も高齢なので、自分が目の黒い内に誰かに貰って欲しいのだけど、価値の分らない古道具屋に売るなんてことはしたくないし、俺が古いモノを大事に使うとの噂を聞いたので、亡くなった指物師の供養だと思って受け取って下さいとまで言われたので頂くことになったのだ。
過去にも糸魚川市の桶職人や上越市の「どぶね」職人の子孫が、道具を譲り受けたことがあるが、後継者不足の職人世界の悲愁を感じる。
己の腕一本で家族を養ってきた職人の生涯・・・そんな彼らの手に馴染んだ道具が日本中で処分されているのだ。
立派な道具が活躍する場も、使い手も失って泣いている・・・哀しい現実。
因みに「どぶね」とは、北陸で発達した網漁に使う古い形式を残した木造漁船だ。
飛騨高山からの段ボールを開けて特に目を引いたのが、自作した専用の箱に収納された大量の砥石類。
砥石の値段はピンキリだが、俺が普段使っているシャプトン社の合成砥石「刃の黒幕」シリーズも、値段の割にはとてもいい砥石だ。
古武術研究家の甲野善紀先生や、和光大学の関根秀樹先生といった、俺の周りの刃物に詳しい人達も愛用している砥石。
お互いに使っている砥石が「刃の黒幕」シリーズと分って笑いあったもんである。
それでも合成砥石とは比較にならない風格のある天然砥石に息を呑んだ。
中には厚みが5㎜以下まですり減った仕上げ砥もあるが、完璧に平らにすり減っていることから、余程に腕の立つ指物師さんが愛用していた砥石に違いない。
つまり良い砥石ということだ。
ちゃんと砥石に合わせた台も付いている高そうな砥石。
こんな良い砥石が俺ごときに貰われて、本来使うべき人に使われないことは不幸なことだとシミジミ想う。
だからすり減った砥石は、使わずに飾っておこうと思う。
立派な職人と道具へのオマージュであり、レイクエムだ。
以前にNHKのテレビ番組で、玉葱を切る時の目に滲みる対策を紹介していた。
我が家では水泳用ゴーグルを使っています!なんて主婦がVTRで紹介された時には笑って観ていた。
しかし番組の半ばから料理研究家が、まな板の両側に蝋燭を立てれば、玉葱の目に滲みる成分が上昇気流で上がって目に滲みないだの、切る前にレンジでチンすれば大丈夫と紹介していて段々と腹が立ってきた。
何で最も初歩的なことを紹介しないのか?・・・不思議だ。
玉葱が目に滲みるのは、切れない包丁で強引に玉葱を押し潰しているからだろう?
よく研いである包丁なら玉葱は抵抗なくスパスパ切れて目に滲みないのだけど、料理研究家ともあろう人がどうして包丁の研ぎを問題にしないのか?
司会者もゲスト達も「なるほどネ~!ガッテン!!」って喜んでいたが・・・何ていう番組か分りますね(笑)・・・誰もそんな基本的な解決法を語らないのは何故だろう?
多くの日本人が自分で包丁を研ぐことや、良く切れる包丁で料理するという経験がなくなってきているから、番組制作者は包丁の研ぎを一般的ではないと度外視したのだろうか?
だとしたら嘆かわしい・・・。
日本人の基礎的な生活力の低下を如実に現していることになる。
よく切れる刃物が欲しいので、伝統的な本物を紹介して欲しいと知人から尋ねられたことが何度かあったが、問題は使い手に研ぎの技術があるかどうかだと思う。
極端な話し、百均で買った包丁だって研ぎ次第でよく切れる・・・と思う。
さて、嘆いてばかりもいられない。
俺が一生かかっても使える量の砥石でもないので、あの砥石の良さを分る人にならお裾分けしてもいいと思っている。
俺の所に送られてくる前にあの砥石を観たある木工家が、素晴らしい砥石なので譲って欲しいと言ってきたそうだが、子孫が態度が気に入らんと断ったといういわく付きの砥石だ。
お裾分けの適任者は関根秀樹先生くらいかなあ?・・・困ったもんだ。