縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

火焔型土器の本場で被災地の輪島漆器が売れた~!・・・笹山遺跡「Oh!昔マルシェ」

2024年11月11日 07時02分01秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
火焔型土器の本場、十日町の笹山遺跡で開催される「Oh!昔マルシェ」に「輪島漆器義援金プロジェクト」のブースを出すことになったが、和やかな雰囲気ではピカイチでも、この遺跡にくるのは飲食ブースとライブを楽しみにくる地元民だけだから、高価な漆器は売れないと覚悟して臨んだら予想をこえる漆器が売れて段ボール箱がひとつ空になった。
被災地に正月モチを贈る寄付金缶に小さな男の子が小銭をいれてくれた。各地で展示販売会をしてもらっているが、わたし自身ははじめてで普段はネット通販している。
 
自分はこんなことしかできないと、親身になって助けてくれた仲間たちのおかげだ。
声をかけてくれたのは、縄文女子の春奈ちゃん。ハラ原人のオモチャの遮光器をつける春奈嬢。
無料で泊めてくれて、外国人ゲストと一緒に愉しい食事会をひらいてくれたのは、民泊「雪室の味」の樋口さん。英語が堪能でなくてもイギリス人とインド人のゲストとじゅうぶんコミュニケーションがとれているのは樋口さんの人間力。
山田さんが来るならと南魚沼から駆けつけてきたのは中央のハラ原人。右が5,000円もする漆器を買ってくれた高校生・・・。
 
みなさん在宅ボランティアで、「輪島漆器義援金プロジェクト」の仲間たち。ありがとう!
なぜか縄文遺跡にティラノザウルス
なぜか笹山遺跡で恐竜レース
 
数ある新潟県の縄文遺跡のなかでも十日町の笹山遺跡は、市民のボトムアップによる熱気が断トツだ。
スタンプラリー用の縄文モチーフの消しゴムスタンプを、夜なべで40個もつくったのは、主催した「伊乎乃(いおの)の里・縄文サポートクラブ」リーダーのアベさん。
1個あたり2時間くらいで完成できるそうだが、各ブースに配るために40個もつくったとなれば80時間もかけた根気のよさ。
わたしのブースには山梨の「渦巻文深鉢」のスタンプが渡されたが、そのクオリティに感嘆した。なんでも縄文縄文と名前だけ縄文をつける風潮に批判的なわたしでも縄文最中は合格( ´艸`)
 
十日町のすばらしさは行政がマニアックな縄文企画をする一方、市民が「みんなで楽しい空間を共有したい」と労を惜しまずに縄文イベントを運営しているところだ。
 
地元の文化財の情報発信、観光客誘致と縄文イベントにもいろんな目的があるだろうが、欲得ぬきで「一緒に遊びましょう!」という市民がいてこそではないだろうか。
 
 
 
 

予定調和から即興の妙へ・・・端材からつくる「neo縄文大珠」

2024年11月08日 06時59分13秒 | ぬなかわヒスイ工房
原石の端材の形を活かした作品つくりは初心者のころから日常的にやっているのだが、ヒスイ加工の大御所に「neo縄文大珠ペンダント」と使用原石をみせたら、えらく褒められて二度見、三度見された。
ヒスイ加工は原石をカットして立方体をつくり、それを用途にあわせた厚みのプレートにカットするのが最初。その過程で端っこが不定形になるので端材利用されることが少ない・・・と思う。
わたしは用途のすくない端っこは三角の形を活かして現代風の大珠などをつくっていて、サイズや形状は二つとないオンリーワンの作品にしている。
 
先輩方の若いころはヒスイの流通量が多かったので惜しげもなく綺麗な部分だけをつかい、端材は短冊形にカットして安いストラップをつくるくらいだった。
わたしの世代は端材であっても作品化しないと商売にならず、創意工夫が試される時代だ。原石の段階と研磨後の模様を見比べてほしい。平滑に研磨すると彩度があがって色のコンストラクトが明確になっていることがわかるでしょ?
むしろ「いま在るモノ」を活かした作品つくりは、予定調和ではなくなるので「モノつくりの悦び」が感じられて愉しい。またこの悦びは割った原石から装身具をつくっていた、縄文のヒスイ加工への原点回帰のようにも思う。
 
この大珠ペンダントでも新しい研磨方法をみつけて、原石の風合いや作品イメージに合うノウハウが増えたから、端材利用といっても疎かにはできない修行だ。
 
縄文の大珠そのまま作品化している人もいるけど、でかくて重いので日常的なアクセサリーとしては如何なものか?カタチやサイズに必然性があった縄文時代ならいざ知らず、現代では造形的にも面白みがないように思うのだが。
民俗学や考古学好きからヒスイ職人になったわたしは、ヒスイを文化として捉えるからまず遺物とその背景を学ぶ。
 
そしてネオ縄文・ネオ弥生・ネオ古墳の装身具に取り組む「守破離」に忠実だから、石好きからヒスイ職人になった人からすると宇宙人みたいに思われるらしい。
 
 
 

朽ち果てる漁船と漂着した輪島漆器・・・重要文化財級の能登の曽々木のドンコブネ

2024年11月05日 08時39分38秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
水害で甚大な被害をうけた町野町の曽々木地区は、裏山が地滑りして亡くなった人もいたと聞いたが、奥能登の山はいたる所で土が剥き出しになっていて痛々しい。
町野町の曾々木地区は海岸が隆起したので津波被害も家屋の損壊もすくなかったが、水害でおおきな被害をうけた。
崩落した「窓岩」のすぐ横に、雑草に覆われて雨ざらしになった木造漁船をみつけた。
 
垂直な水押(みおし・船首のこと)から、昭和30代くらいまで定置網漁につかわれていたドブネ(能登方言ではドンコブネ)では?と、漁船の研究者に写メしたら正解だった。
 
なんと現存するなかで唯一文化財指定されていないドブネで、朽ちるに任せている状態なので、グーグルアースで定点確認しているそうだ。本当なら博物館で収蔵すべき漁船だったのだ。
漂着した輪島漆器の写真撮影していたら声をかけてきた男性がいて、真っ暗になるまで二時間ほど話し込む。男性は穴水の実家が全壊した共同通信の記者。
 
奥さんが拙宅ちかくの糸魚川市出身とのことで、取材をかねた雑談は多岐にわたったが、冠婚葬祭につかわれてきた輪島漆器の「おもてなし文化」と、漁業を担ってきた「ドブネ文化」のなれの果てを説明してシンミリする。
 
集落ごとの集団移転の話もチラホラ聞く。
 
終わってしまった文化形態は如何ともしようもないが、本質の部分は伝承していかないといけない。いつかなにかの役に立つ日がくるかも知れないのだ。
 
 
 

古墳時代の黒い勾玉の謎を追う!・・・出雲大社の宝物複製「黒眞名井」

2024年11月04日 08時21分55秒 | ぬなかわヒスイ工房
11月後半の作品展の目玉に、出雲大社の眞名井の勾玉を複製した。
以前から弥生時代後期とされるこの勾玉は青海川水系のヒスイではないかと感じていたので、青海川採取の秘蔵原石を使用した。
原石の状態ではちょっと見には黒ヒスイ。実物より緑が薄く黒っぽいものの、ガラスのように透明な夜空に黒雲が浮ぶ風景がよく似ていて、これまでつくってきた複製の中で最も出来がよいので「黒眞名井」と銘をつけた。
 
遺物で黒ヒスイの装身具は見たことはなかったが、数年前に山梨の研究者から黒い勾玉が6世紀の古墳から出土したが、ガラスなのかヒスイなのか素材不明と写真鑑定を頼まれて、蛍光X線分析の前に①透過させた時の色の確認②比重測定の二点をアドバイス。
 
送られてきた透過写真は鮮やかな黄緑色だった。ガラス製なら黄緑に発色しないし、カーボン発色の黒ヒスイなら透過しないので、濃い深緑色のヒスイの可能性が高く、その後の蛍光X線分析でも硬玉ヒスイと結果がでた。
「黒眞名井」の透過光は白っぽい薄緑だが、黄緑だと原石価値がわたしには手が出ない桁違いとなる。
 
昨年に開催された大田区立博物館の「大勾玉展」で展示されていた、5世紀の群馬の「軍配山古墳」出土の丁子頭勾玉も同じヒスイのようだが、「文化遺産オンライン」では碧玉とされているのに、「国立博物館オンライン」では硬玉ヒスイ製とされているので、現地に行って調べたいと思う。
 
山梨の6世紀出土と群馬の5世紀出土と時期はずれているものの、古墳時代前期の勾玉の伝世品が埋納されたと考えれば、中部高原地帯の出土品という共通点はある。
 
時間ができたら福島・群馬・山梨・長野・岐阜までの中部高原地帯の勾玉行脚をしたいもの。ヒスイは光を透過させて二度愉しみましょ!
 
 
 

同級生っていいな・・・糸魚川高校83年卒業組の同級会

2024年11月03日 07時13分41秒 | 糸魚川自慢
いまだに高校卒業して5年くらいしか経っていない感じしかしないのに、還暦祝いの高校の同級会に出席。思えば遠くへきたもんだ♪
照れくさいから同級会は苦手なのだけど、もう二度と会えないヤツもいるだろうから勇気をだして参加したぁ
「若いちから」をBGMに幹事が当時の制服を着て入場する趣向が大受け。42年ぶりに校歌を歌い、高揚と不安が入り混じった思春期の体臭や、入り浸っていた美術室の油絵具の匂いが蘇る・・・懐かしいはチカラ!
女子は聖子ちゃんカット、明菜カット、男子は「たのきんトリオ」の髪型が多かったネ。
 
クラスごとのテーブルに卒業アルバムの写真のコピーが置かれていて、学園祭や体育祭のヒーロー、クラスのマドンナたち、ツッパリ、部活仲間、変装してオールナイトの日活ロマンポルノを観にいった同士たちの変わり果てた姿と見比べて笑い転げた。
 
小学生から高校まで、ラジオの深夜放送「オールナイトニッポン」で仕入れたエロネタを笑福亭鶴光の物まねで披露していたKが、現在は小学校校長をしていると聞いて驚く。Kは勉強もできたが、小学生のころからクラスメートの性教育に熱心だった。
 
6年生の夏に体育館のマット置場に引っ張りこんで、「ええか!中学でなんで英語を習うか知っとるか?父ちゃんと母ちゃんが子供にわからないように、英会話で今晩お暇?と夜のお勤めの打合せをするためなんぢゃ!ホントだっちゃ!」とヘンなことを教えて笑わせたり、夏休みの宿題を写させてくれたりしていて、今から思えば当時から教育者の片鱗をみせていたナ( ´艸`)
乾杯の音頭は陸上部のT。当時の糸魚川高校は1クラス40名あまりで1学年9クラスもあり、その3割の120名が参加。肩書きに関係なく、渾名や名前で呼び捨てにできる仲間はいい。
 
60の花文字は、この日のために小学校入学時に「健康優良児」で表彰されたカヨコの家で、陸上部のヨシノちゃんが手伝って育てたバラだそうだ。風船アーチも幹事たちの手づくり。市役所職員や小学校校長などイベント慣れしたヤツばかりでソツがない。
 
次回は高校卒業50周年の8年後。何人生き残ってるもんだかわからんが、同級生のみなさんお達者で!覚えてくれていてありがとう!
 
 
 

男たちの熱き戦いプロジェクトX!・・・能登の復興工事を担う現場作業員

2024年11月02日 07時31分46秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
輪島市郊外の地滑りした河川の法面(のりめん・斜面のこと)で、張り付くようにユンボが動いていて、あまりもの危険な作業に合掌した。
右上のハエがとまっているいかのような黄色いユンボに注目!
ユンボの後ろの黒いリールから二本のワイヤーが張られているではないか。
 
写真を拡大したら二本のワイヤーで吊って転落防止をして、川原からジグザグに登って道をつくっていることが判ったが、よほど腕と度胸のある重機オペレーターなのだろう。
後部の排土板をブレーキにして、崩した法面の土を後ろに移動して自重で転圧しつつ平らな地面を造成しているようだ。
 
おそらくモルタル吹き付けなどの「法面保護工」の準備工なのだろうが、早急に終えないと大雨のたびに土砂や樹木が河川に流れ出て水害を繰り返してしまう。
中央左上にユンボがいて、川原からアプローチしたことが見て取れる図
 
オペレーターは山形からきた鹿島建設の下請け業者であることが駐車してあったライトバンでわかったが、「この現場はあなたしかできません!」と名人を連れてきたのだろうか?オペレーター氏は「今度の現場は長くなるが、正月には帰ってくるよ」と家族に伝えて能登にやってきたものか?男たちの熱き戦いプロジェクトX!
 
今月の能登はあきらかに工事渋滞が増えたが、能登の復興にとってはいいこと。申し訳なさそうに赤旗をふって交通整理している誘導員にも、ありがとうございますと会釈しては通過している。
 
フォークヒーロー、建設現場従事者にエールを!