温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

新矢立温泉 大館矢立ハイツ

2016年05月26日 | 秋田県
峠という場所はその性質上、文学作品の舞台になりやすいので、特定の峠を通過するとそこに関連した作品を思い出される方も多いかと思います。北東北で温泉巡りをしていると、秋田青森県境の矢立峠を越える機会が多いのですが、私がこの峠を越すたびに思い出すのは、森鴎外の『渋江抽斎』、そしてイザベラ・バードの『日本奥地紀行』です。


森鴎外『渋江抽斎』は、その名の通り、江戸時代後期に津軽藩の江戸屋敷へ勤めていた渋江抽斎という医官・学者の生涯を追った伝記なのですが、作品全体の半分近くは抽斎の4番目の妻である五百(いお)に関する記述に割かれており、実質的には五百の一代記になっていると言っても過言ではありません。それだけ森鴎外は五百という女性の人物像に心が惹かれたのでしょうけど、たしかに文中で描かれている五百の生き様は大変魅力的であり、私個人としてはNHK朝の連ドラの題材として推奨したいほど、芯が強くてカッコイイのです。作中で最も有名なのは、江戸の渋江邸に怪しい男たちがやってきた際の一節。抽斎を騙して金をふんだくろうと企んでいたその男たちの存在に気づいた五百は、ちょうどその時に沐浴中だったにもかかわらず、腰巻をつけただけで裸のまま匕首を口にくわえ、熱湯を汲んだ桶を手にして緊迫の現場へ急行し、男たちに熱湯をかけ、匕首の鞘を抜いて「どろぼう」と声をあげて、怪しい男たちを追い払ったのでした。
抽斎がコレラで逝去した約10年後。明治の新政府発足に伴い津軽藩の武士たちが江戸藩邸を引き払って弘前へ退かねばならなくなった際、未亡人である五百は渋江家のリーダーとして、女手で一家を率い、江戸を脱出して弘前まで移動するはめになります。700km以上の長距離を歩いて旅するだけでも非常に大変なことなのに、当時の津軽藩関係者にとって、戊辰戦争真っ只中の東北各地は敵だらけですから、移動することすら難儀なのです。といいますのも、戊辰戦争の時、幕府側の会津や庄内を助けるべく、仙台・米沢・盛岡・長岡など東北や越後の各藩は奥羽越列藩同盟を組んで薩長土肥の新政府側と対立しますが、当時近衛家と姻戚関係にあった津軽藩は新政府側を敵に回すわけにはいかず、一旦加盟した奥羽越列藩同盟から抜け出て、新政府側へと寝返ったため、津軽の人間は、東北各地から怪しまれていたのです。五百一行は弘前までの長い道中で何度も尋問されるのですが、たとえば石橋(現在の栃木県下野市)で仙台藩士による誰何に際し、女は通すのに男は通さないという目に遭ったため、以後、自分の息子を女装するなどして、その都度一計を案じながら難局を切り抜けようとします。とにかく生きて弘前まで辿り着かなければならないという、生へのすさまじい執着が五百一行を北へ北へと向かわせ、身の安全のために敢えて険阻艱難な遠回りの道を選びながら、苦心の末、秋田県を北上し、ようやくたどり着いたのが矢立峠。ここを越えて碇ヶ関の関所を通過し、津軽藩領域に入れば、ようやく身の安全が確保されるのです。その時の様子を、森鴎外は次のように著しています。

さて矢立峠を踰え、四十八川を渡って、弘前へは往くのである。矢立峠の分水線が佐竹、津軽両家の領地界である。そこを少し下くだると、碇関という関があって番人が置いてある。番人は鑑札を検してから、始めて慇懃な詞を使うのである。人が雲表に聳ゆる岩木山を指ゆびさして、あれが津軽富士で、あの麓が弘前の城下だと教えた時、五百らは覚えず涙を翻こぼして喜んだそうである。
『渋江抽斎』  「その八十二」より抜粋)

津軽藩と南部藩は犬猿の仲でしたから、当時、津軽藩の人間が陸路で南から自藩領域へ入るには、南部藩領、現在の青森県県南地方(三八上北地方)を通るわけにはいかず、津軽と同じ新政府側だった秋田から入る他ありません。となれば、通るべき道は矢立峠(海岸沿いの大間越ですと遠回り)になります。矢立峠を越えて、行く手に聳える津軽の霊峰岩木山を目にした時、長い道中で辛酸を舐めつづけてきた労苦がようやく報われる、そう確信したんですね。五百一行にとって矢立峠は、艱難辛苦の長旅から解放される最後のハードル、安堵への入口だったわけです。



もうひとつ。明治初期にこの峠を越えたイギリス人女性イザベラ・バードの旅行記『日本奥地紀行』でも、この矢立峠は女史に特別な印象を与えているようです。彼女は明治11年に横浜を経って東北地方を北上し、北海道へ渡ってアイヌの文化についてこまかく研究するのですが、その旅の途中で矢立峠を越えています。峠に関して、このように記述しています。

杉の深い森におおわれた暗くて高い山の峰が私たちの前に立ちふさがってくると、私たちは新しい道路に出た。馬車も通れる広い道路で、りっぱな橋を渡って二つの峡谷を横切ると、すばらしい森の奥へ入って行く。ゆるやかな勾配の長いジグザグ道を登って矢立峠に出る。この頂上にはりっぱな方尖塔(オベリスク)がある。これは砂岩を深く切ったもので、秋田県と青森県の県境を示す。これは日本にしてはすばらしい道路である。傾斜をうまくゆるやかにして築き上げ、旅行者が休息するための丸太の腰掛も便利な間隔で置いてある。この道路を造るために発破をかけたり勾配をゆるやかにしたり、苦労の多い土木工事だったろうが、それも長さ四マイルだけで、両端からはあわれな馬道となっている。私は他の人々を残して、一人で峠の頂上まで歩いて行き、反対側に下りた。そこはあざやかな桃色と緑色の岩石に発破をかけて造った道路で、水が滴り落ち光り輝いて見えた。私は日本で今まで見たどこ峠よりもこの峠を賞め讃えたい。光り輝く青空の下であるならば、もう一度この峠を見たいとさえ思う。この峠は(アルプス山中の)ブルーニッヒ峠(※)の最もすばらしいところとだいぶ似ており、ロッキー山脈の中のいくつかの峠を思わせるところがある。しかしいずれにもまさって樹木がすばらしい。孤独で、堂々としており、うす暗く厳かである。
平凡社ライブラリー『日本奥地紀行』高梨健吉訳 「第二十八信 青森県碇ケ関にて 8月2日」より抜粋)
(※)スイスのブリュニク峠を指しているものと思われます。

参考までに、英語の原文は以下の通りです。
Happily there was not much of this exhausting work, for, just as higher and darker ranges, densely wooded with cryptomeria, began to close us in, we emerged upon a fine new road, broad enough for a carriage, which, after crossing two ravines on fine bridges, plunges into the depths of a magnificent forest, and then by a long series of fine zigzags of easy gradients ascends the pass of Yadate, on the top of which, in a deep sandstone cutting, is a handsome obelisk marking the boundary between Akita and Aomori ken. This is a marvellous road for Japan, it is so well graded and built up, and logs for travellers' rests are placed at convenient distances. Some very heavy work in grading and blasting has been done upon it, but there are only four miles of it, with wretched bridle tracks at each end. I left the others behind, and strolled on alone over the top of the pass and down the other side, where the road is blasted out of rock of a vivid pink and green colour, looking brilliant under the trickle of water. I admire this pass more than anything I have seen in Japan; I even long to see it again, but under a bright blue sky. It reminds me much of the finest part of the Brunig Pass, and something of some of the passes in the Rocky Mountains, but the trees are far finer than in either. It was lonely, stately, dark, solemn(以下省略)
""Unbeaten Tracks in Japan""(1885年版)より抜粋。出典は Project Gutenberg

イザベラ・バードは横浜から東北を縦断する過程で、各地の様々な風土に触れ、明治初期の日本の農村や庶民の姿を事細かにスケッチしています。彼女の筆は遠慮することなく、自身の感情に従ってストレートに表現しており、山形県の米沢界隈を桃源郷と絶賛する一方、いまでは有名な観光地となっているような場所でも舌鋒鋭くケチョンケチョンに貶していたりと、当時の日本の光と影を忌憚なく記録しているのですが、そんな辛口な彼女をして「日本で今まで見たどこ峠よりもこの峠を賞め讃えたい(I admire this pass more than anything I have seen in Japan)」と言わしめたものは、整備された道の状況もさることながら、あたりの山域に広がる樹林の美しさ、つまり秋田杉の美林なのであります。女史がこの峠を越えてから約140年が経っていますが、いまでも国道7号線の両側には秋田杉が美しく広がっていますので、峠を越えるたび、車のフロントガラスに映る美林を眺めながら、きっと彼女もおなじような美しさに心を奪われたのだろうな、と思いを巡らせてしまいます。



前置きがすっかり長くなってしまいました。閑話休題。温泉の話へ戻しましょう。
上記で紹介した2人の女性をはじめとして、数えきれないほど多くの人生を見届けてきたこの矢立峠は、皆様ご存知のように秋田青森両県の県境となっているわけですが、その境界線を目の前にした秋田県側に位置している「道の駅 やたて峠」には、温泉入浴が可能な宿泊施設が付帯しております。そこで今回は日帰り入浴で利用することにしました。


 
秋田青森県境の峠ですが、当地はギリギリのところで秋田県。正面玄関ホールには秋田を代表する味覚のひとつ、きりたんぽが巨大化してお客さんを出迎えていました。このきりたんぽの左手にはレストランなどいわゆる一般的な道の駅ゾーンが広がっており、右手は宿泊および入浴施設ゾーンとなっています。和の飾りで彩られているフロントの右脇には券売機が設置されていますので、それで料金を支払い、エレベーターで4階へと上がります。


 
エレベーターを4階で降りると、目の前の小さなホールはゲームコーナーとなっていました。ファミリーでの宿泊を想定しているのかな。そんなエレベーターホールから伸びる細長い渡り廊下を進んで、浴場へと向かいます。



廊下の先には湯上がり客向けの休憩室があり、その左手に2つの浴場が出入口を構えていました。2つの浴場はそれぞれ「天空の湯」および「かぐやの湯」とネーミングされており、浴室自体はシンメトリーな構造になっているのですが、単に名前が異なるだけでなく露天風呂の造りがかなり異なっているため、日によって男女入れ替えているようです。私が訪れた日は「かぐやの湯」が男湯になっていました。マッチョなお兄さんもハゲた爺さんも、みんなかぐや姫気分になるのかな。


 
さすが宿泊施設の大浴場だけあり、脱衣室は広く綺麗で、使い勝手良好です。エアコンも運転されているため、私が訪れた汗ばむ夏はもちろん、四季を通じて快適な環境が保たれているものと思われます。


 
脱衣室内に掲示されている浴場の構内図です。上述したようにこの日の男湯は「かぐやの湯」でしたが、この図によれば、もう一つの浴場(この日の女湯)である「天空の湯」に付帯している露天風呂は「かぐやの湯」よりも大きいんですね。残念…。宿泊すれば両方入れるんでしょうから、350円で日帰り入浴させていただいている身としては、己の運の悪さを恨むほか致し方ありません。


 
さて「かぐやの湯」の浴室へと参りましょう。浴室は広々としており、天井も高く、大きな窓から陽光も降り注いで、屋内ながらも開放感があります。後述するように温泉が赤く濁っているため、お湯がこびりつく床などを中心に浴室内は赤錆色に染まっており、窓の外に見える杉林の緑が湯船と補色関係になって、浴室内を覆い尽くす赤茶色が妙に映えていました。


 
浴室内にはL字形に洗い場が配置されており、カランが11基並んでいます。また出入口の脇にはサウナや水風呂も設けられていますので、サウナ好きの御仁も満足できるでしょう。



洗い場がL字形ならば内湯の浴槽もL字形。浴槽の両端からお湯がオーバーフローしており、溢れ出たお湯はグレーチングへと流下していました。湯船のお湯は赤みを帯びたオレンジ色に濃く濁っており、透明度はほとんどありません。そして浴槽の周りも同色で染まっていました。


 
隅っこにある石積みの湯口からお湯が注がれているのですが、上から投入口を覗くと、そこには透明なお湯が下からこんこんと上がっていました。源泉から湧出してここまで引かれてくる間は無色透明ですが、湯口で放出されて湯船で空気に触れた途端に、急激に酸化して赤錆色に濁るわけですね。


 
上述したように湯船のお湯は両端からグレーチングへオーバーフローしているのですが、人が湯船に入った時などは縁から洗い場へと溢れ出るので、そのお湯が流れる床は赤く染まるだけでなく、石灰によって千枚田状態になっていました。そういえば、矢立峠界隈の温泉では、「矢立温泉赤湯 アクト・バート矢立」(現在休業中)も同じような析出が表れていましたっけ。


 

「かぐやの湯」の露天風呂はウッドデッキの中央に浴槽が据えられており、周囲には秋田杉の美林が広がっていて、とても清々しい環境です。炭酸ガスを放つ温泉だからか、露天風呂の周囲には数匹のアブが飛び交っていましたが、それ以上にトンボの数が多く、そのトンボという天敵に捕食されてしまうためか、夏だというのにアブの数は意外にも少なかったように思われました。
内湯と同じく浴槽のお湯は濃いオレンジ色に濁っており、槽内の様子は全く目視できません。また、床よりかなり低い位置に湯面があるため、気をつけないと踏み外してしまいそうになります。このためウッドデッキには浴槽の深さに関する注意が掲示されていました。私も慣れないうちは高さの間隔が掴みにくかったため、念のために手摺をしっかり摑まりながら入浴しました。


 
焼けただれたように赤黒く染まる湯口からお湯が吐出されており、湯面には鉄バクテリアによる鉄の酸化皮膜が浮かんでいました。そして、お湯を口に含むと、はっきりとした塩味と強い鉄錆味、苦味、そして炭酸味が感じられ、湯面からは金気の匂いが放たれていました。湯使いは内湯・露天ともに放流式ですが、源泉温度が高いため、冬期以外は加水されているそうです。湯船に入ると、足・手・尻など浴槽内に触れた肌がオレンジ色に染まるのが面白いところ。ということは、湯上がりに体をタオルで拭うと、タオルが同色に染まってしまうので、ここで入浴する際は、できれば使い古しのタオルを持参した方が良いかと思います。湯中では滑らかなツルスベ浴感が得られ、湯上がりには強い温まりに包まれる、正真正銘の本格的な温泉です。温泉浴場が付帯している道の駅は全国各地にもありますが、わずか350円でこれだけ本格的な温泉に浸かれる施設は珍しいでしょうね。渋江五百一行が安堵を得た峠のすぐ傍で湧く温泉に浸かり、イザベラ・バードが感動した杉の美林を眺めながら出で湯で心身を癒される…。なんて素敵なお風呂なんでしょう。
矢立峠周辺は温泉資源に恵まれているにもかかわらず、各施設が次々に休業へ追い込まれていますから、道の駅として比較的安定している運営をこれからも続けていただいて、ぜひこの良いお湯を守っていただきたいものです。


ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉 47.6℃ pH6.1 溶存物質7.91g/kg 成分総計8.365g/kg
Na+:1933mg(66.20mval%), Mg++:171.8mg(11.13mval%), Ca++:510.4mg(20.06mval%), Fe++:15.4mg, Fe+++:4.0mg,
Cl-:4550mg(93.79mval%), Br-:9.3mg, I-:0.5mg, HCO3-:505.8mg(6.06mval%),
H2SiO3:78.3mg, HBO2:29.8mg, CO2:457.2mg,
(平成19年10月25日)
夏期は加水あり(浴槽の温度調整のため)
加温・循環・消毒なし(ただし、日々の換水時に浴槽を塩素系薬剤で消毒)

秋田県大館市長走字陣場311  地図
0186-51-2311
ホームページ

日帰り入浴7:00~21:00
350円
ロッカー・シャンプー類・ドライヤーあり

私の好み:★★+0.5
コメント (4)
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