※今回記事に温泉は登場しません。あしからず。
前々回および前回記事で取り上げた高原町の「湯之元温泉」をチェックアウトした後は、東京へ帰るために鹿児島空港に向かいたかったのですが、単純に空港へ行くだけでは芸がないので、昔ながらの旅情を楽しむべく、ちょっと寄り道することにしました。
●吉都線を乗りつぶす
まずはレンタカーで都城まで向かい、市内で車を返却してから、路線バスで都城駅へ。
この時乗った列車は都城10:18発の吉都線、吉松経由隼人行きです。都城を出てから吉都線の終点吉松を経由し、そこから肥薩線に乗り入れて、日豊本線と合流する隼人駅まで走る各駅停車のローカル列車です。隼人駅やその隣の国分駅からは鹿児島空港行きの路線バスが発着していますので、この列車の終点でバスへ乗り換えようという算段です。都城から隼人(もしくは国分)へ列車で行くなら、日豊本線を利用した方がはるかに早いのですが、なぜ今回は思いっきり遠回りとなる吉都線ルートを選んだのかは、当記事の本題に関わることですので、詳しくはまた後ほど。
JR九州による「KAGOSHIMA by ROLA」キャンペーンの中吊りが掲示されている車内ですが、車両自体はローラが生まれるずっと前の国鉄時代に製造されたキハ47(改造されて現在はキハ147に改番)とキハ40の2両編成。天井の扇風機にはいまだにJNRのロゴが残っていました。でもね、古くたってちゃんと走れるんだよ、へぇエンジン変えてるんだ、よくわかんなーい、うん、いい感じー。
午前10時すぎという時間帯だからか、乗客は1両につき数名程度というガラガラ状態のまま都城を出発。数少ないお客さんの中には、スーツ姿で書類を広げる3人グループがいたのですが、地元で仕事する人は車で行動するでしょうから、おそらく遠く離れた地方から出張でやってきたのでしょう。たしかに、地元で生活する人にとって吉都線のような不便なローカル線は学生か老人しか使わない前近代的なインフラに過ぎず、鉄道会社にとっても赤字を膨らませる負の遺産なのかもしれませんが、私のような旅行者をはじめ、他地域から仕事などで訪れる人にとっては、国鉄だろうがJRであろうが、どれだけ時代が変わっても貴重な交通手段であることに違いありません。
ロートル車両のローカル列車は、霧島の山稜を遠くに眺めながら長閑な田園風景の中を走っていきます。線路はえびの高原へ向かって緩やかな上り勾配が続きます。
前回記事の「湯之元温泉」最寄駅である高原駅で反対方向の列車と交換(行き違い)。ここまで来ると霧島連山がかなり近くまで迫ってきますね。進行方向の正面に山が聳える高原駅のホームはとてもフォトジェニックです。
車窓に広がる高原の畑を眺めていると、徐々に市街地が近づき…
小林市の玄関口となる小林駅に到着しました。ここでスーツの3人を含む乗客のほとんどが降車してしまい、2両編成の列車には私など片手に収まる程度の客が残るばかりとなりました。なるほど、吉都線の廃止が常に取り沙汰されるのも宜なるかな。ついさっき「貴重な交通手段であることに違いありません」と偉そうに見得を切ってみたものの、この状況を目の当たりにして自信を喪失し、前言撤回したくなっちゃいました。ズブの素人が下手に意見するものではありませんね。ちなみにJR九州の路線の中では、輸送密度(1日1km当たりの平均輸送量)が最低なんだとか。
小林を出るとウネウネと小さなカーブが続き、身をよじるようにして坂道を登ると、更に標高が上がって車窓に山林が迫ってくるようになりました。
樹林の連続を抜けると再び視界が広がり、えびの高原の田園地帯を快走。窓から入ってくる風が気持ち良いので、麗らかな空気を体に吸収すべく深呼吸をしたら、タイミング悪く家畜小屋から漂う臭いを思いっきり吸い込んでしまい、ゲホゲホと噎せ返してしまいました。きっと私の日頃の行いが悪いから、こういう目に遭ったのでしょう。
以前拙ブログで取り上げた「鶴丸温泉」が目の前にある鶴丸駅を出た後は・・・
やはり以前取り上げた「前田温泉」を見下ろし、その直後に川内川を渡って・・・
●いまや珍しい立ち売り 吉松駅の駅弁
定刻通りの11:46に吉松駅へ到着しました。吉都線はここまで。吉松から先は肥薩線に乗り入れます。発車は11:59ですので、13分間この駅で停車します。
私が日豊本線ではなく、大幅に遠回りとなる吉都線経由にした理由は、この駅にありました。
本題からちょっと逸れますが、私が訪れたのは今年(2016年)5月の中旬。同年4月に発生した熊本の震災により肥薩線はしばらく運休していましたが、私が旅をしたちょっと前に復旧し、これに伴い肥薩線の観光列車も運転を再開したのでした。吉松駅ではその観光列車「しんぺい」の出発式が挙行されている真っ最中。地元テレビ局も取材に駆けつけ、普段は静かな駅構内もこの時ばかりは賑やかに盛り上がり、地元の観光ボランティアの皆さんが熊本の復興を応援していました。
ところが、観光列車「しんぺい」が発車した後は、潮が引くかのようにみなさんサーっと一斉に立ち去り、駅構内はあっという間にいつもの静寂さを取り戻したのでした。ひと気のない閑散としたホームには、ディーゼル車のエンジン音が響くばかり。左(上)画像には2つの列車が写っていますが、右側は私が乗ってきた隼人行、一方の左側は逆方向の都城行です。
この吉松駅から出発する吉都線都城方面は1日10〜11本、肥薩線は隼人方面が15本、人吉方面に至っては5本しか運転されませんが、運行上の要衝であることに違いなく、その証として、ホームの上には行先表示板(通称「サボ」)を入れる棚が設置されていました。鉄道車両の側面に表示される行先は、いまではLEDが主流であり、ひと昔はロールタイプの幕が多かったわけですが、さらに時代を遡ると、車体に横長の行先表示板をぶら下げたり枠に差し込んだりしていました。さすがに関東地方では一部の中小私鉄を除いて見られなくなりましたが、九州でもとりわけ鹿児島や宮崎界隈ではいまでも現役であり、列車が終着駅に到着すると、係員が素早い手付きで行先表示板を差し替えて、折り返し運転に備えます。ホームにこの棚があるということは、この駅を起点(もしくは終点)として運転される列車が多いという意味なんですね。
さて、本題へ戻りましょう。私が吉松駅に立ち寄りたかったのは、ホームにある売店で扱っているものを買いたかったからです。1日平均乗降客数が250人にも満たない小さな駅にもかかわらず、ホーム上に売店があるだなんて奇跡的なのですが、この駅ではもっと珍しいことがいまだに残っているのです。
その今時珍しいこととは、駅弁の立ち売りです。かつて特急列車が停まるような主要駅では、当たり前のようにホームなど駅構内で駅弁の立ち売りが見られましたが、在来線から特急が消えるに従って売り子の姿も全国から消えて行き、いまだに残っているのは、東武の下今市、特急「ひだ」が停まる美濃太田、かしわめしで有名な鹿児島本線の折尾、SLなど観光列車が発着する肥薩線の人吉、そしてこの吉松駅ぐらいでしょうか。このほか、数年前に私は新潟県の直江津駅で立ち売りのおじさんから駅弁を買いましたが、在来線が第三セクター化された今でも残っているのでしょうか。
上に挙げた5〜6駅のうち、吉松を除く各駅はそこそこの乗降(もしくは乗換)の客がいたり、あるいは地域の拠点駅だったりするのですが、この吉松駅に至っては、たしかに列車運行上の拠点であり且つ鹿児島県湧水町の中心地であるものの、上述のように1日あたりの運行本数は非常に少なく、乗降客は250人以下であり、付近にこれといった観光名所があるわけでもないので、駅弁の需要なんてたかが知れています。いや、昔は賑わっていたかもしれませんが、いまこの駅に接続する両路線は、JR九州の輸送密度ワースト1(吉都線)とブービー賞(肥薩線)という惨憺たる有り様です。にもかかわらず、昔からいまに至るまで頑固に駅弁の立ち売りを守り抜いているのです(一時期は休止したこともあったようですが)。その素晴らしい心意気に私は心を打たれ、ぜひ立ち売りから駅弁を買いたかったのでした。
とはいえ、いつも駅弁を販売しているとは限りませんので、私は都城駅で列車に乗る前にあらかじめ電話で予約を入れて、確実に入手できるよう手配しておきました。私が列車を降りると、肩から木箱を担ぐ昔ながらのスタイルでお爺さんがやってきて、笑顔で温かい駅弁を手渡してくださいました。なんて勇ましい姿なんでしょう!
吉松駅の駅弁は一種類のみ。その名も「御弁当」。実に潔いですね。金650円也。紐を解いて包みを開くと、650円の駅弁とは思えないほど具沢山にビックリ! 所謂幕の内であり、卵焼き・里芋・つくね・煮物(糸こんにゃく・蓮根・にんじん・大根など)・揚げ物・豚バラ焼などが、どれも一口サイズながらギッシリと詰め込まれているのです。まさに小さな宝石箱。温かいお弁当は作りたての証。650円ひとつのために調製してくれたお弁当屋さんに感謝です。定刻の11:59に列車は吉松を発車。窓を開けて風を受けながら、お爺さんがオマケでくれた缶コーヒーを片手に、このお弁当を美味しくいただきました。
お弁当の包み紙は持ち帰りました。上画像がその包み紙です。吉松温泉や京町温泉、そして肥薩線のスイッチバックや霧島連山といった周辺の山々など、周囲の観光名所を地図上にあしらったとてもレトロなデザインですが、昔からこの包み紙を使っているのではなく、少なくとも10年ほど前は違う意匠だったようです。昔から連綿と続いているように思われますが、実はその時々に応じて姿形を変えているのかもしれませんね。
参考までにお弁当の注文(予約)先を載せさせていただきます。
駅弁たまり 電話0995-75-2046
注文時には乗車する列車(何時にどの駅を出て何時に吉松駅へ到着するか)、お弁当の個数、名前などを伝えると良いかと思います。そして、釣り銭なきよう必ず小銭を用意しておきましょう!
吉松から肥薩線に乗り入れた列車は、いまや観光名所になった嘉例川駅など各駅を丁寧に一つ一つ停まりながら南下し・・・
定刻12:51に終着の隼人駅へ到着しました。水戸岡チックなデザインに改修された駅舎の上には、島津の丸十が大きく掲げられています。江戸時代には島津家の支配を受けていたとはいえ、隼人や国分といった現在の霧島市一帯は、かつて大隈に属していました。よく考えれば、肥薩線とはいうものの、起点の八代(肥後)から終点の隼人(大隈)まで薩摩を全く擦りもしない不思議な路線なのであります。でも地理通りに肥大線にしちゃうと、男性乗客の前立腺に変調をきたしそうなので、いまのままで良いのかもしれませんね。
.
前々回および前回記事で取り上げた高原町の「湯之元温泉」をチェックアウトした後は、東京へ帰るために鹿児島空港に向かいたかったのですが、単純に空港へ行くだけでは芸がないので、昔ながらの旅情を楽しむべく、ちょっと寄り道することにしました。
●吉都線を乗りつぶす
まずはレンタカーで都城まで向かい、市内で車を返却してから、路線バスで都城駅へ。
この時乗った列車は都城10:18発の吉都線、吉松経由隼人行きです。都城を出てから吉都線の終点吉松を経由し、そこから肥薩線に乗り入れて、日豊本線と合流する隼人駅まで走る各駅停車のローカル列車です。隼人駅やその隣の国分駅からは鹿児島空港行きの路線バスが発着していますので、この列車の終点でバスへ乗り換えようという算段です。都城から隼人(もしくは国分)へ列車で行くなら、日豊本線を利用した方がはるかに早いのですが、なぜ今回は思いっきり遠回りとなる吉都線ルートを選んだのかは、当記事の本題に関わることですので、詳しくはまた後ほど。
JR九州による「KAGOSHIMA by ROLA」キャンペーンの中吊りが掲示されている車内ですが、車両自体はローラが生まれるずっと前の国鉄時代に製造されたキハ47(改造されて現在はキハ147に改番)とキハ40の2両編成。天井の扇風機にはいまだにJNRのロゴが残っていました。でもね、古くたってちゃんと走れるんだよ、へぇエンジン変えてるんだ、よくわかんなーい、うん、いい感じー。
午前10時すぎという時間帯だからか、乗客は1両につき数名程度というガラガラ状態のまま都城を出発。数少ないお客さんの中には、スーツ姿で書類を広げる3人グループがいたのですが、地元で仕事する人は車で行動するでしょうから、おそらく遠く離れた地方から出張でやってきたのでしょう。たしかに、地元で生活する人にとって吉都線のような不便なローカル線は学生か老人しか使わない前近代的なインフラに過ぎず、鉄道会社にとっても赤字を膨らませる負の遺産なのかもしれませんが、私のような旅行者をはじめ、他地域から仕事などで訪れる人にとっては、国鉄だろうがJRであろうが、どれだけ時代が変わっても貴重な交通手段であることに違いありません。
ロートル車両のローカル列車は、霧島の山稜を遠くに眺めながら長閑な田園風景の中を走っていきます。線路はえびの高原へ向かって緩やかな上り勾配が続きます。
前回記事の「湯之元温泉」最寄駅である高原駅で反対方向の列車と交換(行き違い)。ここまで来ると霧島連山がかなり近くまで迫ってきますね。進行方向の正面に山が聳える高原駅のホームはとてもフォトジェニックです。
車窓に広がる高原の畑を眺めていると、徐々に市街地が近づき…
小林市の玄関口となる小林駅に到着しました。ここでスーツの3人を含む乗客のほとんどが降車してしまい、2両編成の列車には私など片手に収まる程度の客が残るばかりとなりました。なるほど、吉都線の廃止が常に取り沙汰されるのも宜なるかな。ついさっき「貴重な交通手段であることに違いありません」と偉そうに見得を切ってみたものの、この状況を目の当たりにして自信を喪失し、前言撤回したくなっちゃいました。ズブの素人が下手に意見するものではありませんね。ちなみにJR九州の路線の中では、輸送密度(1日1km当たりの平均輸送量)が最低なんだとか。
小林を出るとウネウネと小さなカーブが続き、身をよじるようにして坂道を登ると、更に標高が上がって車窓に山林が迫ってくるようになりました。
樹林の連続を抜けると再び視界が広がり、えびの高原の田園地帯を快走。窓から入ってくる風が気持ち良いので、麗らかな空気を体に吸収すべく深呼吸をしたら、タイミング悪く家畜小屋から漂う臭いを思いっきり吸い込んでしまい、ゲホゲホと噎せ返してしまいました。きっと私の日頃の行いが悪いから、こういう目に遭ったのでしょう。
以前拙ブログで取り上げた「鶴丸温泉」が目の前にある鶴丸駅を出た後は・・・
やはり以前取り上げた「前田温泉」を見下ろし、その直後に川内川を渡って・・・
●いまや珍しい立ち売り 吉松駅の駅弁
定刻通りの11:46に吉松駅へ到着しました。吉都線はここまで。吉松から先は肥薩線に乗り入れます。発車は11:59ですので、13分間この駅で停車します。
私が日豊本線ではなく、大幅に遠回りとなる吉都線経由にした理由は、この駅にありました。
本題からちょっと逸れますが、私が訪れたのは今年(2016年)5月の中旬。同年4月に発生した熊本の震災により肥薩線はしばらく運休していましたが、私が旅をしたちょっと前に復旧し、これに伴い肥薩線の観光列車も運転を再開したのでした。吉松駅ではその観光列車「しんぺい」の出発式が挙行されている真っ最中。地元テレビ局も取材に駆けつけ、普段は静かな駅構内もこの時ばかりは賑やかに盛り上がり、地元の観光ボランティアの皆さんが熊本の復興を応援していました。
ところが、観光列車「しんぺい」が発車した後は、潮が引くかのようにみなさんサーっと一斉に立ち去り、駅構内はあっという間にいつもの静寂さを取り戻したのでした。ひと気のない閑散としたホームには、ディーゼル車のエンジン音が響くばかり。左(上)画像には2つの列車が写っていますが、右側は私が乗ってきた隼人行、一方の左側は逆方向の都城行です。
この吉松駅から出発する吉都線都城方面は1日10〜11本、肥薩線は隼人方面が15本、人吉方面に至っては5本しか運転されませんが、運行上の要衝であることに違いなく、その証として、ホームの上には行先表示板(通称「サボ」)を入れる棚が設置されていました。鉄道車両の側面に表示される行先は、いまではLEDが主流であり、ひと昔はロールタイプの幕が多かったわけですが、さらに時代を遡ると、車体に横長の行先表示板をぶら下げたり枠に差し込んだりしていました。さすがに関東地方では一部の中小私鉄を除いて見られなくなりましたが、九州でもとりわけ鹿児島や宮崎界隈ではいまでも現役であり、列車が終着駅に到着すると、係員が素早い手付きで行先表示板を差し替えて、折り返し運転に備えます。ホームにこの棚があるということは、この駅を起点(もしくは終点)として運転される列車が多いという意味なんですね。
さて、本題へ戻りましょう。私が吉松駅に立ち寄りたかったのは、ホームにある売店で扱っているものを買いたかったからです。1日平均乗降客数が250人にも満たない小さな駅にもかかわらず、ホーム上に売店があるだなんて奇跡的なのですが、この駅ではもっと珍しいことがいまだに残っているのです。
その今時珍しいこととは、駅弁の立ち売りです。かつて特急列車が停まるような主要駅では、当たり前のようにホームなど駅構内で駅弁の立ち売りが見られましたが、在来線から特急が消えるに従って売り子の姿も全国から消えて行き、いまだに残っているのは、東武の下今市、特急「ひだ」が停まる美濃太田、かしわめしで有名な鹿児島本線の折尾、SLなど観光列車が発着する肥薩線の人吉、そしてこの吉松駅ぐらいでしょうか。このほか、数年前に私は新潟県の直江津駅で立ち売りのおじさんから駅弁を買いましたが、在来線が第三セクター化された今でも残っているのでしょうか。
上に挙げた5〜6駅のうち、吉松を除く各駅はそこそこの乗降(もしくは乗換)の客がいたり、あるいは地域の拠点駅だったりするのですが、この吉松駅に至っては、たしかに列車運行上の拠点であり且つ鹿児島県湧水町の中心地であるものの、上述のように1日あたりの運行本数は非常に少なく、乗降客は250人以下であり、付近にこれといった観光名所があるわけでもないので、駅弁の需要なんてたかが知れています。いや、昔は賑わっていたかもしれませんが、いまこの駅に接続する両路線は、JR九州の輸送密度ワースト1(吉都線)とブービー賞(肥薩線)という惨憺たる有り様です。にもかかわらず、昔からいまに至るまで頑固に駅弁の立ち売りを守り抜いているのです(一時期は休止したこともあったようですが)。その素晴らしい心意気に私は心を打たれ、ぜひ立ち売りから駅弁を買いたかったのでした。
とはいえ、いつも駅弁を販売しているとは限りませんので、私は都城駅で列車に乗る前にあらかじめ電話で予約を入れて、確実に入手できるよう手配しておきました。私が列車を降りると、肩から木箱を担ぐ昔ながらのスタイルでお爺さんがやってきて、笑顔で温かい駅弁を手渡してくださいました。なんて勇ましい姿なんでしょう!
吉松駅の駅弁は一種類のみ。その名も「御弁当」。実に潔いですね。金650円也。紐を解いて包みを開くと、650円の駅弁とは思えないほど具沢山にビックリ! 所謂幕の内であり、卵焼き・里芋・つくね・煮物(糸こんにゃく・蓮根・にんじん・大根など)・揚げ物・豚バラ焼などが、どれも一口サイズながらギッシリと詰め込まれているのです。まさに小さな宝石箱。温かいお弁当は作りたての証。650円ひとつのために調製してくれたお弁当屋さんに感謝です。定刻の11:59に列車は吉松を発車。窓を開けて風を受けながら、お爺さんがオマケでくれた缶コーヒーを片手に、このお弁当を美味しくいただきました。
お弁当の包み紙は持ち帰りました。上画像がその包み紙です。吉松温泉や京町温泉、そして肥薩線のスイッチバックや霧島連山といった周辺の山々など、周囲の観光名所を地図上にあしらったとてもレトロなデザインですが、昔からこの包み紙を使っているのではなく、少なくとも10年ほど前は違う意匠だったようです。昔から連綿と続いているように思われますが、実はその時々に応じて姿形を変えているのかもしれませんね。
参考までにお弁当の注文(予約)先を載せさせていただきます。
駅弁たまり 電話0995-75-2046
注文時には乗車する列車(何時にどの駅を出て何時に吉松駅へ到着するか)、お弁当の個数、名前などを伝えると良いかと思います。そして、釣り銭なきよう必ず小銭を用意しておきましょう!
吉松から肥薩線に乗り入れた列車は、いまや観光名所になった嘉例川駅など各駅を丁寧に一つ一つ停まりながら南下し・・・
定刻12:51に終着の隼人駅へ到着しました。水戸岡チックなデザインに改修された駅舎の上には、島津の丸十が大きく掲げられています。江戸時代には島津家の支配を受けていたとはいえ、隼人や国分といった現在の霧島市一帯は、かつて大隈に属していました。よく考えれば、肥薩線とはいうものの、起点の八代(肥後)から終点の隼人(大隈)まで薩摩を全く擦りもしない不思議な路線なのであります。でも地理通りに肥大線にしちゃうと、男性乗客の前立腺に変調をきたしそうなので、いまのままで良いのかもしれませんね。
.