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パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

合格おめでとう!

2005年11月11日 | 夫ネタ
11月11日(金)曇り
昨日は、夏に夫が受験した技術士の筆記試験合格発表の日。
これは私のブログの師「○ぴの」氏のブログで入手した情報。
○ぴの氏は予想通りの楽勝合格!おめでとうございます。
でもうちの夫、な~んにも言わないぞ。
ってことはダメだったということか・・・
そういう資格試験と無縁の私は、合格発表の方法にも無知で
(もちろん夫もそういう話をしないタイプだし)
○ぴの氏はいつどうやって合格を知ったのか?
午前中に分かってるってことは会社に連絡あるのか?
それとも前日にわかったのか?
それとも自宅から連絡あったのか?
・・・でもなんにせよ夫は何も言わないとこみると
ダメだったってことね・・・
あ~、また来年の夏、こんな苦しげな試験を受けなきゃいけないのね、
外野も気分重いわぁ~なんて思っていた。
で、夜遅くに帰宅した夫。
いつものポーカーフェイスである。
私の口はむずむずするが、今回の入院・手術で夫にだいぶ借りがあるので
多分夫が望むであろう「しらんぷり」を決め込む。
いつもなら傷口にたっぷり粗塩を塗りこむタイプなんだけどね。
夫「今日ハガキ来なかった?」
妻「いいえ(あ~っ、自宅に合格通知のハガキがくるんだったのね)」
夫「じゃあ、大丈夫だったかなあ」
妻「え?」
夫「今日発表だったんだけど、受験番号の書いてあるはがき持っていくの忘れてて
まだ見てないんだ。ハガキが今日届いてたらアウトなんだけど、
合格だったらもう少し遅れて届くらしいんだ。」
と言いながら、ネットで合格発表を見始める。
ひゃぁ~~~どきどきするぅ~
で、ありました、何度も何度も確認する心配性の妻・・・
いやぁ~良かったねえ~
おめでとう!天才だよあなたは!
あんな劣悪な環境下でよく頑張りました。
こんなことならもっとご馳走を作っててあげたかったよ。
何度か温めなおしたせいでくたくたの八宝菜と
ブロッコリーとキュウリの胡麻ドレッシング和えを
つまみに焼酎を呑む夫・・・
○ぴのさんなんてお鮨だってよ!
木の芽パンと叩いてのせてある筑前煮だってよ、
ふぐの煮凝りってどんなの?
デザートはもちろんキングオブフルーツのメロンだよ。
あ~、ぎりぎり合格とはいえ(をいをい!それは俺が謙遜して言ったことだ!)
同じ合格者でこうも違う夜だなんてせつないねえ~
あ~、きゅうりをぼりぼり噛む音が私を責める・・・
金曜日は会社の飲み会って言ってたから
そこで今夜の分を挽回しておくれ。
と、結局よそをあてにする妻。
私のガン発覚で一気に運気が下がったかのように思えた我が家であったが
娘の書道展入賞、夫の技術士筆記試験合格と
また上昇してきたぞ~
なんて書いてるけど、これはひとえにあなたの努力の賜物ね。
いろいろいつもいいわけばかりいい続ける私と違って
あなたはいつも黙々と努力する。
本当におめでとう。
口頭試験も頑張ってね!
コメント (10)
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今後の治療について

2005年11月09日 | からだのこと
11月9日(水)快晴
術後の痛みも想像よりひどくないし、
ついつい調子に乗って土日元気に動いたせいか
月曜あたりから変な痛みを感じる・・・
傷跡というよりも、腋の下とか・・・
全体的に色がついて腫れているようにも思える。
退院後初の診察日の今日、恐る恐る病院へ。
水が溜まってますねえ~とか、こりゃいかん!取り残しのがん細胞が
オカルト的に増加してますなんて言われたらどうしよう・・・
しかしさわやかドクターはまたも笑顔で「大丈夫です!
どうしても最初はこうなってしまうけどすぐに落ち着くから。
検査結果もとてもよかったですよ。」
ほっとする。
そしてこれからの治療方針を聞く。
手術してハイ終わり!って病気じゃないということは
同じ病気を経験された方たちから聞いてよく理解、覚悟してるつもりだったのに
やはり長期戦の治療法を聞くとちょっとめげる。
でもこの程度の治療ですむことを感謝しなきゃね。
12月から大体年明けくらいまで放射線治療に毎日通う。
ホルモン治療も効果が期待できそうなので併用。
これが毎月一回おなかに注射(痛そう~)二年間。
薬も併用、これが5年間・・・
副作用としては、生理が止まるので
更年期障害のようなものがでるらしい。
汗がどばっと出たり・・・
でも、これを仕事と思って頑張る!
定期券買って通勤、いや通院するつもり。
さ、今日はこれから習字の日。
日曜日に娘の習字展入賞の授賞式に行ったのだが
103歳の方も受賞されたらしい。
病気治療も長期戦なら習字も長期戦でいくわ。
こつこつ続けて、いつの日か私だって!
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今日のランチは○oナサン

2005年11月08日 | おでかけ
11月8日(火)快晴
昨日は朝早くにメール。
一緒の教室で採点スタッフしてるNさんから
「退院おめでとう!お天気もいいし、一緒にランチでもいかが?」
彼女は私と同じ教室で火・金働き、もう一箇所で月・木もやっている。
だから10時集合の1時半解散というタイムスケジュールなのであるが
こまめに誘ってくれるので、もう今回で3度目のランチだ。
初めはお茶だけのつもりで、近くのファミレスに入ったのだが
しゃべってるうちに、ランチまで食べてから帰るという流れができ、
昨日なんて会ってしゃべりながら打ち合わせナシで
そのまま当たり前のようにファミレスへ向かう二人。
彼女には中二のお嬢さんがいるのだが
近くの公立ではなく私立に通ってるとの事。
前回会った時に聞くと「○蔭」
何も知らない私は「ふ~ん」
しかし病院の談話室にあった週刊誌を読んでびっくり!
ここって頭のいい女子が東大へ行く王道のような女子高だったのね。
東大出の菊川玲ちゃんも、六条華子(だっけ?)彼女もここの中高出て東大なんだってねえ~
で、今回「いやぁ~私知らなかったのよぉ~そんなにすごいとこだなんて」
話を聞くと、さすがにすごいらしい!
合格発表があって入学の手続きをしたその足で有名進学塾への手続きに
皆走るとか、もちろん中2くらいですでに中学課程は終わらせるとか、
いやはやすさまじい・・・
そんななか、どうも自分と感覚的に似た感じの彼女のイメージと
そういう学校に通わせるママというのとが結びつかない。
お嬢さんが、お友達と塾に行き始め、塾の洗脳を受けてお受験をしてしまったら
受けたとこぜ~んぶ受かっちゃって、
でもそんなすごいとこにはいっちゃったら後からが大変だから
もう少し下のレベルのとこを進めたらしいが
お嬢さんは「頑張るからどうしてもここ!」と言い張り、
「じゃあ今後は自己責任ということで!」と折れたらしい。
受験の頃も、塾に遅くまで通ってるのをいいことに
お友達とおでかけしたりする母・・・
夜食どころか、「火の始末には気をつけるのよ」と言い
先に寝ちゃう母・・・
出来る子って親が一緒にやらなくてもできちゃうものなのねえ~
いいこと聞いたわ。
ま、うちの場合、そんな心配ないけどね。
塾も行かせないでいたらさすがに本人があせり始めて
塾に行きたいといいだし、学校近くの塾の試験を受けて合格(塾に入塾テストなるものがあるのも初耳の私・・・合格しないとその塾入れないそーな)
どうやら特待生というか、塾の看板みたいなものなのか
破格値のお月謝らしい。
それでもやはり学校は私立の女子高、
普通のお宅と思われる彼女の家計は大変らしい。
切り詰めて切り詰めて毎月こつこつ貯めておいたお金が
4月にぴゅ~~っとなくなるのよぉ~と嘆いていた。
「私だって頑張れば一年でこんなに貯められる!」と喜んだものつかの間
ぜ~んぶ年一括の授業料として消えるんだって・・・つらそー
そんな話、私の入院の話、彼女の入院の話などをしてるとあっという間に
タイムアップ。
昨夜は鍋焼きうどんとコロコロポテトサラダ、
夫にはゴーヤチャンプル。
娘は社会科見学で最高裁判所や国会議事堂、科学技術館を見てきたらしい。
こういうことを聞くと、東京の子達は恵まれてるよな~と思う。
勉強する環境、素晴らしい施設の数々、選べる多種多様な学校・・・
想像以上に緑も多いというか人工的とはいえ自然環境もいいと思うぞ(これって
陸の孤島といわれてる○○区だけ?)
あ~東大に歩いて通える位置に住む甥っ子よ!
英語で18点だったと義姉を泣かせているらしいではないの。
もう少し、せめて半分くらいは理解できるよう頑張ってくれよ。
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入院生活

2005年11月07日 | からだのこと
11月7日(月)快晴
手術の翌朝、点滴の管もとってもらい、傷も思ったほど痛まないし、
腰痛も回復してきてすっかり楽!
食事はA献立B献立の2種類あり、入院のタイミングが合えば選べるらしい。
たまたま私は間に合わなかったけど。
部屋は、入院当初の6人部屋に戻り、入れ替わりの激しいこの部屋は
半分が入れ替わっている・・・
手術当日の朝、励ましてくれたおば様は、まだいらっしゃって
時々お声をかけてくださる。
どうやら彼女は胆石の手術を受けるらしい。
面会時間は3時から8時まで。
3時を待って○山夫人がお見舞いに来てくれる。
可愛いフラワーアレンジメントの籠とみかん、
タッパーに柿とりんごの皮をむいたものを入れて
ピックがさしてある。
おかあさんみたいねえ~美味しくってぺろりとたいらげる。
夕方仕事帰りに義姉も寄ってくれる。
雑誌とチョコの差し入れ。
何を思ってのこの雑誌?表紙に「年100万たまる!」かなんか
書いてある。
夜は9時消灯で、頭の上に蛍光灯はあるのだが
下のほうまでは下がってくれないので
点けるとかなり煌々として部屋中をぼんやり明るくしてしまうので
小心者としてはつけられない。
で、しょうがなく音楽聴きながらいつの間にか寝てしまうという感じ。
それでも図書館から借りてきた本は読み終わってしまい、
談話室にある雑誌やらを読み、時間をつぶしてみる。
間で○野さんもお見舞いに来てくださる。
今回の病気騒動でお世話になったお方。
お世話になった上にお見舞いまでいただき恐縮。
祝日前夜は娘は○山家にお泊り。
でもって、蒲田まで夫が連れて行ってくれて
その帰りお見舞いに寄ってくれる。
で、その後、夫は久々に○野さんのお店○ンズへ飲みに行く。
翌日は九州へ出張するという兄が旅行バッグ抱えて義姉とお見舞いにきてくれ、
入れ替わるように、洗濯を終わらせた夫がやってくる。
胸帯をどう干したらいいのか悩んだ!と言っていた・・・確かに不規則な形ね。
夕方娘を連れて○山一家がやってくる。
りんけんはまだ1年生の暴れん坊たちだし、
面倒見のいい○山夫人はりんけんのおともだちしんぺーくんに
たけちゃんもおあづかりして子供総勢5名をつれてプールに行ったりしたらしい。
で、さすがに病室はねえ~ということで下のフロアーで少しおしゃべり。
すると・・・あれっ!?あの人って猿岩石の一人よねえと
娘に言うと「猿岩石ってだ~れ?」
え~っ、知らないの?あんなに一世を風靡したのにねえ~
「その隣の人をどっかで見た気がする」と娘。
ん?隣の帽子かぶった人?
あ~っ!ダチョウ倶楽部の上島竜平氏ではないの!
あ~っ!その隣は銭金に出てる土田晃之さんだわ!
興奮してるわりには小心者たちなので
遠巻きに眺めているだけ・・・
夫が隣で「ダチョウ倶楽部ということは
大田プロか?
だれかのお見舞いかねえ~」とぼそぼそつぶやいてる。
娘は娘で「どうしていつもお笑いの人なんだろう。
東京に住んだら芸能人にいっぱい会えると思ってたのに・・・」とつぶやいてる。
彼女は春だったか学校の近くの公園で「さんぺいです」の三瓶ちゃんのロケに遭遇。
母は夏に砂町銀座で「あるある探検隊」のレギュラーのロケに遭遇。
母も同感です。
トヨエツに会いたい・・・
○山一家が去った後、病室で8時まで過ごして、夫と娘は帰ることに。
また玄関まで見送る。
手術も順調に終わったし、彼ら二人の生活も大丈夫そうなので
前に見送った時の寂しさは全くない。
外にまで出て大きく手を振る元気な母。
何度も振り返り手を振る夫と娘。
姿が見えなくなり、さ、中に入ろう!と自動ドアの前へ。
あれ?あれれ?開かない!なんで?なんで?
もしや、面会時間終わったらもう外からの侵入は禁止ってこと???
ひゃ~~~っ、どうしよう!と自動ドアの前でじたばたするパジャマ姿の私・・・
通りがかったおにいちゃんが事態を把握して
駆け寄ってきてドアを開けてくれる・・・とほほ~
翌朝、柴門ふみのまんがに出てきそうな男の子(失礼だ)のドクターが
様子をのぞきに来てくれる。
「調子はどーですかぁ?」
「すっかり元気ですっ!」
「もう管も取れたし、退院も近いよ」(この辺りからタメ口)
「いつ頃ですかねえ~」
「退院したいの?」
「もちろん!できたら今日にでも」
「大丈夫だと思うよ、今日でも。このあとすぐ○田先生来るから
聞いてみたら?多分今日オッケーだよ」
で、そのあと来た主治医に聞くと「今日退院してもいいですよ!」
ひゃ~言ってみるもんだねえ~
ってことで金曜日に退院決定!
ちょうど開校記念日で学校がお休みだった娘に迎えにきてもらい
しっかりお昼ごはんまで食べてから退院したのでありました。
・・・たった5泊の入院記録なのに長いね~文が・・・
そんでもって、入院の記録って感じじゃないなあ~
入院の記録はまた後日ということで・・・
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スリリングな夜

2005年11月05日 | からだのこと
11月5日(土)快晴
さっと入院をふりかえってみることにする。
手術前夜家族で軽く夕食までとってから病院へ。
面会時間の終わる8時ぎりぎりまで夫と娘がいてくれる。
8時になり、帰る二人に病院の玄関で手を振り、
多分何度も振り返ったであろう娘の顔を見ることができず
さっさと病室へ戻るふりをする母。
9時消灯で、きっと眠れないだろうなあと思っていると
娘や夫からメール。
淡々としてるふうの娘にちょっと安心。
夫は「今夜は枕が変わるし、緊張するしで眠れないだろうねえ
そうはいっても明日はたっぷり眠らされるのだから
多少は睡眠不足でもいいとしようか。
帰ったら早速お米を研いで明日の準備だ。
明日の朝食は純和風の予定。
明日は朝一番で神棚に手を合わせておくから心配しなくていいよ。」
と送ってくれる。
夫に借りたipodのおかげでずいぶんリラックスできたし
6人部屋のおばちゃまたちのいびきの合唱からも守ってくれた。
で、自分で思うより結構図太いのかす~っと寝入ったようだ。
で、手術当日。
ずいぶんと今まで無理を言って何度も会社を休んでもらっては
病院巡りに付き合ってくれていた夫。
もう私は大丈夫!ということで午後から半休で病院へ駆けつけてくれることに。
8時頃から準備が始まる。
私の隣のベッドの方も何の病気だか不明だが同じ日手術らしい。
ご主人が駆けつけてらして、普通におうちの猫ちゃんの話なんかをされてたが
突然「大丈夫だ!大丈夫だよな!
俺のために頑張ってくれよ!」とおっしゃる。
カーテン越しのとなりのベッドで思わずもらい泣きしてしまう。
そうこうしてるうちにストレッチャーに移され、
肩に筋肉注射して(麻酔を効きやすくするため)
いよいよ手術室に運ばれるとなった時、前夜にお話したおばさまが
「頑張るのよ。大丈夫だから!」と声をかけてくださる。
不覚にも涙がにじんでしまう。
注射で少しぼーっとしてるところに義姉の顔が見える。
1時頃来てくれることになってたのに
心配して朝早く来てくれたらしい。
そして手術室へ運ばれていったのだが、もうその頃の記憶はない・・・
名前を呼ばれて、あ~今から手術始まるのかぁ~なんて思って目を開けると
ぼんやり夫の顔が見えてきて
え?もう終わったの?って感じ。
スーツ姿で心配そうにのぞきこむ夫の顔を見て、うれしかったなあ~
そのあと、手術着のドクターがいつものきらりとした笑顔で
「大丈夫だよ!」と相変わらずの頼もしさもまたうれしかった。
夫に言わせれば思ったより覚醒が早かったとのことだが
今振り返ると夕方まであまり記憶はない。
ず~っと夫がそばについていてくれて、
いつ目を開けても夫が見てくれていたことだけが唯一の記憶。
リカバリールームという部屋にいたのだが、
4人部屋のうち3つベッドが埋まってて、
でもどうやら手術後は私だけのよう。
思ったほど傷は痛まないが持病の腰痛のほうが苦しい。
尿の管、心電図のコード、腋の下にも穴あけて管が通してある。
点滴の管もあるしで、寝返り打つのも一苦労。
しょっちゅう看護婦さんが体温、血圧など測りに来てくれる。
残りの2人はどうやらおぢさんらしい。
それもちょっと困ったチャン達で、
この部屋は回復室というよりも
困ったチャンルームなのか?
薬のせいか、年のせいか、病気のせいか分からないが
頭が混乱してるらしく「今、俺はテストされてる。」
とか、「○○先生は俺の教え子だ。この病院の、この階から上は学校で・・・」と
ず~っとしゃべり続けている。
う~む・・・私もこんな状態でなければ、
ネタとしておもしろおかしく聞いてるのだが
さすがに手術当日のこの環境はとても苦しかった。
だんだんこのおぢもエキサイトしてきて、
「帰る!俺の意思として、帰ることを決定した!」とか言い出し、
看護婦さんを困らせ、シャッターを上げたり下ろしたりしだした時は
ちょっと怖くも思えた。
「帰らせてくれなきゃ、こいつを人質に・・・」なんて私のところにこられたらどうしようとかまで思ったりもした。
明け方までこのおぢは騒いでて、結局ナースセンターへ連れて行かれたが
注射でも打たれたのだろうか?
うとうとして目が覚めた時には今度はもう一人のおぢは
看護婦さんにどうしても髪を切りたいとごね、
散髪は予約が必要だし、曜日も決まってると言われても納得せず、
とうとう看護婦さんがバリカンで坊主にすることに・・・
ホント、看護婦さんって大変ねえ~~~
腰は痛いし、熱は上がるし、血圧は低いし(いつも低いのだが
さすがに上が90を切った時は看護婦さんが3度も測り直した)
吐き気はするし、すっかり気分は病人だったが
朝になって点滴の管と、わきの下の管を残してあとは全部はずしてもらったら
ずいぶん楽になり、点滴連れてレントゲン室やトイレにも歩いて行ける様になる。
食事も朝からいきなり普通の食事。
その食事を食べたのを確認して点滴もはずれる。
あ~、これでまた一段と楽になる。
うっ・・・サラッと書くつもりが相変わらずだらだら文だねえ~
手術の一日だけでこんなに長文・・・
とりあえず今日はここまで!

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退院致しました。

2005年11月04日 | からだのこと
11月4日(金)快晴
本日無事退院!
実質は日曜の夜から5泊6日の入院生活。
書きたいことがありすぎて
かえって文にならない・・・
ま、ぼちぼち書いていこう。
出産以来の入院、初めての手術、病気はガンだし・・・
不安だらけの初日でしたが
翌朝は朝一の手術なのでどきどきする間もなく始まり、
気付けばお昼過ぎ。
夕方までぼ~っと過ごし、
その晩は体調的にも環境的にも苦しくスリリングな夜だったけど
翌朝、いろいろな管やらとれると一気に楽になり
点滴連れてレントゲン室へ歩いて行ったり
トイレ行ったり。
もういきなりの普通の食事だし・・・
安静に!ということもなく、かえって動かした方がいいわよと
言われて体操したり、病院内うろうろしたり。
ドクター達は若くてかっこよくて優しくて柴門ふみワールドだわ。
「あすなろ白書」だったかしらねえ~医大生達の話って・・・
ナースのお嬢さんたちもかわいらしくて優しくて
男の人達が「白衣の天使」に憧れる気持ちがよく理解できたわ。
無愛想だけど田中麗奈似のしっかりナース、
顔は水野真紀、しゃべりは小倉ゆーこりんのかわいいナース、
元気もスタイルもいい米倉涼子似のナース、
スケートの村主章枝似のスレンダーナース。
光浦を綺麗にした感じのナース。
み~んな優しいし、てきぱきしてて頼もしかった。
一時期お医者様不信に陥りそうだったけど
すっかり回復。
いや、以前よりもパワーアップして西洋医学バンザイ!
お医者さま崇拝。
看護婦さんは天使だわ!と白い巨塔に向かって手を合わせて拝む私・・・
で、ちょっと看護婦さん描写のあたり、一割増し評価しといたんだけど
今頃「今日退院した○○さん、高嶋礼子に似てたよねえ」なんて言ってないかしら。
(言ってません・・・なぜに私だけ光浦なのよ、光浦女史似のナース心の声)
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