紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

今日はご苦労様会

2010-08-31 06:24:41 | 2・仕事の周辺
私のデビュー作「ぼくらの夏は山小屋で」は、一般公募している講談社児童文学新人賞に生原稿を送って、運良く、新人賞を受賞することができた。
今から、28年前のことだ。
本になったのは、それから4年後。ブログにも書いたことがあるが、新人賞を受賞して、4年間も本にならなかった人は、それ以前も以後も、いなかったんじゃないかな。(笑)

完璧な原稿ではなかったというわけなのだけど、一番の理由は最初のは450枚で、長すぎたのである。
それと、私は原稿の書き方を、それまでどこでも学んだことがなかった。自己流で、ひたすら書き綴っただけでは、出版してもらうレベルに達していなかったということもある。

本になるのは、あきらめかけた4年後。講談社の編集者の金沢千秋さんに出会い、手取り足取り文章の書き方を教えてもらい、怒られたりなだめたりされながら、ようやく270枚くらいの物語が完成した。
一冊本にしたもらえただけで、自分としてはできすぎだと当時は思っていた。
けれど、その後、ありがたいことに書き続けることができ、いろいろな出版社にお世話になった。
それというのも、最初のハードルを、なんとか越えることができたからだと思っている。

そのハードルを越えさせて下さった、私にとっては恩人ともいうべき方が定年を迎え、そのご苦労様会が今日開かれる。
昨晩は、久しぶりにこの20数年のことが頭の中に浮かんで、胸がじーんとなる思いであった。

今まで私が、つまづきつつも本を書いてこられたのは、金沢さんのおかげである。
ぜひとも直接お礼をいってこなくてはならない。

金沢さんが、子どもの本の部門を離れるまでに、6冊担当して頂いたのだけど、スタートの時に出会えたのは、ほんとうに幸運で、ありがたいことだったと、これからの人生、ずっと思い続けるだろう。