紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

明日は滝子山

2010-08-14 07:21:09 | 3・山の日記
毎年、この時期は、北アルプスなど泊まりがけの縦走に行くのだけど、今年は行きそびれた。足がイマイチだいじょうぶか自信がなかったせいである。
来年は、やっぱり北アルプス縦走に行きたいなあ。

それでも、1日くらいは、トレーニングのために山登りに行くことにした。
来月は、また鳥海山に再度アタックするつもりでもあるし。

滝子山は笹子から登るのだけど、この近辺では登りでのある山である。
ルートラボでコースを描いてみた。いきのジャクショウ尾根はけっこう急。
暑そうなので、熱中症に気をつけなくてはならない。

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映画「借りぐらしのアリエッティ」

2010-08-12 06:17:00 | 13・本・映画・演劇・音楽など
前日「ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日」というNHKのテレビを見た。
それで、昨日あわてて、調布のパルコの映画館が水曜サービスデイで、1000円になるので、見に行った。
ちょっと狭いのが難点ではあるけれど、時間がない時に、たったの5分でたどり着けるところに映画館があるのは、ありがたい。

 


楽しい映画だった。
楽しかったのだけど、どこかちょっと物足りない感じがしたのは、なぜなんだろう。
95分という短さのせいか。
はらはら、ドキドキがちょっと少なかったからか。
原作は1作がものすごく長く、こと細かに書いてあるけど、映画ではとてもそこまでは描ききれないせいなのか。
アリエッティの話しは、最初は床下で、それから野に出たり、川を下ったり、空を飛んだり、広い世界に飛び出してゆくのだけど、その前で終わっているので、物足りなさを感じたのかもしれない。

そして、原作では、アリエッティはもっと、外の人間の世界に興味を抱きながらも、いつでもドキドキしている。それと人間との間に、もっと距離がある。
でも、これは、映画の主題が人間の男の子と、アリエッティの間に芽生えた恋なので、その距離が縮まるのはやむをえないか。

多少の不満はあっても、相変わらずジブリ映画。
映像が透明感があって、きれいだし、アリエッティは、りりしい女の子で、よく描けていた。
セシル・コルベルさんの歌もよかった。
ちょうど夏休みで、子ども達もいっぱい見に来ていたが、声が樹木希林のお手伝いさんが受けているのがおもしろかった。

校正

2010-08-10 17:27:35 | 2・仕事の周辺
今は校正をしている最中である。
ここまでこぎつけると、本になるまでに、あと少し。

だけど、私は校正に関しては「ザル」なので、集中してやらないとならない。
集中してやっても、抜けるんだけど。(汗)

 


10月頃には、新刊を手に取っていただける予定。

今は校正といっても、そんなに大きな訂正は入らない。
パソコンになってからは、メディア(またはメール添付)で渡しているので、編集の人はそれを元に直して、印刷屋さんに回す。

最初に書き始めた頃は、手書きだった。最初の1冊だけだったけど。その頃は文字の打ち間違いなどたくさんあった

2冊目からは、ワープロで書くようになった。ワープロに変わって、やっと腱鞘炎から解放された。

パソコンで初めて書いたのは、「最後の夏休み」
それまでは、パソコンはあっても、本を書くのはワープロで、東芝の「ルポ」を使っていた。
ルポは覚えている限り、液晶が3行の、10行の、20行のは2台つかったので、合計4台使った。
パソコンは家にあっても、なんか不安で、なかなか移行できなかった。
移行してからも、あ~あ、ということが何度もあった。

だけど、私は今でも、最初の原稿は手で書いている。その後、パソコンに書き写す。
こういう文章は、いきなりパソコンでもだいじょうぶだけど、創作の原稿だけは、紙にシャープペンである。
パソコンだと、なんかリズムが狂ってしまうのだ。
もうこれは一生変わらないだろう。

鳥海山・おまけ

2010-08-08 09:26:20 | 3・山の日記
鳥海山に登った後、どこか温泉宿に泊まってこようと思い、吹浦の海辺の宿を選んだ。(湯ノ田温泉)

鳥海山のふもと、鉾立てからのバスは、一日3本しか走っていない。

 


3:45 酒田行きバスに乗り、吹浦駅一つ手前の羅漢前でおりて、てくてくと15分歩いたところに、宿「さかた屋旅館」はあった。

 


海が見えるいい宿だった。

 


ところが、着いてすぐに、帰りが大変だというのに気づいた。
吹浦は、特急(いなほ)が止まらないのだ。

鈍行に乗って遊佐まで行き、そこでいなほに乗り換えて新潟に行き、新潟から新幹線に乗る。

乗り継ぎがいいのは、吹浦発、朝6:10。
それじゃあ、あまりに早すぎるでしょう、ということで、バスを探した。
朝だけ2本通っている遊佐行きのバス。

9:02 のバスを待つ。

 


来たのは、このようなバス。なんとスクールバスだった。バスはあちこちめぐり、9:45 遊佐に着いた。

 

途中で、「おくりびと」の撮影で、チェロを弾いている月光川を渡った。映画では、バックに鳥海山が見えていたけど、全く、なにも見えなかった。

特急いなほに乗って、新潟に着くと、もうあとちょっとで東京だなあと思う。

 


月山もそうだけど、鳥海山も、あまりに交通の便が悪い。


昨日のこと、昔のこと。

2010-08-05 17:38:22 | 15・心に残ること
その昔、大学を卒業して最初の2年間、練馬区の大泉学園小学校で教師をしていた。
昨日は、その頃の同僚で、今も付き合いのある、H野家に遊びにいった。東武東上線の柳瀬川駅。
そこで、昔の同僚I井さんと、同じくその頃からの知り合いのD口さんに出会えた。

 


最近では、久しぶりだね~というと、あっという間に10年、15年たっていることも多い。

I井さんとはいつ以来かと考えたら、16年前青森遭難の時以来だった。
その日、十和田湖近くの御鼻部山で遭難した私は、I井さん、H野さんと待ち合わせた函館に行けず、一日おくれて、合流したのだった。

そして、昨日の4人で、教師時代、三宅島に夏遊びに行ったことがある。
そこの海で遊んでいたら、私は教え子の小学校1年のF巻君に会った。
その時は、あらあら、あなたも三宅島に遊びに来たのね、と思っただけだったけど、その後、そんなことは2度と起こらないので、あれはめったにないことだったのが、後になってわかった。
子どもとしたら、遊びに行った海で、担任に会うなんて、冗談じゃないと思うくらいいやだったろうね。(笑)
今はどうしているのだろう。

昨日は初めてwiiというもので、遊んだ。ずっとどんなものかと思っていたけど、初めてわかった。
私はすごい反射神経が悪い。ショック!

 


昨日は風が強く、暑い日だったけれど、東京にしては珍しく空気がすんで、気持ちのいい日だった。
夕方、調布のマンションから富士山が見えた。夏に見えることはめったにないのだけど。


鳥海山・その2

2010-08-04 06:38:35 | 3・山の日記
■ 8月1日 

前日の予定では、4時頃山小屋を出て、新山に登ろうと考えていた。
ところが、夜中猛烈な風が吹き荒れていたので、これはどうかなあと夜中に何度も目を覚まして、思った。

朝、4時前に出発していった、前日会ったお母さん、息子、娘の3人家族が、出ていったが、すぐに戻ってきた。
まだ登り始める前のところで、お母さんが風に吹き飛ばされて、2度もころんだので、やめることにしたのだという。

いずれにしても、影鳥海はのぞめないので、朝はやめることにする。

5:30 朝食を食べた後、4人ほど、山頂を目ざして登っていったが、1時間ほどで帰って来ると、みな這うようにしないと、風に吹き飛ばされるという。
しかも何も見えない。

とりあえず、しばらく待って、考えることにする。外輪山を歩いてから下山しようと思っていたが、それもやめることに。

山小屋にいた大勢の人は、みな下山していった。6歳の男の子を連れたパーティーは、男の子を背負い子にくくりつけて下っていった。


8:00 私たちは最後まで待ったが、とうとう下り始める。

 

すぐに、昨日も風が強かったが、その日はもっと強いのがわかった。突風が吹く時は、ストックにつかまっておりていった。途中で、足を滑らせてころんだ時に、ストックが折れてしまった。予備をもう1本持っていたので、それを使う。

折れて休んだ時の写真。

 


10:00 七五三掛  ここから小浜小屋までの風は、ほんとうにすごかった。身体を低くしないと1歩も進めない。

 


10:55 小浜小屋 小屋では行こうか戻ろうかという人達が、たくさん待機していた。大半は戻っていった。

 


大平口に出る予定で、下っていった。
すると、途中で、二人の登山者に会って、こんなガスだと雪渓で道に迷うといわれる。

ちょうど戻るところなので、一緒に帰りましょう、といわれ、そして、途中から、二人の案内で鉾立ての方に向かった。
高山植物がたくさん咲いている、とてもすてきなところだった。

 


雪渓の近くを通った。

 

 

イワイチョウ

 

ホソバコゴメグサ

 

コイワカガミ

 

ウサギギク

 

 

11:55 賽の河原  ようやく行きに通った道に出た。

 


その先で昼ご飯を食べる。案内してくれた二人は先に下っていった。

 

あと1km。

 

ようやく下に駐車場が見えてきた。

 

1:50 鉾立て到着

そこで、またI岡さんに出会い、3人でカンパイ!

 


◆ 鳥海山・その1

鳥海山・その1 

2010-08-03 18:19:05 | 3・山の日記
影鳥海。
朝、日の出の時間に、鳥海山の新山(最高峰)に登ると、後ろから照らす太陽の光で、海に向かって鳥海山の影ができる。
夏山登山に行くなら、それを見たいと思っていた。
ところが、天候悪く、影鳥海どころか、鳥海山のあの特徴ある山の形も、3日間全く見ずに帰ってきた。(泣)
でも、全山高山の花が咲き乱れていて、それだけでも楽しい2日間だった。
山頂も登っていないし、また行かなくちゃ、と思っている。


7月30日(金)  スキーでもおなじみの上野駅、9:15の夜行寝台「あけのぼ号」で酒田まで行く。

■ 7月31日〈土)

5:05酒田到着。そこで、鈍行に乗り換え、6:29象潟着。
なるべく早く登り始めたいので、タクシーで鉾立てまで行く。(7060円)

7:30  鉾立ては霧がたちこめていて、ここから、雨具、スパッツ、ザックカバーをつける。

 


霧の中を出発。

 

ミヤマホツツジ

 


コオニユリ

 



 

イワショウブ

 

8:40  賽の河原

 

チングルマやら花がたくさん咲いているのに、ガスでかすんでいる。

 

イワイチョウ

 


ミヤマウスユキソウ

 


ハクサンシャジン

 

ミヤマアキノキリンソウ

 


モミジカラマツ

 

ヨツバシオガマ

 

9:30 小浜小屋  小屋に着く頃には雨も激しくなっていた。

この先、外で昼ご飯を食べられるところはないだろうと思い、湯をわかして、おむすびと、あったかソーメンを食べる。

 

その後、私たちは、12:00までどうするか迷っていた。ちょっと進むと、猛烈な風。


一度10:30頃小屋を出たが、またすぐに引っ返す。
登って行く人もいたが、あきらめて下って行く人も多かった。

小屋で、I岡さんという、鳥海山に詳しい年輩の方に会い、いろいろ助言を聞いたところ、七五三掛(しめかけ)まで行って、決めるのがいいのじゃないかとのこと。

そして、I岡さんはしばらく休んだ後、出発していった。


12:10 どっちか決められないまま、小屋を出ると、ちょうど、お母さんと20代の頼もしい息子と娘の3人家族が登ってゆくところだった。

登るか迷っているというと、行きましょうよといわれ、とりあえず、七五三掛までいってみることにする。

それにしても、すごい風。吹き飛ばされそうなほど。
いつかの白馬よりも強い。けれど、さほど気温が低くないので、そう心配はないと思った。

 
12:30 御田が原

 


ハクサンフウロ

 



 


途中でIさんに出会い、しばらく一緒に歩いたが、私たちがその後は先に行く。

 


1:00 七五三掛

 


ここまで来ると、もう少し行けそうな感じになった。
しかも、そこから道は険しくなるが、谷に入るので、風はおさまった。

このあたりが、一番危ないところ。

 

 


ミヤマキンポウゲ

 

イワギキョウ

 


千蛇谷の雪渓。途中ですれ違った人から、ロープにそって歩くように注意を受けた。

 

その後は、ひたすら御室小屋目ざして登って行く。

アオノツガザクラ

 

2:40 御室小屋着。

 

チョウカイフスマ

 


翌日考えると、この日、ガスっていたけれど、山頂に登ればよかった。
この時は、雨もそう降っていなかったし、登って行けそうだったのだ。
けれども、やはり朝登りたいという希望があって、翌日回しにして失敗した。次の日は、初日よりさらに風が強くなり、とても登って行けるような感じではなかった。

が、その時は、もう全身びしょぬれで、早く濡れたものを乾かしたりしたいので、小屋に入ってしまった。
かえすがえずも残念なことをした。


◆ 鳥海山2日目