意志のなかにいる

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アニメ感想(3/24)

2008-03-25 12:30:46 | アニメ感想(07・08・09年)
シゴフミ 第12話 「シゴフミ」と
総括 ○



「カメラ」に「イジメ」に「ネット」と
今まで出てきた要素の総復習
最初からこういう結論でいこうって
はっきりと決めてやっていたのだとわかる。


上記にでてきた文明の利器ってのはいわゆる
僕たちの「新しい目」ってやつで
今こうやってつづられた文章もまあその
恩恵をこうむって発表できているのだけど
(まあ、そんな大したものではないか)


しかしそれは確かに「視覚の暴力」というの
にも容易に変換可能なわけで、いままでの
メインキャラとか今回の文歌にたいする
苛烈なまなざしはそれを強調しているわけで
・・・そして視覚で誰かを嬲る楽しみって
いうのはそれを見ている私たちにも 
確かに ある。わけで。


原作が「電撃文庫死神モノ」ってことなの
だけど、それらをメインで話しを引っ張る
「死神」からなんか「神秘的な力」や
「感傷的なオーラ」みたいなものを
取り払ったところに新しい可能性がこの
「シゴフミ」にはあったのではないだろうか。
(でも原作は未見です、ちょっとまずいな)


ではそういう荒野に投げ出されたとき人は
どうするべき、か。今回の話しのラストで
示された答えは
「駄々っ子のように殴りつけあう」
ことだったわけで。
視点が入れ替わり立ち替わりする中で
文歌をもうひとりのフミカが殴りつける
シーンは見ている側にもきっとその衝撃が
伝わったに違いないと思う。
そしてもしそうであるならばそれは
アニメーションという「視覚」をとりあつかった
メディアにおいては立派な「勝利」であると
言えるし、ある種「原作」というものからの
分かたれた子であるアニメの側の独立宣言
であるとも言えるのではないか。


ヒニクなことに文歌の生みの母親が
「キレイなことは強いってことよ」と
のたまわれたとうり、「表現」は強くたくましく
美しくでなければ生きていけない。
それは今まで単に「死者の純粋な想い」
たるシゴフミがあまり人を幸福にしてこなかった
というので立証されているのではないか。
そしてそれは「犯罪者の詩集を出す」ような度胸も
誠実もなく、人の作品をつかまえて手前勝手に
あーだこーだあげつらっている自分とも無関係では
ないのではないか。




バンブーブレード 第25話
「剣道とそれがもたらすもの」 ○


いわゆる「スポーツもの」っていうのは
野球を筆頭にリアルな時間感覚とどうしても
乖離が発生するわけで、1試合で現実には
1年とかのような事態がよく起きたりする。

しかしこの「バンブーブレード」は実際の
試合よりも早く勝負が決まることも多く
今回のように1話で何試合もこなしてしまう
のはその典型であるといえよう。

かといってそれはけして内容が薄いという
わけでは無くて、スポーツの颯爽感と
話しのそれとを重ねあわせた結果なわけで
そういう新しいスポーツもののあり方を
ある程度以上の強度でもって示せているのが
バンブーブレードの功徳だと思う。




ARIA The ORIGINATION 
第12話 「その 蒼い海と風の中で…」 ○




どんな細くて暗くて曲がりくねった道でも
輝きを失わない「蒼」


とりてて特別なことは何もしていないという
「特別さ」ということか、だからこそ
「ARIAカンパニー」に再び還っていった
のだろうなあ。

この話し、もうとっくに私には全幅の信頼を
得ているわけで、今話はだから予告を知った
時点でもう0.000001%の疑いもなく
どういう結論になるかが分かっているというか
その結論を見て祝福する為に見ていたというか
それってこういう難癖つけてなんぼみたいな
感想ブログにはあるまじき態度ではあるのだけど
「ARIA」のアニメとももう3年近いつきあい
な訳で、とりわけ3期の神々しさを知っていると
ねえ、まあそんな関係がそもそも極めて「特別」
なんだよねってこと。
コメント
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