どんどん壊されていく崎戸炭鉱跡。
第一坑の方はもう資料館とレンガの捲座跡、そしてホッパーが残っては
いますが、時間の問題でなくなるでしょう。
第二坑のあった浅浦湾方面の炭住跡です。
何となくどこかで見たような懐かしそうな光景。
この道を行くと・・・・・つきあたりは海です。
そのそば、こんな住宅が。
屋根だけは昔のままだそうです。
ここでとあるおじいさんとお話をしました。
何でも「昔は崎戸も栄えていて、大きな映画館もあって、鶴田浩二も来たとばい」
なんて得意満面に語ります・・・。
そうですよ。小さな崎戸(蛎浦)島には2万人以上が住んでいて、そりゃ長崎で
はどこよりもひしめいて暮らしていたことでしょう。
「そいでさ、鶴田浩二と握手ばしたとは俺だけやったとさねー」
とも話してくれました。
で、そのおじいさんが言うには、かつてのままの炭住跡がちょっとだけ残って
いるとのことで見に行きました。
古い街燈のあるこんな道を歩いていくと・・・・
ちょっと手は入っていますが、当時の面影がしっかりと残っています。
数年前まではまだどなたか(Yさんという表札がありました)が住んでいた
ようです。
単純に「廃屋」なら萌えませんが、「炭住跡」となるとなぜかちょっとだけ
萌えますね。
みなさまも浅浦湾の周りを歩くと、ひょっとするとそのおじいさんと出会って
昔の話を聞けるかもしれません。
でも、もしもその方が「鶴田浩二」の話をした時は、驚いたふりをして、楽しく
聞いてあげてくださいね。お願いします。
第一坑の方はもう資料館とレンガの捲座跡、そしてホッパーが残っては
いますが、時間の問題でなくなるでしょう。
第二坑のあった浅浦湾方面の炭住跡です。
何となくどこかで見たような懐かしそうな光景。
この道を行くと・・・・・つきあたりは海です。
そのそば、こんな住宅が。
屋根だけは昔のままだそうです。
ここでとあるおじいさんとお話をしました。
何でも「昔は崎戸も栄えていて、大きな映画館もあって、鶴田浩二も来たとばい」
なんて得意満面に語ります・・・。
そうですよ。小さな崎戸(蛎浦)島には2万人以上が住んでいて、そりゃ長崎で
はどこよりもひしめいて暮らしていたことでしょう。
「そいでさ、鶴田浩二と握手ばしたとは俺だけやったとさねー」
とも話してくれました。
で、そのおじいさんが言うには、かつてのままの炭住跡がちょっとだけ残って
いるとのことで見に行きました。
古い街燈のあるこんな道を歩いていくと・・・・
ちょっと手は入っていますが、当時の面影がしっかりと残っています。
数年前まではまだどなたか(Yさんという表札がありました)が住んでいた
ようです。
単純に「廃屋」なら萌えませんが、「炭住跡」となるとなぜかちょっとだけ
萌えますね。
みなさまも浅浦湾の周りを歩くと、ひょっとするとそのおじいさんと出会って
昔の話を聞けるかもしれません。
でも、もしもその方が「鶴田浩二」の話をした時は、驚いたふりをして、楽しく
聞いてあげてくださいね。お願いします。