手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

コロナとの戦いは、結局は人の本能との戦い!!? だから辛い!

2021-04-07 | ライフスタイル
(↑「シラー・ペルビアナ」、だいぶ咲いてきました)



今回教会のイースター礼拝に久しぶりに参加したこと、

最近の電車で感じたこと、

スイミングや学校の様子を見て感じたことの中に、

共通する課題があるなと思いました。


これは人の本能的なこと。


教会の礼拝に参加しましたが、

礼拝堂は、

密にならぬように、座ってはいけないところを明確に、

人と人の距離をある程度確保してありました。

両側の窓は開かれていて、風も通る。

換気もバッチリ。

この対策のおかげで、礼拝中は安心して式に集中できました。


問題はこの後。


教会に毎週通っていると、信徒の人たちとはみな知り合いで、

お互い声を掛け合うのが普通のこと。

だから、顔を見たら、誰彼なしに思わず近くに行って立ち話になったり、

何人かが集まってしまうことになる。

距離を置くことがいい加減になりがち。

そんな中、そのまま「さよなら」なんて帰ることにはかなりの決心が必要。


わたし自身も、

すごく怖い怖いと思いながら、

人の顔を見たらそのままでは帰れず、

挨拶もするし、

話しかけられたら話もするし、

時には近くに寄って長話にもなる。

近づいて来られた時に、

距離を取るために流石に後ろに下がることがなかなかできない。


これって、相当の覚悟がなければ、避けられない。

誰でも気持的にはやはり話したい。

でも、近づいちゃいけないという心の声・・・。

こういう気持ちのせめぎ合いの中で、

結局は密と言われる状況になってしまうこともある現実。


これはどんな場面でも一緒。

人と一緒にいると、特に親しい人と一緒にいると話がしたくなる。

だから電車の中での大きな声での会話になっちゃったり、

学校でも子供達は授業ではある程度距離もとり、

ルールに従って感染対策をしていても、

休み時間に団子になってしまうし。

スイミングでも、レッスン中はコーチの指導の声だけで、

みな黙々と練習をするのに、

更衣室へ行けば、親しいもの同士で話すことになる。


こういう状態って、人の本能だから避けられない。

人って複数になると、話したくなるんです。

そういう生き物なんです。


だから結局、礼拝に出かけていくの自体が怖くなるし、

電車に乗るのも怖いし、

イベントに出かけていくのも怖くなる。


そう、そういう本能と抗いながら、

生活するのが超大変なので、

あらゆる場所に行かないに限るということになるわけです。


ほんと、悩ましいと思いました。


でも、外の風ビュービューのところで、

マスクをして少し距離をとって少人数で短時間話すのは、

許容範囲と考えますので、

わたしとしては、

換気の良い場所で、

一定の距離を取り、

一対一くらい、

短時間の会話に心して、

公共の場に出て行けたらなと今は思います。


長丁場になりそうですからね。


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コメント (2)
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