(↑「シラー・ペルビアナ」、だいぶ咲いてきました)
今回教会のイースター礼拝に久しぶりに参加したこと、
最近の電車で感じたこと、
スイミングや学校の様子を見て感じたことの中に、
共通する課題があるなと思いました。
これは人の本能的なこと。
教会の礼拝に参加しましたが、
礼拝堂は、
密にならぬように、座ってはいけないところを明確に、
人と人の距離をある程度確保してありました。
両側の窓は開かれていて、風も通る。
換気もバッチリ。
この対策のおかげで、礼拝中は安心して式に集中できました。
問題はこの後。
教会に毎週通っていると、信徒の人たちとはみな知り合いで、
お互い声を掛け合うのが普通のこと。
だから、顔を見たら、誰彼なしに思わず近くに行って立ち話になったり、
何人かが集まってしまうことになる。
距離を置くことがいい加減になりがち。
そんな中、そのまま「さよなら」なんて帰ることにはかなりの決心が必要。
わたし自身も、
すごく怖い怖いと思いながら、
人の顔を見たらそのままでは帰れず、
挨拶もするし、
話しかけられたら話もするし、
時には近くに寄って長話にもなる。
近づいて来られた時に、
距離を取るために流石に後ろに下がることがなかなかできない。
これって、相当の覚悟がなければ、避けられない。
誰でも気持的にはやはり話したい。
でも、近づいちゃいけないという心の声・・・。
こういう気持ちのせめぎ合いの中で、
結局は密と言われる状況になってしまうこともある現実。
これはどんな場面でも一緒。
人と一緒にいると、特に親しい人と一緒にいると話がしたくなる。
だから電車の中での大きな声での会話になっちゃったり、
学校でも子供達は授業ではある程度距離もとり、
ルールに従って感染対策をしていても、
休み時間に団子になってしまうし。
スイミングでも、レッスン中はコーチの指導の声だけで、
みな黙々と練習をするのに、
更衣室へ行けば、親しいもの同士で話すことになる。
こういう状態って、人の本能だから避けられない。
人って複数になると、話したくなるんです。
そういう生き物なんです。
だから結局、礼拝に出かけていくの自体が怖くなるし、
電車に乗るのも怖いし、
イベントに出かけていくのも怖くなる。
そう、そういう本能と抗いながら、
生活するのが超大変なので、
あらゆる場所に行かないに限るということになるわけです。
ほんと、悩ましいと思いました。
でも、外の風ビュービューのところで、
マスクをして少し距離をとって少人数で短時間話すのは、
許容範囲と考えますので、
わたしとしては、
換気の良い場所で、
一定の距離を取り、
一対一くらい、
短時間の会話に心して、
公共の場に出て行けたらなと今は思います。
長丁場になりそうですからね。
↓二つのランキングに参加しています。
それぞれポチッと押して応援してくださると嬉しいです。
励みになります。