冬枯れの森
若い頃アメリカの作家ヘンリー・D・ソローの名著『森の生活』を夢中になって読んだ。
この本は、たぶん世界中で今も読み継がれていると思うが、どうだろうか。
今の若い人の好みはすっかり変わってしまったかもしれないから、あまり自信はない。
ところで、ひょんなことから擬似<森の生活>をすることになった。
10月10日のポエム発表から約1ヶ月間、パソコンも使えない森暮らしに終始した。
それだけではない、ケータイやテレビともご無沙汰だから、ある意味サトリの境地に入った気分であった。
ラジオはNHKがなんとか受信できたが、雑音が多くて聴くことに努力がいった。
だから世の中の出来事もあまり気にならなくなって、今までのようにシャカリキに反応することがなくなった。
日常というものは、まさに泡のようなもので、生まれては消えてさほど手応えのあるものでは無いように思えた。
しかし、こうした生活に没頭できないところが小人の情けないところである。
結局、近隣からひかり回線を引っ張ってもらって、やっとインターネットが使える状態になった。
電話は工事をしてもらった当日から開通したが、テレビはまだうまく接続できていない。
明日からまた奮闘しなければならない。
やれやれ・・・・である。
わかったことが一つ。
創作意欲はパソコンがないと全く湧かないということ。
むかし、原稿用紙に文字を果てしなく埋めていたことが信じられない思いだ。
まあ根気がなくなったこともあるが、ブログのスタイルに慣らされたというところだろう。
歳をとっても省エネでモノが書けるという現状は、やはりありがたいことである。
というわけで、またボチボチ詩や短編小説を投稿するので、よろしくお願いします。
休止期間中にも閲覧していただいた方々に、心からの感謝を申し上げます。
取り急ぎブログ再開のご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
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いつ開いても更新されていないので、こちらもちょっと淋しい思いをしていました。
それにしてもネットだけではなく、電話も携帯も通じずテレビも映らない・・・今の時代にやろうと思ってもなかなかできない情報遮断の生活ですね。
変なたとえですが、刑務所に入ったとしてもこれほどの情報遮断はないに違いありません(入ったことがないので実際のところはわかりませんが)
こんどいつかその情報遮断経験を土台にした小説を書いてください。そういう状況で人は何を考え、感じるのか。どう行動するのか、とても興味があります。
なにわあれともかくもわれらの俗世間に戻ってきていただいて、ほおッとしておりますぞ!!!
何度も覗いていただいたとのこと、申し訳ありませんでした。
情報遮断とは、うまい言葉があるんですね。
吉幾三の歌ではないけれど、おらが村には何にもねえ・・・の歌詞が頭の中に浮かんでいましたよ。
ほんとうは森の中をゆったりと散歩でもして、モノを考えれば良かったのですが、慌ただしい毎日で思索には程遠い状況でした。
ご提案の小説、今後チャレンジしてみたいと思います。
ありがとうございました。
でも、その生活を楽しんでもいらっしゃる様な様子、頼もしいです。
私も、ここ数か月の間に、パソコンが固まる、携帯の画面に入れない、DVDレコーダーが壊れる、と立て続けにトラブルに見舞われました!!!
パソコンは高額な出張修理を依頼するハメになりましたが、ハードディスクにバックアップを取っていたので、初期値に戻して事無きを得ました。
携帯は、店頭で全て削除され、メールなどの大部分が失われましたが無料でした。
DVDレコーダーは、これから見ようと楽しみに録画していた、歴史、旅行、宇宙の起源など、100件以上が全て失われ、レコーダーは廃棄処分になり、大ショックでした。
昔はテレビとか冷蔵庫とか洗濯機とか家電製品の故障が続いて、いずれも寿命が迫っているのかと諦めたことがありましたが、いずれにせよ困ったことですね。
それにしても、3件とも被害は甚大ですね。
無念でしょうが、気を取り直して新たな記録を残してください。
ぼくもPCのデータをまるまる失ったことがありますので、それ以来バックアップ用に2台で共用しています。