*100年後にも読んでみたい本
『イラクサ』 アリス・マンロー著
小竹由美子訳
友人から薦められて、カナダの女流作家アリス・マンローの短編集を読んだ。
その友人は、不精な私と違って絶えずアンテナを張っていて、折に触れ「この小説は面白い」とか、「読んだら感想を聞かせてくれ」とか、いつも新鮮な息吹を注入しようと心配りをしてくれているのである。
前回紹介した『森のめぐみ』もそうだし、振り返ってみるとここ数年間に読んだ本のほとんどが友人情報によるものである。
そしてことごとくアタリッ・・といえるものばかりだから、私の感謝の気持ちは高まるばかりである。
中でも『イラクサ』には、心底感心した。感動・・というよりも、やはり感心したと言ったほうが当たっている気がする。
一時にワーッと押し寄せてくるのではなく、読んでいる最中、読み終わった時、ときおり手を拍ちながら大きくうなずいている自分を発見する。
この短編集に寄せられた賛辞がまた見事である。
<一瞬が永遠に変わるさま。長い年月を見通すまなざし。>
<鋭くもあたたかい目線に貫かれた文章は、心の深部をさらりと撫ぜて、伝える。毎日のあらゆる瞬間が特別だ、と。>
収録作品は9編。いずれ劣らぬ名品揃いだが、個人的な好みで幾つか挙げると、「恋占い」「浮橋」「イラクサ」「クマが山を越えてきた」といったところか。
中でも表題作「イラクサ」は、ストーリー展開がわかりやすく、主人公の少女の前に突然現れた井戸掘り職人の息子との交流を描いて痛痒い感覚を味あわせてくれる。
そして、新しい井戸の完成と同時に職人父子は町を去る。
客の依頼を受けて渡り歩くのが、彼らの仕事なのだから・・・・。
だが、少年との出会いに夢中だった少女の身に、想像もつかない喪失感が襲ってくる。明確に恋と呼べるものかどうかはともかく、少女の心を掻き乱す焦りは読むものの胸まで苦しくする。
町で少年の名と同じ「マイク!」の呼びかけを聞き、思わず反応してしまう主人公。声の主がまだ見ぬ少年の母親かも・・・・との錯覚に、心の隅で縋ろうとする場面がやるせない。
やがて、何十年を経て少女と少年は再会する。それぞれの人生を懐に抱えたまま・・・・。
そこから先がこの小説の見所である。通常の筋書きを予想していたらブーということになる。
アリス・マンロー文学の醍醐味がさざなみのように寄せてくる。
ゴルフ場で豪雨に見舞われるラストシーンは、象徴的であると同時にその迫力で読者を圧倒する。
作者が意図した人間業のはずが、それらを超えて神業を見る思いがする。
イラクサはその場面に関わってくるのだが、この植物の使い方は文章を扱うものとしてただただ感服するばかりである。
<百年後にも読まれている可能性がもっとも高い作家・・・・>
読むたびに捉え方が異なってくる一筋縄にはいかない作品なのだ。
<答えを急いではならない、なぜなら、いま目の前で起きている出来事のほんとうの意味は、その場で明かされることはないのだから・・・・>
こんな小説を読んでしまうと、たいていの作品は色あせて見える。
普段、読書なんて退屈つぶしのように思われがちですが、どうしてどうして。それに費やす時間は、人生の大きな部分を占めていますよね。
それだけに良書や衝撃本を教えられ、それに没入する時は尊いものでしょう。
そういう小生も先日、友人から薦められた小説がありました。宇神幸男著『神宿る手』です。これには寝食を忘れるほどのめり込みました。次いで同じ著者の『消えたオーケストラ』を貪欲に読んでいるところです。これらに費やされる時間は、人の生における輝かしい瞬間と言えるでしょう。物語の内容自体、誰にでも当てはまる人生の縮図ですから。
当ブログに挙げられた感動の短編集は、あいにく存じませんでしたが、筆者の感動がひたひたと伝わってくるような気がしてなりませんでした。
好ましい読書に乾杯!