(飼われた男)
荏原伸二は、都心にある巨大企業の社員である。
東大を卒業し、入社まもなくから会社の開発部門の研究者として将来を嘱望されていた。
現在の住まいは、中央区勝どきに竣工したばかりの38階建高層ビルの17階。
入社五年目の2015年、独身者としては贅沢とも思える2LDKの一室に引っ越してきた。
朝は7時20分に起き、40分後に家を出る。
契約している大手のハイヤー会社から迎えの車が来ているので、それに運ばれて大手町のオフィスに出勤するのだ。
「おはようございます」
助手席側にまわった年配の運転手が、客席のドアをひらく。
「あ、どうも・・・・」
青年はうまく応対できないまま、仏頂面でハイヤーに乗り込む。
毎朝、親父ほども齢の離れた運転手にうやうやしく迎えられるのが苦手なのだ。
北陸の漁村でいまも船に乗っている父親の姿が脳裏をよぎり、朝の儀式になかなか慣れることができない。
(近いうちに、若い奴に代えてもらおう)
ハイヤー会社にどのような口実で申し込むか、そんなことに気を使うこと自体が不本意なのだ。
一瞬、部屋に残してきたセキセイインコの姿を目に浮かべる。
アイツとだけすごせたら、どんなに幸せかとため息をつく。
インコの名前はリチャード。三年前の2012年に出合った相棒だ。
青年が帰宅するまで、鳥かごの中で首を傾げて考え事をしたり、独り言をいったりしている。
「誰のためなんだ、いったい誰の?」
リチャードが首を傾げて言うと、シェイクスピア劇の主人公のようだ。
空の見えるリビング・ルームの窓際で、一羽の鳥が一日中煩悶していた。
荏原伸二が属する部署は、対外的にはあまり大っぴらにされていない。
現在は日陰の身であるが、時期が来れば一気に躍り出ようとする秘密の研究に携わっているのだ。
プロジェクト名は「モグラ」、開発チームには新型原子力発電所の基本設計と構造計算が委ねられていた。
荏原青年は、大学で師事した原子工学の榊原教授の生き方に傾倒し、その推薦もあって現在の会社に就職したのである。
彼の入社当時に起こった福島第一原発の事故は、設計に携わった先輩たちの過ちだったと思っている。
また、炉心溶融にまで至った過程には、人為的不手際があったことは明らかと認識している。
言い訳と強弁を繰り返し、事態をますます悪化させた電力会社と監督官庁・為政者たちの無責任さがそれだ。
事故直後から海外の専門家が予測したメルトダウンを、日本の御用学者はこぞって否定してみせた。
日本滞在中の自国民を80キロ圏外に避難させたアメリカに比し、福島の被災者を高濃度の放射線に曝した罪は大きい。
案の定、避難区域の外でもセシウムやストロンチウムによる土壌汚染が明らかになり、結果的に多くの人々を危険に陥れた。
いくら事態を矮小化しようとしても、端からほころびが現れていった。
それでも各地の電力会社は、原発を再開しなければ大停電もありうると脅しをかけた。
なりふり構わず、原子力発電を継続しようと狙っていたのである。
しかし、原発に対するアレルギー反応は予想以上だった。
(地下に潜らせれば、リスクは軽減できる)
荏原青年の勤める会社は、そう読んで政官財の黒幕を動かした。
地下原発をエネルギー政策の本命に祀り上げ、その安全性を様々な形で宣伝させた。
翻ってみれば、日本の国民がぼやぼやしている間に、いつの間にか全国で57基の原子力発電所が造られた。
日本列島は、体に数十本のダイナマイトを括りつけられた人質のようなものだ。
原発事故の処理は、五年過ぎた今でも抜本的解決策が見つかっていない。
そうした現実を横目に、荏原青年を雇う会社はいち早く「モグラ」プロジェクトに突入していたのだ。
地下原発のアイデアは、すでに何十年も前からあった。
1991年には、ある政治家の提言をまとめた本が発行されている。
著者は、地下原発のメリットを次のように挙げている。
① 海岸の急峻な末利用地が活用でき、用地難を解消できる。
② 広く平坦な土地を必要としないため、海岸の急峻な地形でも建設が可能であり、立地選択の幅が広がる。
③ 地上の自然環境を保全できるので、国立公園内などで建設する場合に有利である。
④ 都市など需要地に近い場所で建設ができ、送電ロスの減少によりランニングコストを低くできる。
⑤ 地下の地震動は、地上よりも最大振幅が小さくなることなどから、耐震設計上有利となる。
⑥ 地下空洞の周辺岩盤による放射線の遮蔽効果、および放射性物質の格納効果が期待できる。
⑦ 地下格納空洞は、平常時における放射性物質の管理に有効であり、事故時にも放射性物質を長期間封じ込めておける。
⑧ 地下空洞そのものが耐圧格納容器の役目を果たすため、事故時の周辺環境への影響を最小限にする効果か期待できる。
⑨ 空中からの落下物、テロ行為などに対しても、より安全性が確保できる。
⑩ 部外者の接近が難しく、発電所施設への侵入防止対策上、有利である。
⑪ 将来の廃炉時における原子力施設の長期密閉管理が容易である。
以上の理由から、国民のコンセンサス、地域の人々の理解と同意が得やすいというのだ。
なるほど、一見いいことずくめに思える。
電気は水や食料と同じライフラインだから、その必要性は誰もが否定できない。
利用者が節電の窮屈さにいたたまれず、いずれ屈することまで計算済みなのだ。
荏原伸二は、そうした飽くなき利益追求企業の一員として、日々地下原発の研究にいそしんでいた。
密かに研究をつづけてきた「モグラ」チームに、某日ウキウキするような噂が漏れ伝わってきた。
政財界の重鎮が名を連ねるオーヴァルクラブの秘密会で、正式に地下原発を採用することが決まったというのだ。
ビッグニュースだった。
地震、テロ、戦争に対してはもとより、津波に対する備えが全く必要ないという点は最大のメリットだった。
問題は、コストがどれだけかかるかだ。
2009年に開通した東京外郭環状道路の大深度地下トンネルは、1メートル掘るごとに1億円かかったといわれている。
それに比べれば、原発の暴走を防ぐために同程度の金をかけても、国民は納得するだろう。
逡巡することなく、広報課が動きはじめていた。
「地下原発は硬い岩盤にトンネルを掘る作業が主体で、道路に類する付属設備も少なくて済む。当然コストも安くなります」
「津波のリスクがないので、フクシマのような不安はありません」
「万が一の事故があっても、岩盤で遮蔽され、畑や海を汚す心配はありません」
いいことずくめの説明に、荏原伸二は疑問を抱きはじめていた。
地中に亀裂、破砕帯があると、固い山といえどもコストは飛躍的に増えるのだ。
立地に好条件の場所は道路整備が遅れた所が多いので、山を掘って地下に大構造物を作るのは想像以上の難工事になる。
残土処理一つを取ってみても、大変な費用が見込まれる。
地下原発が完成したとして、そこから得られるエネルギーとの費用対効果に疑問が残る。
いろいろ考え合わせると、地下原発を造るためのエネルギーで直接「発電」したほうが効率が良いのではないか。
たかだか数十年で廃炉となる地下原発は、「労多くして功少なし」の典型かもしれない。
最終的な問題である高レベル廃棄物を、地層処分する場所も決められない現状では、地下原発構想はまだ研究過程にしか過ぎない。
荏原青年は、プロジェクトに関わっている身でありながら、数百年単位の安全性をまだ担保できていないと思っていた。
「チーフ、最近のメディアへの露出は、時期尚早じゃないのですか」
率直につぶやいた疑問が、社内に微振動をもたらしていた。
それまで会社の言いなりになっていた男が、思いがけず裏切りの兆しを見せたものと警戒されたのだ。
実は会社上層部は、「モグラ」に関わる社員には特別待遇を与えて変節しないよう注意していた一方、全員を密かに監視させていた。
荏原伸二の場合は、ビル管理人やハイヤー運転手からの報告とともに、2LDKの各所に盗聴器を仕掛け、外部との連絡をチェックしていた。
彼の使用するパソコンも、パスワードを入手して透視していた。
時期尚早発言以来、荏原青年は「カナリヤ」という暗号名を付けられた。
「カナリヤからは、ますます目が離せなくなってるよ・・・・」
知らぬが仏、飼われた男・・・・。
屋台で飲む仲間も持たず、会社と高層マンションの間を往復する青年は、電子ロックの部屋に自らひきこもり、毎夜かごの鳥となっていた。
「リチャード、ぼくはこんな研究をしていていいのだろうか」
カナリヤが、相棒のセキセイインコに話しかける。
青色のきれいなセキセイインコが、一瞬首を傾げおもむろに答える。
「コストは関係ない。造らせることが目的なんだ、奴らは・・・・」
荏原青年はハッとしてリチャードを見上げる。
オーヴァルクラブの命を受けた機構が、音を立てて動き出すのが視えた。
荏原伸二の父親が、釣り船の転覆で命を落としたのは、それから半年後のことだった。
冬の高波にもまれ、福井の海に引きずり込まれた。
原子力発電所をいくつも抱え、条件のいい漁港を失った漁民たちが、無理な漁を仕掛けて命を落とす。
親父の死を知らされて、荏原青年の決意は固まった。
「リチャード、いいよな?」
たとえ困難があっても、今月限りで勝どきのマンションを出ることを、相棒に伝えたのだった。
(おわり)
(知恵熱おやじ)様、ほんとうは昔ながらの掌編小説など書いていたいのですが、あまりにも次々とあり得ない話が出てくるもので、悠長にしていられないのです。
というわけで、いまは文学と社会事象を練り合わせたような作品に傾いています。
自分では「半生小説」と呼んでいますが、時に生煮え小説になる心配もあります。
今はささやかでも多くの人が声を発しなければいけないのだと思っています。
この期に及んで、狂気の沙汰としか思えません。
メルトスル―した核燃料が、底抜け状態で地下水脈まで達していれば、汚染水はダイレクトに海に流れ出し、日本の海は多かれ少なかれ影響を受けるでしょう。
世界中の懸念を考慮せず、一企業の都合を容認した政府閣僚も、まもなく高い代償を払うことになるでしょう。
今はそうならないことを祈るのみです。
原発利権に群がる勢力の亡者どもに囲われた研究者が秘密の「地中の原発設計」にあたるという設定自体が、痛烈な皮肉と怒りの表明になっていて作者の憤激の深さが尋常でないことがもろに伝わってきました。
小説ならではの意思の表明がひりひり。
窪庭さんは今回の地震と原発事故騒動の中に、ご自身だけの作家的鉱脈を発見したのかも、と推察しますが・・・。
これからもぜひこの方向のお作を期待しています。
タイムリーであり、よくぞそこまで知識と思考を溜めこんでいたとの驚きもありますが、
荏原なるエリート社員の苦衷が愛するカナリアとともに如実に描き出されています。
同時に、この世の中、なんとかせねばという作者の叫びか聞こえてくるようです。
このところ作者は原発事故関連の話を次々に披歴しておられますが、プログでモノ申すよりも、もっと広い世界に放ちたいとも思うのであります。