<キツツキに午睡は終わりと起こされる>
朝早く仕事に掛かり、ブランチを摂ると早々に昼寝をする癖が付いた。
10時半ごろに寝て、二時間ほど前後不覚にねむる。夢を見る暇もない深い眠りである。
一時間を過ぎるころから眠りのリズムは浅くなるのだろうか、何かの音に意識が反応して、「うるさいなあ」と思いながら再び眠りに引き込まれることもある。
この日は、コンコンコンコンと激しく板を叩くような音に起こされた。一息入れてはコンコンと繰り返すので、ついに霧を掻き分けて日の目を見る羽目になった。
大工仕事などする者は誰もいない。
お盆休みに大挙してやってきていた家族連れは、みんな帰ったばかりである。
(そうか、あいつだな・・・・)
明瞭になった頭で、テキの正体を突き止める。
ときどきやってきては悪さをするキツツキが、人の居なくなった家の板壁に取り付いて穴を開けるのだ。
わが家もいくつか穴を開けられた。高いところだから、修理をするのが一苦労である。
キツツキにはキツツキの論理があるから仕方がないが、もう少し下の方を狙って欲しいと詮無いのぞみを抱くばかり。
ところで、こんなに方々でいたずらされながら、未だ犯行現場を見たことがないことに思い至った。
そこで、そうっと音のするあたりを窺うと、「居た、居た」しばらく空き家になっている小屋に取り付いて、懸命に壁板を叩いている。
確認したあと、証拠写真を撮るためにカメラを取りに戻る。こんな悠長なことをしていると大概チャンスを失うのだが、この時はよほど虫に執着していたのか、一心不乱に叩き続けている。
幸い木の陰から覗ける位置だったので、気配を悟られないようにしながらカメラを構えた。
それでも、さすがにテキも警戒している。のけぞって首を回しながら、近づく者が居ないか見定めようとしている。
カサッとでも物音を立てたら、たちまち飛び去る態勢だ。
慎重にファインダーに捉え、シャッターを押す。もう少しズームアップしたかったが、欲張ると何もかも台無しにしそうだ。
妥協の産物がこの画像である。(画面中心点のやや左、緑の葉の少し上で白い部分を背景に振り返った形の黒いトリ)
デジカメの限界(?)と思って納得していただきたい。
下手な俳句もどきをタイトルにして、午睡から引きずり起こされた不満を呟きつつ、滅多にないチャンスを呉れたキツツキに愛着を覚えている。
<キツツキに明日はどこかと問うてみる>・・・・ヒドイ!
窪庭さんの文章を読みながら「森の生活」という名著を思い浮かべました。
私も子供の頃の一時だけ、自然と人の生活の区切りなどない時期を生きたことがありますが、それ以後は心ならずもただ慌ただしい日々に流されてきました。
多分もうそういう日は私には訪れないのかもしれないな。もっとも私のもって生まれた性分がそうさせるのかもしれないのですが。
今回の森の気が漂ってくるような文章に浸りながら、自分まで窪庭さんの森にいるような気分にさせていただきました。
ありがとう!
知恵熱おやじ
<知恵熱おやじ>さま、ソローの名著は私もよく読みました。
ストイックな感じが、良くも悪くも印象に残っています。
その点、いい加減な森の生活ですが、獣も鳥も虫も必死に生きている様子が伝わってきて、飽きないものです。
子供のころ体験したという自然とのふれあいを、何らかの形でお聞かせいただきたいものです。
コメントありがとうございました。
声も姿もとんと接していないものですから、うらやましいやら何やら……。
あの乾いた声(音)が、写真を見ていると響いてくるようです。
それと俳句。勝手知ったる腕前で、軽く流しておられるようですね。「ヒドイ!」なんてとんでもない。
いつか、森の句集もお願いしますよ。
<自然児>さま、コメントありがとうございます。
俳句には今も憧れを持っておりますが、自分ではなかなか集中できませんね。
独特のセンサーを常時はたらかせておく必要があり、やはり俳人という専門家には敵いません。
というわけで、<昼寝><午睡>を含む名句を探して、口直しをしていただくことにしました。
『さみしさの昼寝の腕の置きどころ』上村占魚
『手も足もはづして昼寝したりけり』角 光雄
『あの世にも顔出しにゆく大昼寝』瀧 春一
夏の季語として使っている作品から、ピックアップしてみました。