「雫さん、よく眠れましたか?」
翌朝、食堂へ向かうと、マドンナに声をかけられた。
「はい、本当にぐっすり眠れました。こんなに眠ったの、すっごく久しぶりです。」
「よかったです。さすが、天然ゴム百パーセントのラテックスマットですね。・・・・」
相変わらずの三日月アイで、マドンナが微笑む。
「眠ることは、重要です。・・・・」
<よく眠り、よく笑い、心と体を温かくすることが、幸せに生きることに直結します。>
雫さんは、ぐっすり眠り、心も体も温かく過ごしていた。
ライオンの家では、眠りと共に「食」の重要さにも注意が払われる。
雫さんが、食堂の空いている席に座って待っていると、両手に土鍋を抱えたマドンナに声をかけられた。
「今朝は、小豆粥だそうです。ライオンの家では、三百六十五日、毎朝違うお粥でゲストのみなさんをお迎えします」
<お椀にお粥をよそってもらい、席について食べ始める。真っ白い粥の中に、小豆がぽつぽつと浮かんでいる。トッピングには、梅干しや昆布、塩鮭や鯛味噌などが並んでいる。
実は、病院で出されるお粥が食べられなかった。ほとんど冷めていたし、ドロッとして気持ちが悪かった。でも今、目の前の小豆粥からはふわふわと湯気が踊っている。木の匙にすくって一口食べると、これまでのお粥観が根こそぎひっくり返った。
「しあわせ~」
私にとっては最上級のおいしさの表現が、口からこぼれた。おいしい水のように、儚くて清らかな味だった。
気がつくと私は、トッピングで味に変化をつけることも忘れて、小豆粥をむさぼっていた。食べれば食べるほど、おなかの底がぬくぬくして、乾いた大地に水が染み込む。お粥の滋養が、体の津々浦々へと行き渡っていく。>
(口の中に、唾液が湧いてくるような表現だ。)
週一回、日曜日の三時にふるまわれるライオンの家のおやつには、味だけではなく、リクエストした人の思い出が詰まっている。
みんなが食堂に集まったのを見て、マドンナが静かな声でその日のおやつについて説明を始める。
「私は台湾で生まれました。戦時中、父親が警察官をしていたためです。・・・・戦争に敗れ、日本に引き上げてきた後、親父は、家族を養うために、近所の川原の土手を下りて行ったところで土を耕し、そこで畑をしていました。・・・・ある日、私が小学校から帰ると、お袋がおやつを作ってくれていました。おいしい、と言うと、台湾にいた頃、お手伝いさんに作り方を教えてもらったのだと話してくれました。・・・・名前は思い出せませんが、白い、豆腐のような食感で、台湾ではよく食べられている菓子だと記憶しております。」
どうやら、それはマドンナ本人のことではなく、リクエストした人に代わって、その人の来歴を述べるのが儀式のようになっていた。
「調べましたところ、ここに書かれている台湾菓子は、豆の花と書いて、トウファと読む、豆乳を使ったデザートではないかと思います。・・・・夏は冷やして、冬は温かくして食べるそうですので、今日は温かくし、ピーナッツスープをかけてご用意しました」
雫さんが口に運ぶと、ほんのり温かくてほんのり甘いゆるゆるの固まりが、ふわりと喉の奥へ流れ込む。
<雪みたい、と私は思った。・・・・雪の結晶も、手のひらにのせた瞬間、姿を消す。豆花も同じだった。>
雫さんは目を閉じて、行ったことのない台湾の町並みを想像する。
みんなが食べている様子を見ながら、製菓担当の舞さんが豆花ができるまでの工程を説明する。
マドンナは一切、誰からのリクエストかを明かさなかったけれど、それは一目瞭然だった。豆花をリクエストしたのは、タケオさんだ。
タケオさんは、器に入った豆花をじっと見つめているだけで、食べようとしなかった。
ひとりの人間の人生に、細胞深くまで染み入っているのが、思い出の食べ物であることは、タケオさんを通して見事に描かれている。
週ごとに登場するおやつについては、また取り上げることになるが、到着の日にマドンナが用意してくれた「ソ」のことを置き去りにするわけにはいかない。
雫さんは、<包みを広げ、クリーム色で淡い卵のような、生まれたてのひよこのような食べ物を取り出す。>
欠片を少しだけ口に含み、奥歯で咀嚼した。
<最初に沸き起こったのは、懐かしい、という感情だった。・・・・子どもの頃になめていたミルキーを連想した。でもあんなに甘くないし、お菓子っぽくもない。二口目を齧ると、今度はじわじわと甘い味が広がっていく。正体をつかめそうになると、すーっと手のひらから尻尾が逃げていくようで、追いかけっこをしているみたいだ。そんなにたくさん食べる物でもない気がした。
もしかして、あれかな? と思い浮かぶ物がひとつだけあるのだけれど、マドンナが、自分でこしらえたと話していたから、ありえないだろう。私の脳裏をよぎったのは、母乳だった。
「まさか!」
最後の一欠片を、口に含んでしばらく舌の上にのせた。神様の母乳、という表現はしっくりくる。>
(ソは、そういうものだった。)
雫さんも、ライオンの家ではゲストと呼ばれる。
<ここに来て四日目の昼下がり、部屋のベッドでくつろいでいると、どこからか香ばしい香りが流れてきた。今日のお昼は、レモン風味のお稲荷さんとカサゴのお味噌汁だった。おなかには、まだその余韻が漂っていた。
気になってドアを開けると、ますます香りが強くなる。これは間違いなく、コーヒーの香りだ。
「今日、マスター調子いいから、コーヒー、淹れてくれるって。雫ちゃんも、並んだら」
いつの間にか、シマさんも私の名前を覚えてくれたらしい。おずおずと中をのぞくと、そこにはすでに行列ができている。>
「どうぞ」
マスターから差し出されたコーヒーカップを、両手で受け取る。
年の頃は、五十代後半か六十代前半、・・・・仕立ての良さそうなシャツを着て、ズボンはサスペンダーでとめている。首元には蝶ネクタイが結ばれていた。
作者は、マスターを格好よく描いている。
一方、マドンナに「ただのスケベ親父ですから」と呼ばれるアワトリス氏も登場させる。
雫さんにとって、一番こころトキメク相手は、六花の散歩を機に知り合ったタヒチ君かもしれない。
「六花、お散歩に行ってもいいって!」
雫さんと六花の蜜月状態を見て、マドンナが提案してくれた。六花にハーネスをつけてから、年季の入ったリードを渡される。人生初の、犬の散歩だ。
「行こう!」
外に出ると、六花は先へ先へと急いだ。
「六花、ゆっくりだよ。しーちゃんは、そんなに早く走れないからね」
しーちゃんというのは、父が私を呼ぶ時の愛称で、実は小学校を卒業するまで、家では自分のことをしーちゃんと言っていた。
<六花と散歩している、ただそれだけで、幸せだった。幸せ以外の感情が、心のどこをどう探しても、見つからなかった。病気になって余命を宣告されなかったら、ライオンの家にも来なかったし、マドンナにも会えなかった。レモン島の存在を知ることもなかったし、瀬戸内がこんなにいい所だと知ることもなかった。お粥のおいしさもわからなかったし、マスターの淹れてくれるコーヒーにも出会えなかった。そして、六花にも会えなかった。>
「病気になるのも、悪くないよねぇ」
・・・・六花の背中に話しかける。
「決して、嫌なことばかりじゃなかったよ。しーちゃんの人生は」
病気になって良かったとは、まだ心からは言えない。癌細胞に感謝する気持ちにも、まだなれない。でも、こんなにたくさんのギフトを恵んでくれたのは事実だ。
(病気に対する怒りや諦めではない雫さんの心情が、命のぬくもりとして伝わってくる)
「六花!」
突然、どこかから声がする。
その声に気づいた六花が、尻尾をピンとまっすぐに立て、威勢の良い声で、ワン!と吠えた。
「もう、リードを放しちゃって大丈夫です」
タヒチ君との出会いは、このようなものだった。
(つづく)
お粥はほんとにおいしいですよね。
滋味あふれると言いますか、細胞にじわっと染み入る感じです。
横浜中華街で食べたお粥を、思い出してしまいました。
糸さんの書く食べ物は、いずれもおいしそうで、人生を豊かにしてくれますね。
そんな朝食、毎朝食べてみたいです。
リクエストしたが台湾で生まれというのは意外でしたが、でも、戦時中だったら普通のことだったのでしょうね。
私は、台湾ファンです。
台湾には、バブルに浮かれて日本人が失ってしまった古き良き日本がありました。
昼下がりのコーヒーコーナーでのひと時も素敵です。
これから、さまざまなゲストが登場します。
うまくまとめられますように、頑張ります。