我が家の一本しかない柿、今年はたくさん実を付けたが実の付きが良くなかった昨年に比べて心なしか小ぶりである。その柿も季節の移ろいに敏感に反応し色づき始めた。
中でも特に熟したような色合いの実を試食したところ、甘く美味しく出来が良い。晩秋の頃になったらお礼肥えをたっぷりやってやろう。
我が家の一本しかない柿、今年はたくさん実を付けたが実の付きが良くなかった昨年に比べて心なしか小ぶりである。その柿も季節の移ろいに敏感に反応し色づき始めた。
中でも特に熟したような色合いの実を試食したところ、甘く美味しく出来が良い。晩秋の頃になったらお礼肥えをたっぷりやってやろう。
庭に生る赤い実には、センリョウ、マンリョウ、南天、冬青などある。これらはいずれもこれから染まるのであるが、そのトップバッターはウメモドキである。地植えの樹も盆栽仕立ての木も輝くような朱色の濃さをましてきた。 秋の深まりとともに、小鳥たちが愉しみにしている他の実も次々と色づくだろう。
ところで、集いの10月の催し物「ホームコンサート」の件だが、今回は海外でも活躍されておられる声楽家も出演してくれるとの知らせがあった。早速コンサートの案内を作成しよう。
鑑賞用にニラ数株田舎から移植したものが、こぼれ種で庭のここそこに殖えている。今花盛りで甘い蜜の香りを漂わせている。風に揺れるごく小さい花の塊を眺めていると何故か郷愁を誘われる。
曲がりくねった畑の畔に植えたニラ、白い帯の様に咲いている光景である。澄みきった青空にはアキアカネの大群が飛び交う等と想い浮かぶ世界は今はないが、、、。これも想い出に残る小さな秋であろうか。
世に波風の立たない時はない。我がサツキ盆栽の世界でも例外ではない。何代にもわたって愉しまれてきたアップのサツキ、我が家に来て十数年、年々上の方から枯れ始め今朝思い切って頂部を切り取った。幹を見ると半分以上枯死しているではないか。幸い下の方は枝葉が元気なので救われる気持ちだが、それにしても残念である。 この木は樹齢百数十年は経っているだろうが、それまで丹精込めて樹形作りをしてきた多くの同好の志に申し訳ない、、、。
下部を養生し、新たな樹形作りを目指すか。それには持ち時間との競争か。
庭の山ツツジ、今年も狂い咲きであちこちの枝に花をつけたのでアップしてみた。しかし、春の花の様にきれいではない、花弁もしわしわで見るからに無理して咲いているようである。そこには哀れささえ感じさせる。狂い花故か、、、。
ところで昨日の映画会、。「しばらくぶりに泣けちゃった」との声、みな涙腺が緩む中で鑑賞して頂いた。為政者の誤りで戦争を招き、如何に市井の民を苦しめるか、、、。戦争の悲惨な体験者として、再び同じ道を歩むことのないよう声を大にしていかなければならない。
台風の余波で延期となっていた映画鑑賞会、今日のサロンの時間に「母と暮らせば」を上映することにした。小学3年生の時、新型爆弾が広島や長崎に落とされたと聞き漠然とした恐怖感を覚えたものであったが、その大量殺人兵器「原子爆弾」が投下され市井の人々の苦悩を描いた作品である。果たして会員の方々の反応は、、。
ところで、中学生のころ映画教室(授業の一環としてそろって鑑賞)で観せられた「長崎の鐘」で涙した思い出がある。歌謡曲「長崎の鐘」も流行った。
その歌詞も準備したので皆で合唱してもらおう。
台風の余波か、朝から雨である。秋の新芽を伸ばし水を欲しがるサツキにとっては何よりのご馳走である。
ところでご馳走といえば、昨日は大学生の総領孫、北海道を旅してきたと土産を持って訪ねてきた。小さい時から旅行をすると必ず土産を買ってくる心優しい子だが、高校の同級生たち4人との旅でも爺婆への心遣いを忘れないのが嬉しい。それにチビ孫への土産まで買ってくるという気配りには感心する。
ブルーの花の続きでアメリカンブルーをアップしてみた。ツユクサどうよう花期は長く室内に取り込めば、冬でも鑑賞できる孝行花である。この花の色の様な秋空を早く眺めたいものだが、またまた台風がくるという。困ったものである。
さて、今月は集いの定例行事の他に誕生日検診や免許の更新のための高齢者講習の受講など何かとせわしい月である。今日は早くも三日、そろそろスケジュールを決め無くては、、、。億劫である!
畑に蔓延ると厄介な露草も、庭のそこかしこに遠慮がちに生えて咲いているのはなかなかの風情があり、 万葉人がその咲き方などの様を観て好んで詠んだのも頷ける。
朝顔同様昼ごろには、朝露が消えてしまうように萎えてしまう花なのでその名がつけられたという説もあるそうだ。
しかし、次々と咲き花期の長いこの花も、晩秋の頃は長持ちし終日咲いているのである。これも朝顔に似ている。
高齢化社会に伴ってわが集いの会(老人会)でも他の会同様、一人住まいの方が少なくない。当然のことながら互いに声を掛け合い、互助の精神を大切にしていかなければならない。また。社協や支援センターとの連携がますます重要になってくる。
会としても連絡し合い学んでいく必要を感じているので延期となった映画会に、ほっと支援センター地区担当者に来てもらい様々な情報を伺うことにした。
前回は、サロンの日に社協の方を呼んで有益な話を伺った。わが集いの会も、地域の社会資源としての役割を益々認識していかなければならない!!