差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

久方の光のどけき、、、、

2024年04月10日 | うんちく・小ネタ

  眩しいほどの朝を迎える。 昨日の強い雨で集会所脇の山ザクラの足下は、アップしたように白い絨毯を敷き詰めたようである。 そこで想い出すのは、古今集にあるこの歌である。

  久方の光のどけき春の日に しづ心な 花の散るらむ

             一昨日の山ザクラ

 今朝の陽の光を浴びて山ザクラを愛でながら爺も紀友則が詠んだ気持を共感するのである。

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 先日、余命宣告されたという友からの℡があったが、昨日旅立ったとの訃報とどく。知らせからのあまりにも早い旅立ちである。心穏やかに桜を愛でながら旅立ってくれたことを願うばかりである。今年は共に米寿を祝おうと語り合っていた友、、、、合掌。

 

 

 


ハナカイドウの想い出

2024年04月09日 | うんちく・小ネタ

 根回りをカミキリムシに侵され樹勢が衰えて枯れてしまうのかと心配していた。だが、見事回復し、今年はアップしたようにたくさんに花を咲かせるようになったので一安心である。

 この花を愛でる度に想い出すのは、中国で戦死した兵士の慰霊碑の傍らに植えられていたハナカイドウである。シナ事変(日本と中国の戦いを戦争と言わず当時は事変と言っていた。ロシアがウクライナとの戦争を特別軍事作戦と言っているように、、、国民を欺く歴史は繰り返すのである)で戦死した上等兵の慰霊碑は、実家の山の斜面を削り10坪もある広い敷地として石垣で囲い、武勲の数々を刻んだ石碑など田舎では見られない立派なものであった。その一隅に植えられ、春の知らせを教えられたものである。

 当然のことながら慰霊碑の前を通る時は一礼するよう学校で教えられていた。太平洋戦争の頃になると国力も衰え多くの戦死された方々の慰霊碑なるものは建設されることは無かった。

 美しい花であるが、爺のあゆみの中ではこうした想いが過ぎるのである、、、、、。


イカリソウの花

2024年04月08日 | うんちく・小ネタ

 山野草を地植えしたり鉢植えで愉しんでいる。その中で早くもイカリソウ、早くも咲き始めたのでアップしてみた。 錨のような形をしているのでその名がつけられたそうだが、爺には肩肘張った「怒り相」のようにも見えなくも無いが、ツートンカラーでなんともかわいい花である。

 これから延齢草、ソバナ、いろいろな種のギボウシなど元気に芽を出してくれるであろう。我が庭でも「山笑う」ならぬ「庭笑う」季節となる。イカリソウは、その魁で他を誘っているように咲いている。


三つ葉ツツジ満開

2024年04月07日 | うんちく・小ネタ

 30年ほど前に植えた三つ葉ツツジ、今年は取り分け花付きが良く満開になったのでアップしてみた。淡い紫の花が庭で一段とその輝きを誇っているようである。これは、武甲山に登った折り登山道沿いの崩れかかった所に生えていた小指ほどのものを採取した木である。友に諫められながら、、、、。

 長いこと四季折々に、登山にトレッキングに旅行にと集ってきた友達も、齢には勝てず旅立ったり病に伏す者も多くなり寂しい限りである。健脚で鳴らしたY君やN君病で会うこともままならない。どうしているかな、、、。花言葉に、楽しい想い出があるという。愛でながら想い出に浸っている爺である。


山笑う季節が、、、、

2024年04月06日 | うんちく・小ネタ

 田舎育ちの爺にとっては、山は身近に感じる自然の一つであった。そんなこともあって町中から自然豊かな山が見えるこの街に移ってきたのである。今日は、お気に入りの一つベランダから見える都の里山公園をアップしてみた。山ザクラが咲き、青さを増す松葉そして日に日に萌えていく様は、当に「山眠る」から覚めて「山笑う」というところか。

 ところで小さいながらもデジカメ、その性能は馬鹿にならない。精一杯ズームアップして貼り付けたが、まるで林にいて撮ったようである。一眼レフカメラのように重たい望遠レンズを装填する等の面倒なこともなく撮ることが出来るのである。


アケビの花

2024年04月05日 | うんちく・小ネタ

 子供の頃、秋の野山で調達するおやつの中での一番は甘い熟れたアケビであった。朋と誘い合って野山に出かけアケビ狩りをするのである。熟れたものは勿論、まだ食べ頃でない硬いものまで採ったものである。熟れてないものは藁束などに包んでおき食べ頃まで待って食したのが懐かしい。

 そんな体験が懐かしくなりアケビを鉢植えで愉しんでいる。それが、何年経っても花をつけないので諦めていたが、今春初めて咲いてくれた。調べてみると、アケビは自家不和合性と言うから1本では実を付けないようだ。サルナシの鉢があるのでその花粉が代用にならないか、、、あまりにも異種か?? もう一本考えようか。

 


桜花爛漫の時を迎えて、、、

2024年04月04日 | うんちく・小ネタ

 桜花爛漫の時を迎える。街路沿いや水道用地、近くの公園などでは今や様々なサクラたちが咲き誇っている。我が家には鉢植えの富士ザクラと旭日桜それに枝垂れサクラと3本あるが、その中で魁で咲いている富士ザクラをアップしてみた。花房1㎝ほどもかわいい花であるが、小さな鉢の中で精一杯の花数をつけている。

 この木は我が家に来て20年以上小さな世界で頑張っている可愛い奴である。櫻切る馬鹿というが、こうした盆栽仕立ては伸び放題するにも出来ず勘を頼りに剪定している。花芽をたくさんつけるような剪定の仕方もあろうが、まだまだ勉強中である。

 ところでサクラの季節を迎えると、よく「あと何年見れるかな、、」という台詞がきかれる。それほど日本人の心に深く刻み込まれた特別な想いの花と言うことか、、、、、。


早くもダッチアイリスが、、

2024年04月03日 | うんちく・小ネタ

 庭のあちこちで芽を出したダッチアイリス、早くも咲き出したのでアップしてみた。花言葉に「吉報」と言うのがある。淡いブルーが良い知らせを運んでくれるといいのだが、、、、昨年は、3月27日に開花したのでサクラ同様遅れて咲いたことになるのか

 チビ孫、塾にスポーツクラブにと忙しい日々のようで春休み終盤になって、ようやく泊まりに来る。チビチビといっていたが、早6年生背丈が追いつかれそうである。半比例のように縮んでいく己の体躯を改めて思い知らされる。大人びた言動も頼もしい、、、、。


山路来て、、

2024年04月02日 | うんちく・小ネタ

 穏やかな昨日の午後、ひとり里山を歩いてみる。早くも萌えるのを待ちきれずに緑や茶色の幼葉を覗かせている木々もある。一方足下を見ると枯れ葉の間に頭上が緑葉に覆われる前に春の陽を精一杯浴びてタチツボスミレ(?)が楚々と咲いている。こんな風情を観ていつものことながら「山路来て何やらゆかしすみれ草 」の句を想い出す。

 ところで懐かしい芭蕉の句を学んだのは何時のことだったろうか。当時、詠手の想いとに関わらずある山路に咲いている所と結びつけて自らの生活体験から連想したものである。今でもその路地の傍らに咲いているスミレの場所が脳裏に浮かぶのである。昔の風情とは変わってしまっただろうが、、、。

 


芽吹きの差が、、、

2024年04月01日 | うんちく・小ネタ

 閑かだった庭では、様々な植物たちの胎動が激しい。日々変化する様を観るのも愉しいものである。アップしたのは2本のモミジであるが、芽吹きの様子に大差があることが分かる。 この木は、植木屋で求めた葉が細やかな種で芽吹きが他の木に比べて早いのが特徴である。

 一方この木は、郷里の兄が山で採取した木を我が家に移植したものである。郷里阿武隈高原の地は、寒いのでまだまだ芽吹きシーズンではない。それに倣ったわけでもないが葉芽は硬いままである。

 今日から四月、遅かれ早かれ庭では春を謳歌する植物たちの活動がみられる。夜が明けると狭い庭でもたっぷりと時間を掛けてのパトロールが爺のこのところのルーティンである。

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  昨日はTBS番組サンデーモーニングの司会を長らく務めた関口宏の最後の番組があった。骨のある番組で良く視聴してきたが、本当にご苦労様と申し上げたい。忖度番組が多い中でこうした気骨のあるメデイア本来の心を持った番組が継続されることを実に願う爺である。