さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ウィーン美術史博物館 ~ハプスブルク家の戦略

2013年10月04日 | オーストリア・チェコ



この日は「ウィーン美術史博物館」を訪れました。一階は主に古代の彫刻や
金銀財宝。私のお目当ては二階の絵画です。なにせビッグ・ネームだけでも
ラファエロ、ブリューゲル、フェルメール!大興奮であります(=゜益゜):;*.’:;



美術史博物館と自然史博物館の巨大な建物が並ぶ真ん中に、ひときわ目立って
いるのがオーストリアの偉大なる母、マリア・テレジア像です。

前にハプスブルク家のタナボタ神聖ローマ帝国王位の獲得、それに続いて愛と
結婚による驚くべき発展の話をしました。今日はマリア・テレジアが女手ひとつで
大国のゆくえを切り盛りする苦労話です。

まずは上の画像をクリックして拡大し、それからハイドンの交響曲第48番、
「マリア・テレジア」の出だしを聴こう。気品にあふれ格調高いメロディーです^^

ハプスブルク家の政略結婚による驚異的な発展は、
1740年にカール6世が、
跡取り息子がいないまま死んでしまったところから状況は変化しました。神聖ローマ
帝国の帝位は失い、取り残された長女マリア・テレジアがオーストリアの女帝と
なりました。当時23歳ですよw(゜゜)w うへー!

まわりを取り巻く列強諸国はチャンスと見てオーストリアに侵略を始めたのです。
マリア・テレジアはライバルであったハンガリー、さらにはイギリス、フランスに
接近して外交手腕を発揮し、この危機を脱して夫のフランツに神聖ローマ帝国の
王位を取り返しました。喧嘩は避けて、あっちこっちに誘いや約束をかわして
政治的手段だけで乗り切っていったのです。

ひどく痛い目にあってからのマリア・テレジアは、女帝として素晴らしい手腕を
発揮しました。徹底的に国家の富国強兵を図ったのです。言葉も人種も違う
多民族国家を束ねてゆくために、保守的でのんびりとした旧来の領主たちに
国の運営を任せるのではなく、彼女は優秀な官吏を役職につけ、近代的な
中央集権制度を作ろうとしました。住民調査を行なって税収を徹底し、軍隊を
整備して国力の強化に努めました。多忙の日々を送りながらも、彼女は
ハプスブルク家の伝統に従い16人の子供を産んでいます。働く母親の鏡です!

国内の大改革と周辺の列強諸国との緊迫した外交の最中に、彼女はずっと
妊娠と出産を続けていたのだから驚きです。

なに?夫のフランツも大変だったろうって?お勤めご苦労様でし‼‼ (^益^A

さて博物館内部に入っていきます。圧倒的な豪華さ、壮大さにワクワク。



空いているんですよ、すばらしい。1フロアだけで部屋が38室もあるので、とても
一枚一枚ゆっくり見ていられない。いちいち画家の名前を確認するのも大変すぎる。

贅沢にも、さっと見渡して印象に残る絵画だけを見て回る。巨匠の絵を見落とす
こともあるでしょう。でも、やっぱり第一印象で目につくのは超巨匠ですねー。



建物の中心にカフェがあります。ゴージャス!

でもこういうところでひとり座っても、ちと時間を持て余しそうw 展示室にもゆっくり
座れるソファーがあるしねえ^^;



ブリューゲルの絵も、誰もいないところでゆっくり見られたり、なんて贅沢!
キャンバスを置いて模写している人までいるほどです。



一階では金銀財宝がズラリ。このカメオ、とても小さいんですよ。中央の像が
抜け出してくるような浮彫になっているんです。ため息をつきながらじっくり見ていると、
集中しすぎて目は回ってくるし、頭がクラクラ。こんなのの数が膨大なので体力勝負
になりますねー。



あれも、これも!と興奮していると、とても全部じっくり見る体力も時間もないなあ、と
考え、どれくらい見たら気が済んで次に移動できるだろうかと心に葛藤w



金細工エリアに入ってくると、もう部屋中がキラキラと輝きでいっぱいです。



ひとつほしいな、とかいうおバカな邪念も湧いてくる^^;



ため息でますよ…(^益^;ホント



よおく見てください。ひとつひとつがっ!

 というわけで、「滞在中にもう一回こなきゃな」と今回は立ち去ることにしたのでしたw