右上にささっているような木造のモノは、トイレです。。。 便器ないですけど。
壁に世界地図が貼ってありますね。このささっている家のトイレではないでしょう。
写真なども被災物のひとつとして展示されていましたが、「これ俺のだ!」なんて
ことがあるのでしょうか。
あっ、あれはヴァンガード!
アップにすると、やっぱりw
いまの姿です。津波の水が裏側に抜けたそうです。ジャズ喫茶なので、立派なスピーカー
が置いてあったのですが、もちろん流出。しかし全国から寄付が集まって新しいものが
入ったのです。そのエピソードは、どこか旅をしているときのジャズ喫茶に置いてあった
ジャズ喫茶ファンの雑誌で読みました。
三陸鉄道。。。
遺構ではこのままになっている向洋高校、3階に残された車。実物を見てきました。
JR気仙沼線の鉄橋。こうなるもんかね!
南気仙沼駅から見た光景。けっこう内陸なんですが。。。
復興はまずガレキの撤去から始まります。積み上げられた堆積物は町を埋め尽くす
ほどにもなり、10mの高さになりました。気仙沼の被災物の量は、通常1年間に
処理されるゴミ量の数十年分にもなったそうです。