この日は上田から小諸へ小旅行。信越本線が碓氷峠で分断されて「しなの鉄道」
というローカル線になっています。しかし駅に「暖簾」かこりゃ?
ワンマンの軽井沢行き。いまやどこもワンマンだなー。
ほどなく小諸へ到着。空気は上田よりちょっと涼しい感じ。これが軽井沢に行くと
もっと寒いんですよね。でも冬とは思えない気温です。温暖化のせいか?
おお?この板を張り付けたようなファサードは?中学生のときにこんな髪型に
して威勢を張っていた子供つっぱりがいたが…。
正面から見ると堂々たるリーゼント・ヘアーに見える…か?
一階は寂れたおみやげ屋さん。二階はレストラン。
小諸は観光で賑わっていた時代があったのかしら?
駅の近辺をぐるりと回ってみる。駅ロータリーの裏側の一画にはご覧のような
夜の繁華街。どんな寂しい町にも、こんなエリアだけはあるものだよねえ^^
この建物にも板を張り付けたようなファサード。でも常に正面からだけ見られる
わけでもなし、貼るならぐるりと本体を隠さなきゃ?
しかしその板ファサードの上に大きな出窓のようなものをつけて、その上にも
また看板をつけちゃった?進化して進化して、劣化しちゃったのね~(^益^;
でもこういうの好き♪
ひと回りしたが、特に何もない…w
午後には「懐古園」に行こうと思っているのだが、昼前には何を見るか考える。
駅に観光案内があるかと思っていたのにナイw どうしようかと途方に暮れる。
すると駅前ロータリーのはじっこに、↑このような地図がありました(助かった)。
「くらしかる浪漫館」休館中。
「本陣主屋」休館中。
~駅の北側はほぼ全滅かい。。。
南側には「シェイクスピア美術館」(???)なんてものがあるが、閉館でした。
「郷土博物館」こういうのは常に空いているが、だいたいあれば見物することに
しているのだ。しかしこれも「閉館」であった。「寅さん会館」(?)柴又の
「寅さん記念館」のようなものかしら?しかしこれも「閉館」になっていた。
小諸さん!これじゃあ観光案内所どころか、観光案内のパンフレットも置いてない
はずだよねえー!w(゜益゜)w
別所温泉に入った夜は、こんなスタンダードな居酒屋でした。「鮮の~」という
ことだから、海鮮料理が売りってことかィ~。
お通しで、こんな立派な3品。これでは料理を頼まなくなっちゃうよ~^^;
酒はちゃんと地酒が豊富に揃っておりました。
左から「互」(GOときたもんだ)、「瀧澤」(たきざわ)、手前にある一本を
飛ばして「和田龍登水」(わだりゅうとすい)と次々に試してみる。先日の
金賞を取ったという「亀齢」も含めて、上田の酒はどうも私の好みにピンと
こない。「明鏡止水」は佐久だし、「夜明け前」は上伊那、諏訪の方面で松本で
飲んだしなあ。土産の一本をどうしたよいやら。。。
左は「信州サーモン」。マスをかけあわせた淡水魚で、これがうまーい♪
奥にあるのは馬刺し。これが先日食べた国産に比べて筋が多く残念。ちなみに
「普通」なんです。先日食べたものが特別すぎたのです。しょうがないよね^^;
さてさて、上田の居酒屋にはやたらに「海鮮」が多い。山に囲まれた土地なんだ
から、野菜やキノコといった食材を使った地元料理を前面に出すところはないのか?
そこで考えた。上田には観光客が少ない。こういう居酒屋に来るのは基本的に地元の
人たちだ。俺なんか入った途端に「出張ですか?」と、よそ者バレバレだったもん。
地元の人たちは、普段自宅で地元の野菜などを食べていて、外食するときくらい
新鮮な魚などを食べたくなるのでは。
こちら東京からの観光客なんだから、海鮮はいいのに。去年三陸を旅して散々
食べたんだよぉ~w 「真田丸効果」で上田には今年観光客が100万人は増えると
期待されているそうです。新幹線が通って、首都圏から、北陸方面から旅行客が
来るでしょう。もっと地元料理を大事にしたほうがいいぞォ~(=゜益゜):;*.’:;
さて2軒目は例によってバーだ。ネットで検索してよさげな店を調べてある。
コレがわかりにくいところにあるんだ。雑居ビルの奥。右の手前は「パピヨン」。
一番奥は「つむぎ」だって。知らない人がドアを開けることはないだろう。。。
その間にあるドアを開ける。なんかドキドキしますが、フツーのバーです。
バーテンダーは女性でした。話していて誰かに似てると思っていたら、あとで
わかった。「おんな酒場放浪記」の栗原友さんにクリソツ(^益^)w
一杯目はフルーツのカクテル。この時期ですから、いちごでした^^
二杯目はなんと信州だというのにマルスウィスキーがなく(すみませ~ん^^;と
笑っておられました)、なつかしいグレンフィディック。スコットランドの記憶が
甦る。。。
上田には観光で来たこと、静かで落ち着けるような将来の住処はないものか
探していると話したら、行ったばかりの別所温泉に行く途中の塩田平がとても
いい場所だということを教えてくれました。
上田城址も歩いたし別所温泉にも入ったし、あとはどうしようか考えていたところ
だったので、こいつぁ~いいことを聞きました^^
大師湯に浸かったあとは、常楽寺へ向かいました。山道の途中、上信越の峰々が
素晴らしい眺め。一番右の浅間山は2542m、真ん中で一番高いのは烏帽子山で
2066mだそうです。
一番奥に見えている浅間山だけが、すっかり雪に覆われていました。
さて常楽寺に到着。本堂が美しいこと。
この渋い色合い。直線と曲線を組み合わせた調和。実に日本的。
本堂の裏手には、重要文化財である石造の多宝塔があります。これも年月を経て
すっかり苔の緑に覆われて、自然に溶け込んでおりますねェ。
きれいですよねェ。こうなるまでいったい何年くらいかかるのだろう。
静かなお寺に入って、カメラマンみたいに写真を撮るのもどうかという気持ちに
なるのですが、やっぱりこんなのを見ると撮らずにはいられない(^益^;
職場にそっくりな人がいるので、ついアップに撮ってしまいました。いつも
面白いことを言う人なんですー。
北向観音への参道。温泉街らしい雰囲気。
山の中の静かな雰囲気の安楽寺と違って、ここは温泉街のなかにあるので賑やかな
感じでした。
腹が減ったので蕎麦屋に入る。「真田六紋蕎麦」なるものがあった。真田家の
旗印、「六文銭」にあやかっていると。。。 信州だけに、左上はりんごをすり
おろしたものです。
蕎麦屋に貼ってあったポスター。萌えキャラ全開の「鉄道むすめ 北条まどか」
より人間のほうがずっといいではないですか~^^
ネットで「別所線にのろう、画像」と検索すると、すぐに出てくる。この女の子は
上田出身のモデルさんだそうです。
さて蕎麦も食ったしビールも飲んだので、本日のメインイベント、温泉に入り
ます~(^益^)b
ここは北向観音のすぐ横にある「大師湯」。なんとなんと、天長2年(825年、
平安時代)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音堂建立のため当地にやって
きたとき、好んで入浴したので大師湯と呼ばれるようになったとか。1200年前!
料金は150円。一日の収入は番台に座っている人の日当になるのだろうか。
中に入ると、服を入れるボックスは20人ぶんくらいあるけれど、蛇口のある洗い場は
2つ、湯舟は3~4人も入ると狭く感じるくらいの大きさだ。
私が入ったときはジイサンがひとり。洗い場で丁寧に体を洗っていた。こちらは
湯舟に浸かったり脇に腰かけたりでのんびり。ジイサンはたっぷりと時間をかけて
体を隅々まで洗い、しばらくしたら湯船に入ってきた。おつかれさまー(^益^;
そのジイサン、しばらく浸かったらまた洗い場に行き、今度は頭を洗い出した。
これがまた実に丁寧にごしごし…。10分くらい洗ってるんじゃないの?という感じで
わずかに残っている髪の毛が抜けちゃうんじゃないか、と心配し始めた頃に、
ようやくまた湯船に。大変おつかれさま~(^益^;
しばらく浸かっていると、また洗い場に!そして今度は体をごしごしとこすり
始めた。エ・エ・エ・エンドレス!
その無限ループの途中で、じーさんBが入ってきていたのである。じーさんBもまた
やたら丁寧に体を洗っていた。一息ついて、湯船に入ってくると、ダバダバお湯が
出ているところに顔を近づけ、大口を開けて大量のお湯の噴射を受けとめる!
ごくっとお湯を飲んだらしい。本人はひと口飲んだのだろうが、残り99.98%の
お湯は湯船に落ちるのであり、はたから見ていると口をゆすいでいるようにしか
思われぬ。やーねー。本人は嬉しそうな顔をしていたのだが。。。
そのじーさんB、しばらく浸かったら私に向かって「ちょっとそこいいですか」と
場所をあけてくれと言ってくる。どいてやったら、俺が座っていたところに座り
こんで体をごしごしごし…。どうやら何をどこでするか、流れがきっちり決まって
いるらしい。フルコース何時間?
せっかく遠くまで名湯に入りにきたのだから、私も1時間以上はたっぷり入った
のであるが、じーさんA&Bはいったいどれだけ入っていたのだろう?入れなく
なるときはお迎えが来るときなんだろうね^^ いつまでも、元気で温泉を
楽しんで下さい。(=゜ω゜)ノ
別所温泉にやってきましたが、ここは塩田平というエリアで、古いお寺が散在
しています。温泉に入る前に、そのひとつ安楽寺に立ち寄りました。
おお、きれいなお寺です。
本堂も見ましたけれど、ここには裏手の山の上に国宝の「八角三重塔」があり、
それを拝みにまいります。
ものすごく静かで、普段どれだけ雑音のなかで暮らしているのだろうか、という
ことを思い出します。こんな静寂のなかでしばらく住んでみたいなぁ。
はい、こんにちは。
おおっと、いよいよ見えてきました。
ほおお、これは四重塔に見えますが、一番下は「ひさし」のようなもので、実は
三重塔らしいのです。建立は鎌倉時代末期、1300年頃。もう700年以上も立って
おられるのですな。。。
約700年前の職人さんたち、中国から伝来した知識や技術を集結して建てられたの
でしょうけれど、どのような生活を送ってたのでしょうか。。。
板の歪みが年月を感じさせますねェ。そしてその上に繁殖した植物の精一杯生きて
いる姿。日常のつまらない悩みなどが小さくなってゆく気がします。