吉田秀和が提唱して発足した水戸室内管弦楽団。年に何度か、他のオーケストラで主席奏者だったり、ソリストとして活躍するような錚々たるメンバーが集結する楽団で、小澤征爾の指揮。素晴らしい芸術の祭典です。
1曲目はシベリウスの「悲しきワルツ」。ありり?小澤の指揮はなし?オルフェウス室内管弦楽団が指揮者なしでやっていますけどね。「水戸」は、演奏会があると国内のみならず世界各地からメンバーが集まってきます。そういう個性派たちが揃って、よくこういった形式で演奏するそうです。ちなみに全曲、コンマス、コンミスが違う人でした。そういう集まりなのですね。このオケに呼ばれるだけでもすごいし、そのなかでコンマス、コンミスに選ばれるのも名誉でしょう。
ところで不運なことに、隣に座ったすんごいデブのおばさん、鼻息がすごーいw
「ブシュー、ズヒー!」これはたまらん。ご本人もわかるらしく、ピアニッシモのときは若干息を凝らして音が小さくなる。しかし苦しいらしく、オケの音が大きくなった途端に「ズヒー!」。文句を言ってもしかたのないことだし、悲しいことに最後まで苦しんだのでした。ううう。
2曲目はモーツァルトの「クラリネット協奏曲」。奏者はリカルド・モラレス。こちらも指揮者なし。「弾き振り」ならぬ、「吹き振り」?協奏曲って「かけ合い」ですから、ソリストとオケの技量に格の違いがあってはいけません。ここではクラリネットとオケが、お互いに認め合ってモーツァルトの優雅な旋律を一緒に楽しんでいる。それを満員の聴衆が共有する。「ライブ」ってこういう「体験」ですよね。しかしモラレスさん、太り過ぎてますよ?一流の音楽家は世界中を旅するし、それも大都市の滞在が多いだろうし、お金持ちだし、ね^^;
休憩をはさんで、いよいよ小澤が指揮をするベートーベンの「運命」だ。本日のメイン・イベントが始まる前に、二階席がざわついてカメラが何台も出てきた。誰か有名人が来たのかな、と思ったら、天皇ご夫妻でした。。。観客はみんな立ち上がってキャアキャア。まるでアイドルみたいだ。私は相撲でご一緒になったときがありましたが、そのときも我がかあちゃんをはじめ、みなさん「ミチコさ~ん!」でしたね。主役は天皇じゃないの?
さて小澤が出てくると、まず指揮台横に置かれた椅子に座る。そこで指揮をするの?と思ったら、少し休んで指揮台に立ちました。80代で病気上がりですから体力的に大変なのでしょう。背中もすっかり痩せて見えます。でも演奏が始まると、しっかりひざが曲がって的確な指示を出していました。そして楽章が切れる度に横の椅子に座り、息を切らして休んでいました。その間、観客はじっと見守る約30秒。ペットボトルを取る係、小澤に渡す係とヴィオラの人がふたりがかり^^;
ベートーベンのシンフォニーは久しぶりに聞きました。うちは古いマンションなので、音量に気を遣うし、普段はCDでもシンフォニーをゆっくり聞く気になれません。静かな田舎にでも住まないとなあ。さてベートーベンのシンフォニーを聞くと、全体の構成美に感動します。旋律が展開し、繰り返されて発展する。すごいのが、それらの部分がまとめ上げられて、最後に見事にしめくくられるその偉業。音楽でも小説でも、光る「部分」と「展開」は「ひらめき」で生まれるのでしょうが、それを全体と結び付けて構成し、納得して「終わらせる」ことは途方もなく難しい。それが完成して初めて「体験後の余韻」が生まれるのです。
音楽は、はかなく消えてゆきます。音楽人生の総仕上げの時期を迎えている指揮者のもとに、各地から集まってきた音楽家たちが、この一回のために心を込めて演奏する。経験というものは一回性のものです。人生もそうですが。だからこそ、そのかけがえのない「一回」を大切にするからこそ、音楽は人生を象徴するのだと思えるのでした。
演奏が終了すると、観客は総立ち。出る人もなく、拍手も止まず、出たり戻ったりする演奏者のおじぎは繰り返されました。天皇ご夫妻も帰らないので、いつになったら終わるの?小澤に向かって拍手は続き、引っ込んだときは「ミチコさーん!」と皇后さまに声がかかる。(陛下さんのほうは完全におまけ扱いだ)何度か目、しまいには小澤はご夫妻に「どうぞお帰り下さい」というしぐさ?しかしご夫妻も拍手が続いている限りは帰らないぞ?天皇が帰らないと我々は帰れないらしく、ドアは閉まったままで、その前に係員が立っている。天皇夫妻、小澤&楽団、観客の3すくみは延々と続くのでした。。。