さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

焼津 夜の放浪

2018年02月17日 | 関東甲信越



ホテルで夜の酒までひと休み。花沢の里で買ったみかんを食べる。そういえば、松山で
いよかんを一袋買ってきてホテルで食べたなあ。



さてさて、「新屋食堂アヤナイ」という微妙な名前の店に行ったら微妙な外観だった。
地元の食材を使った評判の良い店というふれこみだが、暗い住宅街にぽつんとありました。



な~んかオサレでした。無農薬野菜を使ったり、井筒ワイナリーの「生ワイン」があったり。
まだお若いご夫婦(?)でやっているらしい。いかにも自然派のこだわり、なんつー雰囲気の
店でした。俺には合わない、か?

井筒ワインは好きで、塩尻のワイナリーまで歩いて行ったほどだ。赤白両方飲むつもりで、
まずは白。それに合わせて「菜の花の昆布〆」なんてのがあったので注文。そしたら、お通しに
なんとモツ煮込み~。w(゚益゚)w

合うわけがない。。。



なので、すぐに赤も注文。続けざまに変な奴だと思われたかもしれん。



魚も旨かったよ^^

カウンターの隣には、まだ若いじーちゃんが小さな少年を連れて来ていました。ハンバーグ
定食を食べさせています。3歳くらいの男の子、「おれ、キューリ好きなんだー」と言って
キャベツの千切りの横に添えてあった3枚ほどの薄いキュウリをうまそうにシャリシャリ^^

あ~、10枚でも20枚でも食べさせてやりたいー。それでも1本の半分くらいだしー。
まだ純粋に、その美味しさを素直に喜んでいるんだろなー。年を重ねるにつれて、「もう何度も
食べた」と新鮮さを失い、「安物だし」とか「いつでも食べられる」なんて邪念がまとわり
ついてきて、素直に喜ぶ気持ちが減ってきてしまうんだな。



こういう店なので、酒を飲み続けるよりはデザートにしました。豆も北海道だったか。
んでアイスはなんかこだわった作りでしたー。



これで終わるわけはない。寒い夜のシャッター通りを放浪。



寂れた怪しい店を物色。



ひらがなで「ぱぶ」。「ブリッヂ」ときたもんだ。「オレンヂ」みたいに
チにテンテンは古い!俺の予想では焼津のレジェンドばーさんがひとりと見た。
ここにしよう。(=゚益゚):;*.’:;



誰もいない。「すみませーん!こんばんわー!」と呼びかけて、ようやく出てきた予想通りの
女性がっ。ふたりのお孫さんが立派な就職をなさったという、半世紀以上ここで頑張っている
焼津のレジェンドでした^^

どおしてスナックとかバーではなくて、「ぱぶ」なんですか?と聞いたら、「スナックやバーは
あちこちにあるでしょ♪」とのことで、特に理由はないようでした^^;



誰もいないカウンター、はじから2つ3つのところに座ろうとしたら、「誰もいないん
だから、真ん中に座りなさいよ」と勧められる。「どうせ誰も来ないんだし」って
俺の選ぶ店にはありがち^^;

でも昨夜は地元のおじーさんたちの同窓会があり、数人来てにぎやかだったんだって。
そして常連さんたちの話題が出たら、この1~2年で何人も亡くなられたと悲しそうに
話しておりました。。。

この店は、ここ焼津でもう半世紀を超える歴史を持っております。港は、新しいものが
旧港の南に出来ておりますが、そのずっと北に昔の港があったそうです。漁師さんが
たくさんいて、夜の街、いわゆる赤線地帯もあったとか。にぎやかだったのでしょう。

いまは船の数も最盛期の3分の1以下になり、船員のほとんどが外国人だそうです。
だから港の飲み屋街にも来ないと。普段我々が食っているマグロやカツオ、アジや
イワシなんかも、みんな外国人(南アジア人)がとっているのかあ~。日本人は、
船長と機関士だの、ほんのわずかなんだって。

船会社も次々につぶれてきたわけですが、例の第五福竜丸の会社は残っており、そのため
いまだに補償金を得ているのではないか、という噂があるそうです。さすがにもう・・・。

1軒目で食事をしたところは1時間あまりの滞在だったのに、こちらではいったい
何杯目か、すでに3時間は経過?ママさんは、俺があちこち旅をしていると聞いて、
「あんた、旅先でいろいろあったでしょ。話しなさいよ」と突っ込んでくる。w(゚益゚)w

適当に誤魔化そうとしても許してくれない。「さあさ、誰もいないんだからね」と
追及の手は厳しいのであった。うんと盛ったロマンスでも即興で作ればよかったかー。


焼津 浜通り

2018年02月15日 | 関東甲信越



電動自転車なので、スイスイと漁港のほうへやってきました。すると突然見えたぞ
富士山が~!



やはり感動的。東京の我が家から見えるお姿の反対側です。



向こうに見えるは伊豆半島。



マンホールも海だなあ。



ふと「磯自慢」を発見。あれま、こんなところにあるんですかあ。



さて「浜通り」に入ってきました。その名の通り、ここは浜辺だったのですが、いまは
埋め立てが進んで(?)道路3本分くらい、距離にして300mくらい内陸になっています。
小泉八雲が滞在した海辺の家が、この通りにありました。いま見たら驚くだろうて。



古い家屋がちらほらと残っております。



あっと!気をつけなければ見逃してしまいます。いまは普通の家が建っていますが、ここに
八雲が滞在した家があったと。ちなみにその建物は、愛知県の明治村に移築保存されています。



この家が建っていたのです。明治村に行ったときの画像が残っていました^^
展示では漁民の家ではなく、駄菓子屋になってますね。



こういった水産加工場もあります。内陸になっちまったらどうするんでしょ。自然放置?



前回の歴史民俗資料館の写真では、以前は賑やかな漁港だった時代もあるのですが、いまは
こんなふうに静か。水産加工場なんかは内陸に残されて放置だしなあー。


焼津市歴史民俗資料館

2018年02月13日 | 関東甲信越



小泉八雲記念館のお隣に、歴史民俗資料館がありました。こっちもタダです。



お決まりの古墳時代の展示から始まりです。んで縄文だの弥生だのって土器なんぞが
並んでいるわけですが、私の関心はもちっと近代の江戸末期や明治あたりからかな~。



おうおう、コレコレ。



よくもまあ、こんな古いテレビやラジオなんかが残っていました。広い物置なんかが
あり、めんどくさいから捨てないで長年ほうっておかれた、という条件が揃ったので
しょうね。



おっ!第五福竜丸は焼津の船だったのか。これはこれは・・・。

1954年、南海のビキニ環礁で、米国が水爆実験を行いました。第五福竜丸は、米国が
設定した危険水域外にいましたが、水爆の威力はものすごく、この船を含め、多くの
人々が被ばくすることになりました。

まあそのあと、激しい批判と反核運動、責任を認めたがらない米国、その顔色を窺って
なんとか穏便に済ませたい日本政府という構図になるわけです。今でもトランプは
核兵器使用の可能性を広げようとしているし、安倍は反核団体の接見を拒否し続けて
いますね。



被曝して帰港したら、大量の放射能が検出されたそうです。乗組員は全員被曝して、
例によって毛が抜けたり歯茎から血が出たり、皮膚がただれたり頭痛や嘔吐。げー。



「原子マグロ」って言葉がすごいですが、風評で魚が売れなくなったそうです。
福島の米や野菜がそうでしたな。いまだに過去の話ではないか。



静岡県のみならず、日本中の漁船が南洋に行っていたわけですから、
全国的に魚離れが起こったそうです。

なんと愚かな、と思ったりもしますが、(敵の)中国や北朝鮮で、そして
民主主義による選挙で選ばれた(こちら側の)トランプや安倍なんぞも
「国のため」核兵器が必要不可欠だと言っているんだから、お互い
「総意」で核兵器の配備合戦というわけなんだなあ。



昭和60年には、このように焼津市が「核兵器廃絶宣言」を出したわけです。それにしても、
こういうものを「歴史資料館」にしまっておいていいのかな。「過去にこんなことが
ありました」って。。。



外にはこんなものがありました。第五福竜丸の事件から60年がたち、平成26年に
こんな碑を立てたのですね。忘れちゃいないかぁ。


焼津小泉八雲記念館

2018年02月11日 | 関東甲信越



焼津には、小泉八雲の記念館がありました。ここのところ、行くとこ行くとこハーンだ。

ギリシャ(ハーンのかあちゃんのふるさと)、日本に来て島根、熊本と住んだ場所、
青梅では雪女にまつわる場所、旅行をした三角、そして何度も夏を過ごしたこの焼津。
このブログを探してゆけば、みんなありますよ~。

ちなみにハーンが通った大学のある英国のダラム、幼少時代に暮らしたアイルランドの
ダブリンも行ったことがあるぞ。こりゃハーンの研究者なみだネ^^;



入館は無料でした。えらいぞ焼津!
ちなみに小泉八雲は夏のバカンスで訪れた焼津が気に入って、晩年は毎年滞在した
そうです。これらの遺品はあとから収集したのですかねェ。



ダブリンの父親の家は、タウンハウスというB&B(安宿のこと)になっているそうです。
どうやら俺がダブリンを訪れたときに御贔屓にしていた宿のすぐ近くらしい。ちなみに
父ちゃんは軍人で、ギリシャ滞在中にそこの娘と結婚。明るい太陽の地中海からどんより
暗くて寒いアイルランドに連れてくるだけでなく、自分はまた外国に遠征して妻子を
おいておくもんだから、奥さんはうんざりして幼いハーンを置いてギリシャに帰って
しまうのです。そりゃ鬱病にでもなるよ、ホント。

両親不在のハーンは金持ちのばーちゃんに育てられましたが、のちにばーちゃんは投資に
失敗して破産。誰にも頼ることのできないハーン青年は、米国に渡って記者になり、
それから日本へと渡ってきて、ついには島根でそこの娘と結婚するわけだ。



こういう海辺の民家に夏休みを利用して滞在し、のんびり焼津の街を散歩したり、海で
泳いだりしたそうです。海で仰向けに浮きながら煙草を吸っていたそうですぞ。



うしろに写真で立っているのが、焼津の魚屋さんの山口乙吉さんです。実直で親切、
ハーンは大好きになって、彼の家の2階に逗留したわけです。しまいにゃ焼津に別荘を
建てたい、と彼に頼むわけですが、54歳の若さで死んでしまったのでした。


花沢の里から焼津さかなセンターへ

2018年02月09日 | 関東甲信越



花沢の里の集落から、裏手にある山に登って行きました。電動なので、腰をあげてヒイコラ
ペダルを踏む必要がなく、坂道もスイスイと登って行けます。自動車やバイクだとだともっと
楽でしょうが、エンジン音がするし、自然を自然に味わうことができないような気がする。
その点、自転車は自分の力で風をきって進むので気持ちが良い。小回りもきくしね。
ちょっと電動でいんちきをして、楽なので助かっちゃう。



けっこうな高さの山をだいぶ登ってゆきました~。



集落が見渡せるところまできました。徒歩ならここまで来なかったでしょう。



遠くには焼津の街、そして太平洋が見えました。



自転車で下りはあっという間です。



山のふもと、焼津の街はずれです。典型的な街道の景色。みなさん街中には来ないで、
車でこういう施設を使うんですよね~。だから駅前商店街にはひとっ気がないんだ。
ほとんど徒歩を想定してないこのつくり。きらい。



「焼津さかなセンター」です。観光案内所のおっちゃんが、ここで海鮮丼なんかを食べると
いいよ、と勧めてくれました。「なんで港じゃなくて、こんな内陸にあるんですか?」と
聞いたら、「高速道路のインターチェンジができたら、みんなそっちにいっちゃったんだよ」
と教えてくれました。な~るほど。。。

自転車をこいで入ってゆくと、駐車場整理の職員さんが「ご利用ですか?」と聞くので、
「そうですよ♪」と応えました。「それじゃあ、あの辺にとめてもらえますか~」と事務所
横の空いたスペースを指さしました。自転車という手段が想定外過ぎるんだな^^;

そういえば、何度か使った観光案内所の貸自転車、他に使っている人、見たことないし。
今回の自転車、前のかごに「焼津観光案内所」と書いてあるでっかいプレートが貼られて
いました。目立ってたな~。(^益^)w

さかなセンターに入ってゆくとき、観光客を満載した観光バスが到着して、大きな食堂に
ゾロゾロと団体さんが歩いてゆきました。高速道路を降りて飯を食い、そしてまた高速に
乗ってどっかに行っちゃうんだな~。俺とは心理的距離感がすごいぜ。



カニだと魚だのを「どう?安くしとくよー!」とか言われるわけですが、まだひとり旅は
続くので、ほしくても買えません。尾頭付きを丸ごと買って、さばいて食べ放題!なんて
できたらいいのになー。



深海生物、オオグソクムシ。ヒマなら画像検索でもしてください。ナイスな風貌です。



「市場丼」だったっけ。酒は昨夜飲んで旨かった藤枝の「志太泉」。丼を食べながら、
ここで生牡蠣も出しているのを発見。2コぐらい食うかな。そしたら酒をもう一杯飲まねば
ならぬな。。。と迷い、自転車にも酒酔い運転ってあるのかな、と考えて断念。