
途中、千里山神社では特別に水源地の柵の中へ入り、晴れた春空の下に大阪や箕面の山並みなどを望むことができました。千里山の最高地として三角点が置かれており、71.1 Mの標高と記されています。その横には「千里山の由来」という看板が立てられ、説明とともに和歌が紹介されています。
それによりますと、千里山は寝山(ねやま)とも呼ばれ、現在の限られた千里山の地域だけではなく、一帯に広がる丘陵全体の呼称として使われていました。寝山という名も、なだらかな山地の連なりをイメージさせます。大正時代の住宅地開発に伴い、限定的な地域の名前として使われ始め、今日に至ったものと思われます。
「摂津名所図会(現代のガイドマップ)」には藤原行家の和歌も添えられています。
つれて行寝山も知らぬ白鳥の
さきのよもうき身の契り哉
(一緒に寝む山もないあの白サギのように、これから先も浮き草のように儚い僕達だね)