
千里山が大正9年に郊外型住宅地として開発されるに当たり、有名な英国ロンドン郊外の田園都市レッチワースをモデルとして計画されたということは、現在では広く知られています。その証しが第一噴水のあるロータリーを中心に、放射状に延びた道路に見てとれます。千里山駅から第一噴水を通り真っ直ぐに緑地公園の方まで延びたメインストリートは、街のモデルに因んで近年レッチワース・ロードと名付けられました。その名付け親となった石本貢さんがマスターである「アリーナタバーン」は本格的なイングリッシュパブとして、地域のみならず近隣の人達や外国人の貴重な社交場ともなっています。
先日の「阪急TOKK」といい、千里山の街並み風景が度々特集紹介される背景には、街の開発の歴史が醸し出す異国情緒やロマンティシズムがあります。日常この街に住み慣れた僕たちには、少々面映ゆい面もあるのですが、これからもより美しい生活都市を目差し、街の歴史やアイデンティティーを大切にしていきたいと思います。
・記事を拡大