渋谷区代々木に真宗大谷派寺院の「聖徳山諦聴寺」は鎮座している。僧了誉が万冶元年(1658)四谷門外に創建、その後駿河国清水への移転を経て、享保年間(1716-1735)当地へ移転した。本尊阿彌陀如来。当寺が有するは平安時代以前の「木像聖徳太子立像」は区内最古という渋谷区指定有形文化財に指定されている。寺内の墓域には「當寺開山釋智誓、萬治元戊戌暦極月上旬五日」と刻した卵塔がある。文久3年、「正春寺」から幕府に呈出した由緒書によれば、「正春寺」が湯島3丁目にあり、「専西寺」と称していた頃からの寺中の子院で、開基を秀瑛という。元和6年引寺の際に「諦聴寺」も代々木に移したとある。(2409)
渋谷区代々木に法華宗本門流寺院「白蓮山立正寺」は鎮座している。茨城県下館市に創立した「立正題目教会」が前身であり戦後復興期の昭和25年(1950)に当地へ移転、白蓮院日定上人を開基として戦中戦後を通じ人々の不安と国家の荒廃を憂え、国民一同が正法法華経のお題目を唱えることで国家の安穏と国民の幸福を願って建立、創建された。祈祷本尊として「鬼子母大尊神」が奉安されている。東京オリンピック開催に向け建設ラッシュの中、首都高速道路開通に伴い当教会昭和本堂は解体され敷地の一部は供出した。信徒の離散、法人の弱体化中、第二世長壽院日龍上人は日々街中を太鼓を打ち鳴らしお題目唱導下衆行に励まれました。やがて本化地涌の菩薩衆の出現を見、平成5年には多くの信徒のカを結集し、寺号を「立正寺」と改めた。日龍上人の不惜身命の下衆行がみごと花開いたのです。 日龍上人は、先代上人の遺命でもあった本堂再建に向け、日々信徒と共に精進を重ねましたが、平成 13年4月、突如として化を霊山に移された。寺号標より入山すると正面に「大本堂立正」、本堂前に浄行菩薩、常不軽菩薩、七福神が祀られている。(2409)
相模原市南区麻溝台にある「峰山霊園」と「紅葉亭」の間を通る道路脇に数百本を超える紅白の「ハギ」が植栽されており、これだけ多くの「ハギ」を見ることができるのはここだけである。すぐ傍の「相模原公園」にも数本「ハギ」の木があるが、相模太夫的には「ハギロード」と勝手に呼んでいる所である。まだ咲き始めたばかりで壮観さはないがこれから花数が増えてくるとまさしく「萩ロード」と化す。ハギ(萩)は秋の七草の一つで古くから日本人に親しまれてきた植物である。万葉集に最も多く詠まれている。最も多いのは「ミヤギノハギ」(宮城野萩)で名の通り日本原産の花木である。マメ科 ハギ属落葉低木。晩夏から秋にかけて多数の赤紫色の花を咲かせるのが特徴でヤマハギ、ニシキハギ、シラハギがある。(2409)